「令和元年のテロリズム」加害者側の感想1
まぁ薄々気づいてはいたが、令和になってからロクなことがないw
大型台風などの自然災害、コロナ禍と、大小さまざまな厄災を挙げればキリがない。わずか、ここ2年と少しの間で。ただ自然災害は以前から本国では多発していたし、コロナは世界中に拡散したのであって、元号の問題云々ではなく‥‥。
なのだが、磯部涼著の『令和元年のテロリズム』を目にすると、あらためて「ロクでもない」時代に思えてきた。それくらい、たしかに令和の幕開けは最悪だった。
本書は大きく分けて、当該時期に起こった三大凶悪事件について取り上げている。それについての感想を少々述べていくが、ロクでも筆者の見方は他者とは違うのを予め念頭のうえ、目にしてもらえたら幸いだ。
CASE.1 『川崎殺傷事件』
通学途中、スクールバスを待っていた女生徒と、保護者が犠牲になった。犯人の50代無職男性は、犯行直後に自死。
この事件、加害者が亡くなったため、けっきょく動機も分からずじまい。怒りの矛先を皆どこに向けていいか分からず、他方、某コメンテーターの発言を皮切りに【ひとりで死ね】論争が沸き起こったのも記憶に新しい。
‥という事件そのものについては各自詳細をお調べいただくとして、動機の解明、謎多き加害者に著者がどこまで追えているのか、類似本を読むうえでのポイントとなる。
ところが、その手の情報はほとんどない。たいてい週刊誌でつかめたレベルでの話だ。これは別に、著者の取材力云々を否定しているのではなく、そもそも加害者に「生きた」情報がなかったのだ。
あくまでこの点についてであるが、私にとって理想的だった。ここまで「生きた」痕跡を消せる‥いや、その歩みすらも全く見えてこない人物も珍しい。
メディアにまだ取り上げられていたころ、中学時代の卒アルが用いられていた。これだけでも相当異様なのに、以降50代になるまで、どこで何をしていたのか、男の動向を窺い知る者はほとんおらず、捜査関係者さえ、このような感想をいだいたという。男は「本当に存在していのたか」
存在すら疑うほど、徹底した引きこもり。世から姿を消していた――
消えるときは、私もできればこうありたい。理想の所以。‥もっともこうしたブログなどしてしまっている時点でそれはほぼ不可能に近いのだけれど(加害者の自宅にはネット機器・環境もなかった)。
《つづく》
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