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あふれる想いこぼれる言葉

「一文が長い」「同じことの繰り返し」
これまで文章を書いて、添削を受けるたびに必ず言われた言葉である。自分の思っていること、伝えたいこと、全てを込めるのにこの言葉では足りない、あの言葉で伝えたい、でもこれだけじゃなくてこっちにも…
私の頭はきっと人よりも騒がしい。「ぼーっとしていて何も考えていなかった」という経験を生まれてから24年、したことがない。常に自分の中で言葉が渦巻いていて、矢印が自分にも外にも向いていて、アンテナは常に電波を受信していて、その割心は繊細かつ貧弱なのでバッテリー容量に見合わない。そんな私の書く文章だ。常に想いがあふれ、こぼれる言葉をすくいあげ、文章にしたためていく。その中で、全てをこぼさないように。そう思うと自然と文章は長くなる。

自分の日記やレポートならそんな文章を書いても良いだろう。
だが私はこれを人に向けた手紙、ことファンレターにおいてやってしまう。

貴方がどれだけ優しくて、努力家で、実直で、そして他の人を救っているか。伝えたいことは湧水の如く、どころではない。蛇口の壊れた水道、それも最大出力の、ようにただただ湧き出てあふれていく。同じようなことを繰り返し書いてしまう。だがそれも、ちょっとしたニュアンスの違いがあって、どうか貴方の魅力を文章にしたい、そんなエゴでとにかく長く綴ってしまう。ひどい時には1回に便箋7枚ほど書く。きっと大層迷惑しているであろう。申し訳ない。私なんかが、そう思うと同時に、きっと私なんかの手紙を読むわけがなかろう。そう信じて、明るい言葉、好きな部分、尊敬しているところだけを山盛りつめこむ。

もしも、もしも貴方がこの手紙を読むのなら、綺麗で優しい言葉しか目に写したくない。そう思って、いつもファンレターを書く。書きたいことは寝る前やお風呂の中で、ふっと浮かんでくる。騒がしい脳内の全ての矢印が、あのシーンに、言葉に、まぶたに焼き付いた姿に、向けられる。あふれた想いは止めどなくあふれ続ける。忘れないうちにスマホにメモする。この想いを表現するにはこの世の言葉だけじゃ足りない、そんな焦りを感じながら書き込んでいく。

いざ便箋に向き合うとき、メモには箇条書き、殴り書きの想いが書かれているが、案の定言葉は足りない。スマホにメモしたあの夜から、今便箋に向き合うこの時までに、たくさん言葉をこぼしている。ヘンゼルとグレーテルのこぼしたパンの欠片のように、もう一度こぼれた言葉を拾い集め、繋げていく。この時間は貴方のことだけを考えていて、愛おしく、穏やかに時が流れてゆく。

私のエゴで書いたファンレターなので、読まずに捨ててもらって構わない。むしろその方が気楽だとさえ思う。ただ、もしも読んでいたとするのなら、貴方の心を揺らさず、凪のままにしておける、そんな文になっていたら、と願わずにはいられない。

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