「自己紹介。」
「HANA。(はな)」という名前は、本名ではない。
HANA。にした理由は2つある。
1つ目は、単純に花が好きだという事。
2つ目は、亡くなった母に「毎日、花をたむけたい。」という気持ちからだ。
HANA。の最後に「。」がついているのは、全部読むと「はなまる」になる。ちょっとした遊び心である。
私が文章や詩を書くようになった理由は、自身が病気になったからである。
最初は「適応障害」と診断されたが、悪化してしまい今は「うつ病」という診断がつき、病気と向き合う毎日だ。
そんな中、自分を見つめ直す日々の中で、言葉や文章が溢れでて止まらなくなった。
何も出来ない自分でも、唯一出来た事がそれだったのだ。
自分は、それ程、頭も良くなく詩や文章は独学な為、乱筆、乱文はご容赦、願いたい。
色々な事を考える日々の中で、私にとって忘れられない出来事、いや、むしろ、私自身を形造っていると言っても過言ではないのが「母の存在」と「母の死」だ。
私の母は、若い頃に慢性腎不全になり、祖父から腎臓の片方を移植で貰った。
そして、薬や医学の力を借りながら私を妊娠し、昭和62年に自然分娩で私を産んでくれた。
当時、名古屋日赤で5例目の事だった。
生まれてきた事を何度も悔やんだ事もある。
しかし、この新聞記事を見る度に自分は「生きなければ」と思う。母は、まさに命を懸けて私に「人生」をくれたのだから。
亡くなった人を悪く言う人達はいないだろうが、母に関わったどの人に聞いても、「とても美人だった」「優しいけれど、芯の通った強い人」「素敵な女性」だったと教えてくれた。
ファンクラブが出来たり、毎日のように様々な男性から電話がかかって来て大変だったらしい。そんな小さな町のアイドルみたいな話もある。
そんな母は、私が7歳の頃亡くなった。
直接の死因は「多臓器不全」だったが、原因となった病気は、当時世界で3例目という、大変珍しい病気だった。
皆が口を揃えて「素敵な女性だった」と言ってくれた母の葬儀には、600人もの人が来てくれた。それだけ惜しまれて、天国へ逝った母は私の自慢だ。
母の事を書いた詩があるので、良かったら目を通して頂けたら、幸いだ。
https://note.com/preview/n8b033477d558?prev_access_key=3ea67676f7950854643a13e8a33e3d5c
私は、宝くじに当たるよりも、雷に撃たれるよりも、もっと低い確率で死んでしまった母の死を未だに受け止めきれずにいる。
そんな中で、自分を励ます言葉をずっとずっと捜している。
そして、その言葉が他の人の心にも響いたら、こんな嬉しい事はないと、そう思っている。
それが私が、詩や文章を書く理由だ。
【長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。お気軽に、スキ、フォローして頂けると嬉しいです(*´ー`*)💕】
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