カフェインが足りない
人と暮らして、自分の独り言の多さを実感した。
またひとりの空間で本当の独り言と暮らす生活は、懐かしいようで、少し勇気がいるなと思った。
最近、夕陽の電車に乗ると、扁桃腺からみぞおちにかけての部分が苦しくなる。そういえば、旅に出たい。
近況を知りたい友人ほど、あえて連絡をとりたくないなと思った。簡単に画面で終わらせるには勿体無いほどの気持ちで、溢れちゃいそうだから、ちゃんと表情を見ながら話を聞きたいな。
夏色のワンピース、お気に入りなのに全然着ない。
一夏に一回ずつ。今年の夏は着なかった。
妹にあげた。
すごく似合ってた。
もっと早くあげたらよかったな。
あげる前に最後に着ようとは思わなかった。
だから、私とあのワンピースは去年の夏のまま
これからは、妹の夏の一部になればいいな
一度離れてみて、本当にやりたい事が少しずつ分かってきた気がする。
分かってきたというか、思いつき始めた
「自分が何したいか分からない」のではなくて「何したいか自分と話す時間がなかった」が近いニュアンスな気がしてきた。
「分からないなら探せばいい、見つければいい」は、どうしてもプレッシャーだった。あるか分からないものを探しに行くのは少し無謀で億劫だったから。なかった場合、本当の行き止まりを目の当たりにしてしまいそうで怖かったから。
「何かしなきゃいけない」は、焦りを与える義務感のようなもので、呼吸の深さにさえも悩んだ。別に追い詰められていた訳ではないけど、タイミングって人それぞれだからね。自分のペースでいいと思う。
探すのをやめたら必然と時間ができた。なににも縛られない時間の話し相手は自分だった。別に大きいことを成し遂げたいわけじゃないけど、私の人生こうだったら面白いだろうなってことがいっぱいある。わくわくしてる
「カフェインが足りない」って言う友人に憧れてる
「”宿題”とか”放課後”ってよく使うよね」って言われた。多分まだ高校生の気分なんだと思う。
右に置いて寝てるくまの人形が毎朝左にいる。
こいつ、生きてるかも。
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