箱庭の灯
6月1日
初めて直に声を聴いた日からずっと待ち続けていた日だった
声を聴いた時にはもうすでに泣いてた
こんなに簡単に涙って出るんだ、ってくらいはじめの曲の歌い出しで泣いていた
「音楽に救われる」って表現はよく見るけど、いまいちどういう状態か分からなかった
Teleに出会ってから、その表現が一番しっくりくるのが分かった。他にこの感情を当てはめる言葉をまだ知らないから、「救われた」としか言い表せない、悔しい
自分の中の何かを、掬い取って、全部このままでいいんだと思わせてくれるような感覚。
難しい
どこが好きかなんて説明するのは野暮だと思うけど、強いて言うなら
言葉を、日本語を、美しいなと思わせてくれるところ。
喜多郎くん、マイクを下ろして
「この声が、マイク通さないと声が届かないところまでは行こうと思ってます」って言ってた
絶対に、ずっとついていこうと思った
聴きたいはずの声が聞こえなくなる時は、少し寂しくもあって、また涙を流すくらい嬉しいんだろうな
みんなで出禁になろうぜって言ってみんなで飛んだ
本当にみんなで出禁になったら、正真正銘最初で最後の喜多郎くんとの武道館だな
「もし、自分の中の灯見つけたらさ、その時は手紙でも書いてよ」って言ってた
見つけたら、喜多郎くんに聞いてほしいと思った
見つからなくても、それまでは喜多郎くんが私の中の灯だと思った
喜多郎くん
お誕生日おめでとう
生まれてくれて、歌ってくれて、ありがとう
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