伝統
三島は文武両道をいう。これは日本の伝統ということになっている。それならその伝統がどこへ行ったかというと、よくわからない。ここでは私なりの視点で、まずそれを追求したいのである。そもそも文武両道とはなにか。
養老孟司「身体の文学史」新潮文庫 p167
奥付には、
平成十三年一月一日発行 400円
とある。新刊をみかけて買ったはずなので、平成十三年(2001年)に買った可能性が高い。
2001年といえば、長女が五歳、息子が四歳。
育児戦争たけなわのころだった。
末っ子はこの四年後に生まれて、戦争に油を注ぐことになる。
あのクソ忙しい時期に、養老孟司の文学史の本なぞ、よく買う気になったものだと我ながら思うけれども、忙しくてやりきれないから、日常とほとんどリンクしない本に心惹かれたのかもしれない。
そして、結局十九年間、手に取って開くこともなく、積読していたのだった。
本書が我が家の表層に再び浮かび上がってきたのは、長女さん(24歳)が、もともとは我が家の書庫だった自室に大量に残っている私の蔵書を、私の居室に運んでくれたからである。
ぱっと開いたページは、「太陽と鐵(てつ)」という表題の文章のなかの、「三島伝説」という章段だった。直前では石原慎太郎氏の著作についての言及もあるようだ。
三島由紀夫も、石原慎太郎も、私にとっては疎遠な作家だ。
三島作品は何度か読みかけて挫折している。切れ味のよすぎる描写の力で作り上げられている救いも逃げ場も感じられない物語世界に、なんというか、辟易してしまうのだ。
石原慎太郎作品については、完全な食わず嫌いだ。
政治家としてのご発言に愉快ではない思いを抱いたせいで、なかなか作品を手に取る気にならない。
「ババア発言」はウィキペディアに立項されるほど知れ渡ってしまっているし、重度の心身障害を持っている方々の施設を見舞って「ああいう人たちには、人格あるのかね」云々の失言があったと報道されたときには、私は重度障害を持つ息子の療育に奔走している最中だった。この方の本だけは身銭を切って買うまいと心に決めたのは、仕方がなかったと思う。
それはさておき、「文武両道」である。
最近はめったに耳にしなくなった言葉だけれど、昔は理想のエリート像として普通に口にされていたと思う。
養老孟司氏が、この言葉についてどんな分かり方をされるのか、楽しみにしつつ、そのうち先を読んでみよう。
伝統を水洗いして柔らかな生成りの帽子かぶせてみたい