正餐
京都市左京区平安神宮の西、六勝寺の一つ尊勝寺の故地に六盛(ろくせい)という料亭がある。ここでは、一九九四年の平安建都千二百年を機に、平安貴族の正餐(正式の献立による料理)を蘇らせた「創作平安王朝料理」を開発し、提供している。
献立は『類聚雑要抄』に近く、食前酒の「薬酒(くすざけ)」に続く一進は「祝菜(ほがいな)」といい、中央に「御物(おもの)」と呼ばれるご飯を高く盛り付け、その周囲に金塗の器に彩られた「おまわり」(そ・ほしじ・すわやり・むしあわびなど)が円周上に並ぶ。横には調味料である「四種器」が添えられ、食具は銀製の箸と匙である。一進の後、料理は二進から十進まで続く。
吉野秋二「古代の食生活 食べる・働く・暮らす」 吉川弘文館 p86-88
今回は、読みかけの本から引用した。
古典文学を読むのは好きだけれども、古い時代の衣食住についての知識が乏しいので、場面をイメージすることが難しい。
注釈や現代語訳を読んでも、そういう細部について説明がなかったりするので、もどかしい思いをすることも多い。
だから、古い資料に基づいた再現模型や料理などを見るのが大好きだ。
上に引用した箇所を読んで即座に京都の「六盛」という料亭のホームページを探した。
http://www.rokusei.co.jp/index.php
「創作平安王朝料理」は、いまも予約制で食べられるようだ。
お料理の写真が掲載されていなかったので、食レポを書いている方はいないだろうかと探してみたら、「旅ぐるナビ」というサイトに記事があった。
【京都】老舗料亭「六盛」で平安時代にタイムスリップ。王朝料理で貴族気分を味わう京都旅 (2018.11.29 )
https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2827/
一進の「祝菜(ほがいな)」は、「古代の食生活 食べる・働く・暮らす」の引用個所に書かれていたように、大きめの茶筒のように高く盛り付けられたご飯のまわりを、小さな皿が丸く取り囲んでいる。
写真を見て一番気になったのは、「御物(おもの)」と呼ばれるごはんの量だ。ずいぶん多い。
お茶碗三杯分と、「旅ぐるナビ」の記事には書いてあったけど、円筒形を維持するために突き固めているようにも見えるので、どんぶり二杯分くらいはありそうにも思える。
食べ残してもいいしきたりだったらしいという。
たしかに運動量の少ない人がこれを完食していては危ない。
「祝菜(ほがいな)」内容について、もう少し詳しく書かれている記事を見つけた。
典雅なる王朝の食文化を探求。「六盛」3代目当主・堀場弘之インタビュー
https://www.kougeimagazine.com/crafts_now/171116_rokusei/
ご飯の周りの小皿は、時計回りに、次のような順で並んでいるのだという。
そ(蘇・古代チーズ)
ししびしお (醢・塩辛)
やきたこ (焼蛸)
ほしじ (脯宍・古代のなます)
ほしいお (腊魚・干し魚)
ほしどり (脯鳥・塩漬けして天日干しにした鳥肉)
むしあわび (蒸鮑)
すわやり (楚割・魚の割干し)
ものすごく、お酒やごはんが進みそうな前菜である。
私はお酒を飲まないけれど、こんなふうに、いい感じに塩気の効いたおかずがずらりと並んでいたら、うっかりどんぶり二杯くらい、いってしまいそうで怖い。
そういえば、藤原道長の死因は、たしか糖尿病ではなかっただろうか。
その兄の藤原道隆も、糖尿病だったらしいと、wikiにあった。
二人とも、出されたご飯を完食していたに違いない。
ただ、「六盛」の「創作平安王朝料理」は、平安時代末期の故実書である「類聚雑要抄」(1146年頃作成)に近い形であるのだそうで、それより百年以上さかのぼる道長や道隆の食べていた宴会のごはんが、円筒形の大盛だったかどうか、私は知らない。
遠い世を我が世と言ったあのひとに糖質制限教えてあげたい
老いの身の高脂血症厭えども古代チーズを明日は造ろう
古代チーズのレシピは、クックパッドなどで見ることができる。
ひたすら牛乳を煮詰めるだけでできるようだ。