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後から考えたらムカつく!遅れてやってきた怒りとの向き合い方。


結構前に、友人から強くおすすめされた映画があって、実話が元になっているということもあり、見てみたんですよ。

そのタイトルは「罪の声」。

小栗旬さんと星野源さんのW主演で、昭和の未解決事件「グリコ・森永事件」をベースにしています。

ちなみに、小栗旬さんの主演作品は僕が見た限りだとハズレがないので、見た理由はそれも込みです。


実際に起こったこのグリコ・森永事件では、脅迫テープに数人の子どもの声が使われているんですよ。

罪の声では、子どもの頃の自分の声が犯行に使われていることを大人になってから知った主人公の、罪悪感や苦悩も描かれています。

脅迫テープは、知らない大人に脅されて録音されたのではなく、身近な大人がメモを渡してきて「ちょっとこれ読んでくれる?」という感じで子どもに頼み、その声を録音したんですね。

この映画を見ながら、「自分の声が犯行に使われているのを知って、こんなに苦しむんかな?だって知らずにやらされたことやし」と考えたのですが、こんな大事件になって日本中が大騒ぎしたことを思ったら、さすがにノーダメージは無理かと思いました。

されたことの酷さは
後になって分かるときがある。


このように、子どもの頃は何も思ってなかったことでも、大人になってからされたことの酷さに気づくことってよくあるんです。

その最たるケースが、性被害です。

子どもを狙った性被害の何がおぞましいのかと言うと、大人になってからされたことの酷さを否が応でも理解せざると得ないときがやってくるからなんですよ。

その瞬間、筆舌に尽くしがたいほどの嫌悪感や吐き気、憎しみに襲われることがあるとよく聞きます。

子どもの頃は自分が何をされているか分からないし、なんとなくの気持ち悪さや居心地の悪さを感じることはあっても、加害者である大人は笑顔を向けてくれているし、状況がよく理解できないんですね。


過去に、子どもの頃に性被害に遭った女性と付き合ったことがありますが、彼女はそのときの様子を淡々と話していて、「もう済んだことだからどうでもいいけどね」と言いつつ、深い闇がしっかりと根付いていました。

なぜなら彼女は、男性を見下しているのに、自分の身体をわざと軽んじるような環境に身を置いたり、レ○プものの官能小説ばかりを読んでいたからです。

それが過去の出来事と結びついているかどうかは、本人にしか分かりません。

でも、「性被害に遭った子どもは性を激しく嫌悪するか、逆にのめり込む」という話を聞いたとき、彼女は後者なのかもしれないと思いました。

子どもはいつまでも
子どものままじゃない。


性被害以外の例だと、親の暴言や暴力もそうです。

子どもの頃は「私(僕)が悪い子だからお母さん(もしくはお父さん)が怒るんだ」と思っていたことも、大人になってから自分の親の異常性に気づき、そこからクズ親認定するケースはものすごくよく聞きます。

しかも年齢が上になるにつれて、「よその家の在り方」が分かることが多いので、そこで初めて比較対象ができたことで、自分の親のありえなさに気づく子どもはよくいます。

今までほかの家のことを知らなかったから、自分の親が普通で、どこも同じようなもんだろと思ってるんですよね。

でも、気づいてしまうんですよ。

「あれ?この子のお母さんめっちゃ優しくない?うちの親、こんなことしてくれない」
「この子のお父さんすっごいちゃんとしてるんだけど。うちの親、ちゃんと働いてないのに」

このように。

しかも、よその家のお母さんやお父さんは暴言を吐かないし、暴力も振るわないことが分かったら、そこからいろんなものがガラガラと崩れてしまうんですね。

そのときに受けるダメージは、かなり強烈で深刻だとよく聞きます。

「自分の親がまともじゃなかった」ってなかなか認められないし、自分はその血を引き継いでいるという苦しみもあるからです。

自我は遅れてやってくる。


ほかにも、ろくでもない男性と付き合ったり関わったりして関係が終わったとき。

そのときは、怒りも何も感じてないという女性がいるのですが、後からされたことや言われたことの酷さを認識すると、やり場のない憎悪で苦しむことがよくあるんですよ。

実際、「今になってこんなに怒りが湧いてくる自分がおかしいのではないか」と不安になって、カウンセリングに申し込まれた女性は沢山いらっしゃいます。

これは、かつて自我を封印されてしまっていたのが、開放されたことにより、怒りや悲しみを感じるようになったのでむしろ良いことなんです。

しかし、長期間に渡って相手に苦しめられていて、しかも女性側の執着が酷ければ、どこにぶつけていいか分からない憎悪を持て余してしまうということが結構にあるんですよね。

遅れてきた怒りや悲しみに
折り合いをつける方法。


これまでにお話した事例のように、されたことが酷すぎるのに、そのときに怒りや悲しみを自覚できない場合、後から来る反動に苦しめられることは珍しくありません。

この反動をどうやって処理するかと言うと、「自分を傷つけた相手を恨みながらその人物のせいにして生きていく」か、「前を向いて歩き、思い出すことを少なくする」かのどちらかなんです。

紆余曲折はあれど、最終的にこの二択になるんですよね。

これらの選択以外だと、傷つけた相手に復讐するという手もありますから、それが実現できるのであれば、法に触れないやり方でやり返してもいいと思います。

韓国ドラマ「ザ・グローリー」の台詞でもあるように、許すことで前に進める人もいれば、復讐することでしか前に進めない人もいますからね。

でも、それが叶わないとなれば、前述した二択になってしまいます。


今回の記事で何が言いたいかと言うと、大人になってからされたことの酷さを自覚して、急に怒りが湧いてきたとき、焦らないでほしいということです。

これはある意味、眠っていた記憶を違った形で掘り起こされたという状態でもあるので、当時とは違う感情を抱くことに対して、最初は酷く戸惑うと思います。

そのとき、無理に怒りを鎮めようとする必要はないし、できるだけ健全な形でひとしきり怒りを発散することができたら、少しずつでいいので前を向いていきましょう。

【健全な発散方法はこちらから】


その際、相手のことを許す必要はないし、ムカついたままで構わないし、復讐できるならしてもいいです。

でも、自分自身と自分の人生をより良くすることだけは、どうか忘れないでください。

遅れてやってきた憎悪や絶望に支配されて、そこから進めなくなってしまう人も多いので、そのような悲しい事態にならないように気をつけたいところです。


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