
どれだけ頑張りゃいい?周囲に認められる自分になるために必要なこと。
「私はできている」
という自己申告に秘めた罠。
僕がホストクラブを経営していたときの話です。
あるホステスの女の子が、九州から出てきたばかりで家がなく、働いているお店のママの自宅に住まわせてもらっていたらしいんですよ。
「家があるのはありがたいことだけど、気を使うことが多いから、早く一人暮らししたい」と彼女は言ってました。
この子の不満はそれだけではなく、働いているクラブでの接客中にママと席が重なると、お客さんに嫌味めいたことを言われるのも嫌だったそうです。
「仲良いお客さん限定ではあるんだけどさ、ママが今私と一緒に住んでることをお客さんに言うでしょ?
そんときに、『この子は本当に何もしない』『掃除ができない』とかって言うの。
私、ちゃんとしてるし、それ言われるのが本当に嫌!」
家に住まわせてもらってるからと言っても、そういう扱いをされるのは嫌やなあなんて言いながら聞いていたのですが、このときはてっきり、ママである女性が話を盛ってネタ扱いにしてると思ってたんですよ。
それからほどなくして、僕はこの女性と付き合うことになったのですが、彼女は家がないこともあり、いきなり同棲生活のような形で交際がスタートしたんですね。
そしたら、この子は携帯ばっかいじって、本当に何もしないんです。
そして、掃除もできないんです。
「え、ママの言うてることほんまやん」と思ったのですが、彼女は「自分はちゃんとできている」と思い込んでるんですよね。
この子とはほかにも色々あって、結構早い段階で付き合ったことを後悔したのですが、自己評価の高さと実際のその人は比例しないという事実を、思えばこのとき初めて痛感したのかもしれません。
自己評価が高い人だと
周りが気を使う羽目になる。
自己評価が無駄に高い人は、総じて“できている基準が低い”ところにあります。
つまり、一般的に見て「これはできている」と思われるレベルよりはるか下が、自己評価が高い人の「できている基準」になってるんですね。
たとえば、自分のことをイケオジだと思っている50歳の男性がいるとしましょう。
でもこの男性は、顔がたるみ、しわやしみもあり、ちょっと頭髪が薄くて、お世辞にもスマートな体型は言えない。
しっかり、年相応のおじさんなんです。
でも、職場に太鼓持ちが上手い女性社員がいて、「○○さんって若く見えますよね」「○○さんってモテるんじゃないですか?」なんて言われ続けたら、勘違いしちゃうんですよ。
本当の50代イケオジとは、反町隆史さんや吉川晃司さんみたいな人を指すのに、そこを基準にしてないんですよね。
ちなみに、飲み屋さんで働いている女性が必ず言うことがあって、それが何かと言うとこれなんです。
「俺いくつに見える?って聞く男の人いるけど、めっちゃ嫌!
これ聞いてくる人に限って年相応だし、しっかりおじさんだし、しかも若いつもりでいるから、変な気も使うししんどい!」
このように、無駄な自己評価の高さって、周りに迷惑をかけることも多いです。
でも、関わっている人は本当のことを言うわけにはいかないし、言ったら逆恨みされそうだから言えません。
すると、おじさんたちの自己評価の高さは、どんどん拍車がかかるというわけです。
基本的に若く見えるかどうかの基準って、
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?