イケメン官能絵巻のはなし
ー新潟県・国上寺ー
昼のワイドショーで気になるニュースが流れた。
見出しは「イケメン官能絵巻」だ。
今年の4月、あるお寺が本堂の外壁を、裸の男性が戯れる壁画に新調したことについて、議会などで揉めているとの内容だった。
渦中のお寺は、新潟県燕市の国上寺。
検索してみると、709年に建立された越後最古のお寺だ。
国上寺側が「若者や女性のお寺離れに歯止めをかけるため」との理由で、
日本画家に依頼して、本堂の壁画を新しくすることにしたらしい。
描かれている人物は、国上寺にゆかりのある人物で、
酒吞童子、源義経、武蔵坊弁慶、良寛和尚、上杉謙信
ほぼイケメン、ほぼ裸だ。
ということで、いろいろと物議を醸しているようだ。
宗教や歴史的観点、教育的視点など多方面から矢が飛んでくる。
それぞれの立場や考えから意見が分かれるのは仕方ない。
斬新なことすると、叩かれるものなのだ。
というわけで、私もこの壁画について、私個人の意見を述べる。
あくまで、私個人の意見だ。
決して、国上寺や画家の方に対して、否定・批判しているのではない。
歴史があるからこそ、新しい試みを実行するのは、大変だったに違いないとお察しする。
やたらイケメンなのも裸なのもどうでもいい。
私もBのLには興味があるほうだ。
私がとにかく気になるのは、義経と弁慶以外、生きた時代が違うみんなが、一緒くたに描かれていることだ。
謙信と義経が同じ露天風呂に浸かるのも、弁慶が良寛和尚の背中を流すのも違和感を感じる。
さらに言えば、弁慶が義経と肩を組んでるのも、主従関係がおかしくなってしまっている。
時代の枠も、主従の関係も取っ払ったコンセプトなのかもしれない…
極楽浄土でみんな仲良く平和に暮らしている図。
そもそも鬼である酒吞童子が極楽で平和にできるのだろうか?
そういう細かいことがいちいち気になってしまう。
壁ごとで区切って、その人物と時代に合わせた構図が見たかった。
なんせ龍の表情が素晴らしいし、竜が持っている玉の描き方も美しい。
私は、史実がベースにあってこそ、そこにスパイス感覚で取り入れる遊びにセンスや美学を感じる。
言い換えれば、斬新な構図や芸術でしか表現できない人物関係を描かれても、柔軟に受け入れることのできない、頭の堅い人間なのだ。
しかも歴史あるお寺の壁というのが勿体ないと思ってしまう。
ゲームや漫画の世界なら、いくらでもぶっ壊してもらって構わない。
歴史的価値のある建造物に手が加えられ、変わってしまうのが惜しい。
大勢の観光客で賑わっている有名なお城でも、城内がコンクリートとガラスケースでは情緒もへったくれもない、心底興醒めしてしまう。
どんなに古くても、そのままの姿でひっそり佇んでいて、そこだけ時が止まっているような場所にこそ魅力を感じる。
なんだかんだ言って、ワイドショーで取り上げられたことで、私はこうして国上寺について検索したし、自分の意見を添えてアウトプットしている。
そして、おしゃべりな私が主人や友達と話すことで、どんどん国上寺を知る人が増えるのだ。
近郊であれば、話のタネにと間違いなく足を運んでいた。
それこそ国上寺と画家の先生の行動力とプレゼンテーションの賜物だ。
歴史的価値があるお寺が、新しい一歩を踏み出した。
アップデートと現状維持、趣向とプライド…
それぞれの大切にしているものが、どうしてもぶつかり合う。
新しいものを取り込みながら、国上寺がこれからも歴史を語りつづけてくれるよう、ここから静観することとしよう。