涙のない、魂の震えもある ~マティス 自由なフォルム
4月半ば、新国立美術館で開催中の『マティス 自由なフォルム』展に行きました。基本情報はいろんなところでたくさん書かれているので、さておいて・・・(雑!)
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■ マティスの洒脱と軽やかさ
マティスの画の前に立つと、自分の口角がニヤヤッと上がるのがわかる。ずーっとにんまりして、きっと瞳がキラッキラしているだろうって思う。
若いころは、「誰でも描ける雑な落書き」なんて思っていたし、線は太かったり大柄だったり。何なら修正テープもバリバリだし。
それでいて、なんといっても洒脱!
どうしようもなく垢抜けダンディー。
色彩はモーツアルト。マティスの配色や色はルールなど軽く超えた世界にある。サインの線もいっちいち格好良い。
クロワッサンとレモンソースとエスプレッソが似合う。南仏。南風。なんだそれ。いちいちごめん。
ともかく。最高に胸が躍る。軽やかに高鳴る。釘付けになってしまう。
■ 魂に訴える作品
例えば、ゴッホなんか圧倒的だけど、絵画の前に立つと、背景やストーリーなどすっ飛ばして、ただ目の前の画に純粋に胸や涙腺がパンッパンになることがある。涙が、勝手に溢れる。美術への造詣は深いわけでもない私にとって、それがバロメーターになっている気がする。
魂に訴える筆力ってやつかな。
マティスには泣かない。ていうか、すごくに軽やかな気分で、心地よさのなかで離れがたくなる。マティスが描いている様子を想像したり、”まとも”に描かれた画が試行錯誤しながら崩されていく、キャンバスの見えない重なりをコマ送りのように浮かべてみたりする。
わたしの魂は震えている。
少しちがうかも知れない。魂は震えて涙する代わりに、ステップを踏んでいる。そういう画家、作品もあるのだ、とマティスが教えてくれた。
後世でも人々を惹きつけて止まない、「名作」には、圧倒的な理由がある。
■贅沢すぎるマティス年
つい昨年8月は、新東京美術館で、ポンピドゥ・センターの大改修にともなう大回廊展があった。
マティス 自由なフォルム展はコロナで延期となり、今回の開催が決まった。苦い偶然から半年強のうちに大型マティス展が続くという奇跡?が日本に降臨した。
8月の展覧会は、礼儀正しいデッサンをしていた若いころから、器用すぎる天才が画風の大遍歴を度々起こす流れをじっくり追うことができた。
今回は、後期に取り組んだ「切り絵」、ブックデザインや教会や舞台の衣装、壁画などが主体の展覧会という情報だった。
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実際は、思うより初期~中期の作品も展示されていて大感動! 作品数は想像を超えていて、時系列の作品の並べかたも見やすかった。大好きな切り絵やブックデザインもたくさん観ることができた。
■ 彩光を計算し尽くした美しい礼拝堂
私のもう一つの目的は、マティスが設計から例祭着までデザインした、南仏・ヴァンスのロザリオ礼拝堂の撮り下ろし映像である。
マティス先生は、12ヶ月24時間の光の変化を想像して、ロザリオ礼拝堂のステンドグラスと内装の彩光をテーマに設計を手掛けた。
8月の展覧会でもあって、あまりの美しさに立ち尽くしてしまった。
私のうっすーい清らかさが、全力で表に出てきて、亀の甲羅干しのように教会の光を浴びたがっていた。もう一度経験できるなんて・・・!
実際は、8月の展覧会より遥かに良かった。
呆れるほど平べったいけど、天使とか天国とかやすらぎが降り注ぐとか、静寂とかさえずりとか。そういう感じ。ずいぶんと長いこと、礼拝堂ブースで過ごした。
本物を体感したいなぁ・・・。
飛行機と船の恐怖症克服プログラム、もう一度受けようかな。
■ マティスの生涯
マティスの生涯、画や造形などには触れなかったが、多くの場所で説明されているので、どうかどこかでご確認を。
マティスは生まれながら身体が弱く、生涯で幾つもの肉体的困難や人間関係の苦渋も経験している。制作での苦悩や葛藤も伝えられているし、車いすで長い長い筆を使って製作している写真もある。
マティスの特徴は、天才がザザッと描いたような画だけれども、本当は何度も描き直し描き崩している。
ゆえに、当然マティスの作品は本来、決して、天真爛漫なだけでは無い。だけど、受け取ったわたし は 軽やかで明るい気分になった。人それぞれだものね。
どう感じるか、良かったら、東京は5/27まで。まだ間に合うので足を運んでみてはどうでしょう。なんか無理くり締めてるな!
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東京は5/27まで