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母親が「若年性認知症」になったら|その1|前編  祖父母の介護~認知症発覚まで

認知症は「突然」訪れる


>認知症は認知症の家系、
>精神病は精神病の家系、でしか発症しない、

とか、

>認知症は頭を使わない、
>勉強しない、
>学歴が低い人がなるもの

という思い込み、誤解、固定観念をもっている人がいるため
まずは簡単に家族構成から、話していこうと思う



4人家族、のちに母子家庭


自分(1人っ子)、母親(1人娘)、祖母、祖父、の4人家族
母子家庭だった


のちに祖父母が他界して、
親子2人暮らしとなる



自分と母親にはそれぞれ1人っ子で、兄弟はなく、
母親には叔父とイトコのみ、

自分には三親等の親戚は一人もいなかった


父親は(お見合い)結婚後、半年以内に離婚
理由は親同士のトラブル

(先方は次男、こちらは一人娘、でお互いに自分の子供を手元に置こうとしたため)


なので自分は、父親の顔も知らないし連絡先もわからない
一度調べようとしたが、個人情報保護法に阻まれてそのままになった



大卒、教師の多い家系


母親は清泉女子大学を出た後、
高校の英語教師をずっとやっていた
1人娘

性格は激しいところもあるが、基本的に勉強熱心の努力家で、
成績は学年上位だったようだ
英検1級の資格あり
信仰にはまるタイプ、
性格はややヒステリックで発達障害(ADHD)傾向あり

離婚後は、ずっと教師の仕事
教師の仕事を辞めた後は、塾の講師や、家庭教師、生活に困った時期には保険の営業などセールスをやっていた時期もある


祖母は大正生まれ、家政学院大学出の後、お見合い結婚、嫁入り、主婦
(本人は結婚ではなく、仕事をしたかったようだ)
性格は人付き合いを好むタイプだが、信仰があり、教育やシツケにも厳しい母親と同じく信仰にはまるタイプ


祖父は東工大出の技術屋(設計技師)
人当たりはよいが、仕事に没頭して、家庭や経済には無頓着
信仰は嫌い

兵器工場で使われる、
機械を作るための機械、大型の研磨工作機械(グラインダー)の設計

性格は温厚で、工作好き、新聞の切り抜きなどを集めたり、散歩するのが趣味な人



自分は、法学部を出た後、しばらく外回りの仕事をしていた
自分は性格的には祖父に近い
(一つのことに没頭する、人付き合いを好まない、など)


祖父の両親
曽祖父、小学校の学長(校長)婿養子
曾祖母、長女


祖父には姉2人、祖母には弟1人
祖父の甥(姉の息子)は電気大学の教授


主に祖父の系統には、学校の教師が多かった


統合失調、精神疾患で医者にかかった人、
入院した人は、親族含めて誰もいなかった




>認知症は認知症の家系、
>精神病は精神病の家系、でしか発症しない、

とか、

>認知症は頭を使わない、
>勉強しない、
>学歴が低い人がなるもの



実際うちには全く当てはまらなかった。

その逆だった。



学問や、研究には興味があったが、
金銭には無頓着な家系なので、裕福ではなかった

いつも金がない、支払いが滞る、というような家庭だった


発達障害の傾向もあった


母親(いつもギリギリ遅刻する、ゴミ屋敷になる、依存癖が強い、衝動的に行動する、友人がいない

祖父(一つのことに没頭する、人付き合いを好まない、上司でも気に入らなければ喧嘩する

自分(一つのことに没頭する、人付き合いを好まない、ゴミ屋敷になる、など・・・


ただ(技術屋の)祖父(教員の)母親、
ともに仕事上のミスは聞いたことがなかった

母親は英語の教師だったが、

・非行対策の生徒指導
・弁論大会の指導、引率
・受験生の指導

などもやっていて、親御さんからクレームが来たことはなかった

母親も、また祖父も、
思い込みが強い、アスペルガー傾向ではあっても、
仕事上のうっかりミスをするようなタイプではなかったと思う。


対して、
嫁入りした祖母は、定型だったのかもしれない
人目を気にし、人付き合いもそつなくこなした

ただ後半生は娘や孫のために、信仰にはまって
「善根功徳」をよしとし、
他人に物を配りまくったために、経済的に破綻してはいたが・・・


教師だった「母親」は、

人当たりはよく礼儀正しいが、
タバコも酒もやらず、
漫画や映画にも興味がなく、

これといった趣味もなかった

強いていうなら

「仕事」が趣味
「勉強」が趣味

「子供を教える」のが趣味

他人との人付き合いは苦手だった
礼儀正しいが口数が多く、それだけなので、
親友などはいなかったと思う。


曾祖母、祖母、母親が認知症に


この中で、
うちの家系で、3人続けて認知症になった


曾祖母(90代で発症)
祖母、母親(学生時代)が2人で介護

祖父は仕事に没頭で家庭にはタッチせず


祖母(70代後半で発症)
祖父、母親(仕事帰り)自分(学生時代)で介護

祖父は転倒して腰の骨を折り、半分寝たきりになってはいたが、
体が弱っただけで、認知症は発症しなかった

温厚な祖父は昼間殆ど在宅したので、
認知症になった祖母の話し相手になっていた


そして今回の母親(62歳で発症

祖父母が相次いで他界した後で、母親と同居していたため、
自分1人で介護


と3代続いた


ただ、直系は

・曾祖母(長女)→祖父→母親

なので、嫁入りした祖母が認知症になったので、遺伝というわけでもない
祖母の血筋には他に認知症はいなかった

この発症した祖母と母親の共通点は、
それぞれ「在宅」で「認知症介護」をしていた、ということ

祖父は仕事でノータッチだったので・・・
発症しなかった



「曾祖母」の激しい認知症は、祖母が介護


曾祖母は性格が激しく、厳しい人で、
嫁入りした祖母にも厳しく当たったようだ

その後90代の高齢で認知症になり、主に祖母が介護をしたが、
嫁入りしておさんどん(家事)をやらされ

あげくに姑の介護までやらされ、、
せっかく大学を出たのに、やりたかった仕事もできず、
女に生まれたことを散々愚痴っていた

ただ結婚は当時の価値観で言えば、仕事と同じ
仲人の偉い先生が持ってきた就職先のようなもので、

相手に不満があっても別れようとかそういうのはなく、
仕事として受け入れてはいたが。


学生時代の母親も帰宅後、介護を手伝っていた


元々経済的に裕福ではなかった家なので、
母親も学生時代にバイトしては家にお金を入れていた



娘の顔を忘れた「祖母」を、母親、祖父、自分の3人で介護


祖母は母親がまだ仕事をしていた時に発症、
最初は「うちの娘がまだ帰ってこない、心配だ、心配だ」と不安に駆られ、

何度も迎えに行ったりしていたが、

やがて帰ってきた娘に
「あなた誰ですか」
「勝手に入ってくるな」
「泥棒!!」
というようになり

喧嘩が絶えなくなった


祖父、母親、自分(学生時代)の3人で面倒を見たが、
まっさきに「娘」の顔を忘れた

またボケてからは、一度も顔を思い出すことはなかったと思う。

娘のことはずっと他人扱い、
どこかのよくわからん女、侵入者扱い、娘のことだけ忘れた

祖父のことは「亭主」とわかっていたようだが、
自分のことは幼いころに死んだ弟の名前で呼び続けた(味方ではあった)


元々、母親は子供の時に体が弱く、
腎臓病で死にかけたことがあり、

祖母は1人娘の腎臓病を治すために、
医者だけでなく、祈祷師や占師を渡り歩き、

弁天宗(甲子園で有名な、智辯学園の母体宗教)に入った

信者に寄進を募るような宗教ではなく、
水の神様をたてまつる仏教の一派で、

他者への真心、慈悲、憐れみをモットーとする

教義の5行の教え、の一つ、

「善根功徳」

善い報いをうけるべき行為、
人助け、施し、を行うことで、

果報や恵みを得られるというもの


善根とは今の「福祉」と同じ意味

人助けで散財し、その結果、
今の時代の「福祉」で苦しんでいるのだから皮肉なものだが


先祖から受け付いた財産を人に配り、
欲しい人に呉服や勲章、衣装ダンスなどをあげてまわり、

満州帰りの遠縁を自宅にただで住まわせて、
大学を卒業するまでの面倒見るなど

人に尽くして、その因果を元に娘を救ってほしいと


それだけ娘のことを大事に思っていたわけで、


最初は心配だと探してばかりいたが、
顔を忘れて以降は敵視するようになり、

娘の方もその現状を
やり切れなかったのか、

仕事ばかりで家に寄り付かず、
帰ってくるのは深夜、

母と娘は
顔を合わせるごとに争い、

トイレの介助のたびに怒鳴り合い、
風呂に入れるたびに殴り合い、

祖母は外に助けを求め、
母親が頭を下げては連れ戻し、

さらに殴る、怒鳴る
喧嘩が絶えなかった


その祖母も、
3年ほどして、肺気腫で亡くなった

朝起きてみたら「あれ、、息をしていない」と

前日まで普通にガタガタ騒いでいた祖母が、

あれだけ騒いで、自分や祖父に助けを求めて、
娘を憎んで、取り乱し続けた祖母は、あっさりとこの世を去った



その後ボケてはいなかったが
半分寝たきりだった温厚な祖父も、

後を追うように半年で亡くなり、年金も途絶えた


さらに経済的に困窮することになったが、
親子2人で働き、なんとかしのいでいた



教師だった「母親」の人生


母親は学校の教師をしていたが、
元々卒業した(私立・清泉女子)は中高一貫だったため、

卒業後しばらくは、
母校での教鞭をとっていたが、
お見合い結婚で家庭に入るため、結婚退職、


ところがすぐに離婚になってしまい
(当時は親戚が「親同士のもめ事で別れさせてしまって、
かわいそうなことをした、と話していたらしい)

まだ赤ん坊だった自分がいたため、
仕事をする必要があり、


学校に戻ろうとしたが、母校の私立には復職出来ず、

公立の学校は、当時の県の「教職員採用試験」の年齢制限があり、
ギリギリ応募できなかったため、
教員免許はあるが公立の正規教員にはなれない、という状態になった

その後生涯「臨時・非常勤」で働いた


公立学校の臨時・非常勤とは
育児などで1~2年休みを取る産休の教員の穴埋めに入る仕事で、

派遣社員のようなもの


何十年勤めても年金もなく、もらえるのは月5~6万の基礎年金のみ
教頭にも校長にもなれない

2年以上同じ学校に勤めると
正規教員にしなければならない?決まりがあるらしく

いつも3年目ギリギリ手前で首を切られた
ただ仕事内容は正規教員と同等で、

・進路指導
・非行に走る生徒の監視、生徒指導

また英語の教師だったので、

・受験や留学を控えた生徒の指導、
・弁論大会の指導、引率

などを要求され、
特にトラブルもなく、仕事をこなしていた



その臨時・非常勤も応募要件があり、
50代も半ばを過ぎると、年齢制限で弾かれるようになるため、

その後は家庭教師や、個別指導の塾の講師、
営業の仕事(保険の勧誘・墓石のセールス)をしていた時期もあった

その営業の仕事で両耳を悪くし、
それもあって塾の講師の仕事も務まらなくなってきた矢先の出来事・・・



「母親」も若年性認知症・・・そして病院へ


その後しばらくして母親も62歳で認知症を発症・・・

どうやって発覚したのか



ある時、
以前、働いていた墓石の店がこの近くにあると

そこに大事なものを置いてきた、
忘れ物をしたと


当時住んでいたアパートは、
住宅街にあり、墓石屋などがある場所ではなかった

墓石屋などない、といっても

そんなはずはない、と断言して、
自分の目で確かめてくる、と飛び出していき、

他人の家の庭先で倒れ、警察に保護された


熱が出ていたのもあり、その場は帰宅したが、
それでも納得しなかったため、

交番に連れて行き、
机の上の世帯表(どの家に誰が住んでいるのか、名前が書いてある)
を署員と一緒に確認して、

ここに墓石屋はない、と確認させた
ただ熱に浮かされたように、

本当にここにあったんだ、
そんなはずはない、

とうわごとのように繰り返し、様子がおかしかった



その後、海岸に連れて行き、話を聞いていたら、

とても弱気になっており、
ここがどこだかよくわからない
もう自分は長くないと

(すでに他界した)祖父母に会いたいといっていたり、
一気に何もかもが崩れ始めたような、そんな一日だった


MRI(軽度認知障害)


いそぎ地元の総合病院の「物忘れ・認知症外来」の予約を取り、
CT撮影で検査をしたところ、

記憶を司る海馬が若干委縮している、

またCTでは委縮まではしていないが、
受け答えが不自然なところがあるため、

MCI(軽度認知障害)との判定を受けた



これが今から10年前。母親、62歳のこと。

65歳以前で発症した人のことは「若年性認知症」というらしい。
当時はその言葉を軽く受け止めていた。



今度こそは失敗しない、1人で介護生活の始まり


祖母の件もあり、
認知症介護の経験もある、

認知症が進行すると
人は、どう変わっていくのか、

家族がその負担でどう追い詰められていくのか、



自分は完全に娘の顔を忘れてしまい、
毎日つかみあい、かみつきあい、
喧嘩ばかりの毎日だった祖母のことを思い出していた

祖母の時代は在宅介護でやっていて、
徘徊こそなかったが、
祖父、母親、自分、三人がかりでそれでも大変だった。



しかも当時は薬もなく、
サプリメントも使うことがなかったので、
認知症はどんどん進行した。

奈落に向かうように、がけ下に岩が転がり落ちるように

とうとう一回もこちらの顔を思い出すことがないまま、亡くなった。



母と娘は似ている、


今は21世紀、2010年、
今度こそ失敗しないように、

世の中にあふれる(認知症に効く、治せる)という薬やサプリメントを使い

認知症を治すんだと、


・医者にいけば治せるはず、
・行政にいけば支援があるはず、
・最悪、行き詰っても要介護3の判定から特養に行けるはず、


今度は祖父も親もいない
一対一だ

もし認知症が「改善」しないのであれば、
市役所・行政・医療機関の制度をうまく利用し、

在宅で「一対一」の状況になって追い詰められないように、
今度こそうまく立ち回ろう、立ち回れるはずだ

きっと救済があるはずだ
そう思い、さっそく「行動」に移していった。



そこから10年にわたる闘いの日々が始まるのだが、、、、






次回は「中編」で、

認知症が発覚してから自分はどのような方法をとっていたのか、
最初に何をしたのか、

引っ越し、要介護の申請
行政への訴え

次から次へ、診察、検査、
山ほど飲んだ薬、サプリメント。。。

医者を渡り歩く中で何が起こったのか、


その話をしたいと思う



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~最終加筆:2021年9月28日

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