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弟から学んだこと

実家を出て一人暮らしをしていた大学生の頃、父と弟が私の住む家に泊りがけで遊びに来た。

晩御飯を作ろうとしていたのか、お湯を沸かそうとしていたのか、弟がガスコンロを触ることになった。

ところが弟はガスコンロの使い方がわからないらしかった。

「えっ!?高校生でガスコンロつけらんないとかやばいわ!」

そんなことを言ったと思う。

すると父が

「知らないものはしょうがないよね」

といつもの落ち着いた調子で言った。

はっとした。確かに考えてみれば弟が火を触る頃には実家はIHになっていたし、家庭科で実習していたとてせいぜい着火担当はグループで一人だ。

一度教えれば済むことを教えもせずに、できないことにジャッジを下す。そんな自分の振る舞いが恥ずかしくなった。

このガスコンロ事件以来、教えて済むことは教えればいいと考えるようになった。採用をやってたときも、この考えを大事にしていた。

問題は、いまできるかどうかではない。教えたらできるようになるかだ。ネクタイがゆるいとか、メールの宛名が「様」じゃなくて「さん」であるとか、玄関を出てから振り返って一礼しないとか、どうでもいい。やれるようになったら別にいいのだ。

最近、アルバイトを採用しようとして本部に申請を出した。すると、「履歴書の誤字を二重線で消しているから採用レベルに達していないのでは」みたいなことを言われ、怒りのあまりねねっちに怒涛のチャットを送ったことがあった。そんなん一回教えたら直るやろ!!!!
(追記 ねねっちに怒涛のチャットを送ったのは愚痴を聞いてほしかったからであって、ねねっちが履歴書にコメントしたわけではない。)

できて当たり前とか、知ってて当たり前みたいな考えは、大抵の場合その個人の固定観念にすぎない。誰にだってできないときや知らないときが存在していて、どこかでできるようになるだけなのだ。そのタイミングがちょっと遅いくらいどうってことないじゃないか。

父も弟もガスコンロの話などこれっぽっちも覚えていないだろうが、私にとっては印象的で気づきを得た出来事だった。

人のジャッジは慎重にしていきたいね。

(どみの)

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はもん
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