行動をつくるのは習慣ではなく仕組みである
今日、会社にハンカチを持っていき忘れた。
会社に着いてカバンを開けると、昨日使ったハンカチが入ったままになっていた。
最近ハンカチを忘れることが多く、週に1,2回は忘れている。コロナが流行りだしてから、ジェットタオルは使用中止、ペーパータオルは撤去となり、ハンカチは以前よりもさらに必需品となっている。
にもかかわらず、ハンカチを忘れる。
いつからハンカチを持つようになったかは忘れたが、5年か10年か15年か経っても未だハンカチを忘れる日があるのである。
4日前は、揃いのジャケットとパンツを着て出社したつもりだったが、会社でコートを脱ぐと着ていたのは色も素材も全く違うジャケットだった。
日常の忘れ物やうっかりがある度に思う。
習慣などあてにならんな。
習慣的にやっていることでさえこの有り様なのだから、習慣になってないことなどできるわけがない。習慣になってないから忘れるんじゃない?と言われるかもしれないが、行動を意識することなく毎日忘れずにやることを習慣だというのなら、私に歯を磨くこと以外の習慣は一生持てないだろう。(毎日お風呂に入ることは義務感からやっている)
習慣に頼るなんて間違いなのだ。自分の意思や無意識なんておいしい儲け話ぐらい信用できない。
行動を担保するのに必要なのは、仕組みだ。
玄関にハンカチボックスを置いておくとか、ジャケットとパンツはハンガーを合体させておくとか、そういうのでいい。
正直ハンカチ忘れてもどうにかなるのでそのままにしているが、本当に忘れてはいけないことは仕組みに頼るようにしている。
気をつけようとか意識しようなんて考えなくていい。大事なのは、気をつけなくてもいい仕組みをつくることだ。
身の回りのことを仕組みにするという点で、以前読んだこの本が良かった。
発達障害の人の本と銘打ってあるが、定型発達の人でも十分に役に立つ。特にケアレスミスが多い人には良いだろう。
最近部屋の片付け方を調べていて、「物の定位置を決める」という言葉と出会った。なるほどこれも仕組み化だなあ、ミニマリストは仕組み化(収納)がうまいなあなんて思いながら、ダイソーで収納ケースを買った。
上の記事に出てくる韓国のアプリなんて最高の仕組みだ。
おもしろいのが、チャレンジに参加するには「自分のお金」を人質として預けて、目標の達成率に応じて取り戻せるというルール。85%以上の達成率だと全額リターン、100%達成だと未達者の参加費の山分け+ボーナス、85%未満だと目標達成率のぶん返金(0%なら完全没収)
noteを書くことも、まだ習慣にはなっていない。というかおそらくならないだろう。
2人で運営することは続けるためのある種の仕組みである。とはいえ、さぼらないための仕組みとしてはまだ弱い。なので、もうちょっと仕組みを考えてみることにするしよう。
乞うご期待ということで。
(どみの)