認知の歪みがあったほうが幸せに生きられるかもしれない
最近よくアンコンシャス・バイアスという言葉を聞くようになった。バイアスってだいたいアンコンシャスじゃないの?と思いながらこのブーム眺めている。
現代人として、バイアスや認知の歪みはできるだけなくしたほうがいい。これに反対する人はそう多くはないだろう。バイアスは差別につながるし、認知の歪みは精神疾患の原因にもなりうるからだ。
ところが、必ずしもバイアスは悪い方向だけに作用するわけではない。
公正世界仮説という認知バイアスがある。
この世界は人間の行いに対して公正な結果が返ってくると考えるバイアスのことだ。
このバイアスを持つ人は、正義は必ず報われるし、悪は必ず報いを受けると考える。不遇な立場の人がいると、何かしら本人に悪いところがあったからそうなったのだと考える。「努力は報われる」と信じる人は、公正世界仮説を信じているのかもしれない。
ここからが驚きである。
近年行われた研究では、被害者非難を通じた公正世界仮説の信念を維持することは、短期的な小額報酬を無視して長期的な高額報酬を選好することと関連し、長期的な目標の維持を可能にしている。また、公正世界仮説を信じている人は、生活満足度と幸福度が高まり、抑うつ的な感情が減少している
被害者非難をしてでも公正世界仮説を維持した方が、その個人にとっては得なのだ。
なんだかなあと思ってしまうが、確かに努力は必ず報われると信じていたほうが努力できる人間になるに違いない。
ネガティブな人の方が世界を正しく認識しているという話も読んだことがある。ソースは探せなかったが、ネガティブな人とポジティブな人に問題を出し、それぞれに自分の正答数を予想させたところ、ネガティブな人のほうが本当の正答数に近かったというような実験だったと思う。ポジティブな人は世界をポジティブに歪めて見ているのだ。
どうせ世界を完全に正しく認知することなどできないのだから、多少のポジティブな歪みは受け入れていくのがいいのかもしれない。
他人の歪みに気づいたときに、あの人は認知が歪んでいると糾弾するのではなく、その人にとっての合理性を尊重し、受け入れていけるようになりたいなあ。
(どみの)