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展覧会最終日、ゲルハルト・リヒターを観る。

東京国立近代美術館にて開催された、ゲルハルト・リヒターの大回顧展。
最終日に滑り込んできたので、感想などを諸々まとめました。

基本的には音声ガイド、理解が足りないところはインターネットなどで情報を補いつつ執筆していきます。

あくまで一般人美術館オタクの考察ですので、その点ご了承ください。

ゲルハルトリヒターについて

『エラ』

ドイツ・ドレスデン生まれ。
芸術アカデミーで絵画を学び、かつては壁画の制作に携わっていた。
しかし東ドイツの社会主義国家に窮屈に感じ、西ドイツに移住。
その後さまざまな表現方法を確立し、現代を代表するアーティストとなる。
生誕90年、画業60年。

ゲルハルトリヒターの作品群

①ビルケナウ

強制収容所で撮影された写真をベースにした、4点の巨大な抽象画。
本展覧会の目玉作品。

元々はフォトペインティング(後述)で描くつもりだったが、途中で抽象的な表現へと方向転換している。

この過程は、写真という具象的なアプローチの放棄とも捉えられる。

しかし、その断念を新たな創作へと昇華している点に
リヒターが持つ表現への貪欲かつ妥協を許さない姿勢を感じとれる。

また展示室には絵画、写真、灰色のガラスが設置されており、これはリヒターが好む展示方法。

空間にイメージを反復させることで、歴史的な悲劇が繰り返されることを暗示しているらしい。

3つの異なるメディアでの反復によって、
「私たちが何かを書き表すことは可能なのか」
「思い起こし記憶することは果たして可能なのか」
との問いを投げかけている。

②グレイ・ペインティング

グレイ一色のカンバス。

民主的な社会における平等、均等さを表す一方、
リヒターにとってグレイは「無」をも意味する。

音楽家・ジョンケージ(1912-1992)が残した名言
「私には何も言うことがない、だからそのことを言う」をリヒターは”私たちが知りうること、言いうることは実に少ない”と解釈したそう。

この事実から、作品を通じて「概念的な事象における人間の無力さ」を表しているとも捉えられる。

③カラー・チャート

『4900の色彩』

グレイペインティングとは対照的なイメージの作品。
25色×196枚の整列。

既存色を用いることでレディ・メイド*的な要素をもたせつつ、25色のランダム配置で偶然の発生をも体現している。

レディ・メイド:既製品を芸術作品とする価値観。

④アブストラクト・ペインティング

たっぷりの絵の具を塗って、削ぎ落とす手法。
ヘラやスキージを用いる。

この手法は描きながらモチーフを展開するため、
「偶然の発生」「リヒター自身の操作」によって作品が生み出されていく。

コントロールできない芸術を重んじるリヒターの哲学が、色濃く現れているといえる。

「世界像はなく、これまで知られたことのない自由という新しい状況を書き得なければならないからだ」

⑤フォト・ペインティング

写真をベースに描かれるが、ハケで全体をぼかしている点が特徴的。
これによって、ソフトフォーカスを用いたような仕上がりになる。

また大衆的イメージを用いたポップアートの影響も受けている。

「何を描くか」「何色を用いるか」などの主観的判断ではなく、「どの写真を題材とするか」という選択に重きを置くことで、作り手による相違(個性)が発揮される次元を従来とは異なるものにしている。

絵画のアイデンティティを否定しているように見える一方、
写真ではないという事実が、逆に絵画作品であることを際立たせているようにも見える。

絵画、写真それぞれの要素を併せ持った作品は、
それぞれの特性・役割について考えるきっかけにもなる。

⑥オイル・オン・フォト

『2015年3月3日』

プリントされた写真に、絵の具で抽象的な表現を加えた作品。

写真はいま目の前で繰り広げられる映像そのもので、絵画には常に現実性がある。(作り手が”いま確かに描いているもの”という点において)

これは「写真のような絵画」なのか、はたまた「絵画のような写真」なのか。
どちらがより正当性のある”いま”で、名称たりうるものなのか。
観る者に考えさせる。

タイトルが日付で統一されているのも、面白い。

⑦アラジン

不規則に広がった塗料をガラス板に転写した表現方法。
藍染めなどを彷彿とさせる。

塗料の広がりという「偶然」を、ガラスに移すまで作り手が「操作」する。

アラジンという名称は「豊かなイメージが幻想的で、物語的だったこと」から、名付けられた。

リヒターが描く人物像

『トルソ』

リヒターは西ドイツに移住後に写真を描き始め、これによってさらに純粋なイメージへの接近が可能となった。

リヒターは人物を写すとき、等しくボケたイメージを用いる。

リヒター個人の感情に囚われない人物の姿そのものを描く一方、多様な人物のなかに親族を紛れ込ませることもあり、そこに普遍的な血縁愛も見てとれる。

感想

リヒターの表現テーマは、「偶然」と「固定概念の瓦解」である。
作品を目で耳で体感し、そう感じた。

アブストラクト・ペインティングでは流れに身を任せ、アラジンでは心ゆくまで偶然を操作する。

本来作り手に委ねられている題材、構図、色彩等が描く前から決定しているという点で、フォト・ペインティングも偶然的な要素の組み合わせであると捉えられる。

作り手のエゴに左右されない普遍的な共感を目指していたのだろうし、それを十分に感じられた。

また絵画と写真の役割を考えるきっかけを得たことも、表現を理解するうえで大きな糧となった。

リヒターにとって絵画と写真に境界はないのだろう。
どちらも人間が媒介し、確かに表され、目の前に存在するものである。

「写真の方が事実に即している」「絵画の方が芸術的要素が高い」などは思い込みであり、そういった表現に対して無意識に抱いていた役割分担、優劣を崩壊させられた。

「絵画とは表現とは何か」という問いに対する、リヒターのあくなき追求心に感嘆せざるを得ない本展覧会であった。

参考サイト


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