9年使ったリュックを手放して~物について考える~
はじめに
9年使ったリュックと私の思い出
手放した理由
新しいリュック
はじめに
今までの人生で、同じ物を9年も使ったことがなかった。
そもそも、9年も使える物という時点でなかなか限りがある。
普段自分が生活している物は、主にカバンなどのガタが来ない限り長年使物、よほど気にいらない限り、教科書や本などの一時的に使う可能性が高い物、そして洗剤やトイレットペーパーなどの消耗品の主に3種類に分けられると思う。
この3種類の物の分類の中では、言うまでもなく、使っていくうちに思い入れが強くなるのがガタが来ない来ない限り長年使うものだ。
9年使ったリュックと私の思い出
私が、手放した水色のMILLETのリュックと出会ったのは、確か中学1年生の時だったと思う。もはや、大分前の事過ぎて、はっきりと覚えていないレベルだ。
中学と高校は指定のカバンだったため、リュックで学校に行くという事はなかったが、学校行事の際、卓球の試合の時は必ずこのリュックで行っていた。
なので、このリュックには試合に負けて泣いた日のことや、試合帰りに皆でアイスを食べたことや、山が見える田舎でジャンプして写真を撮ったことなど部活時代の全ての思い出が詰まっている。
また、大学に入ると指定のカバンなるものがなくなり、私はこのリュックで通学するようになった。と言っても、2年生から例のウイルスが蔓延し、大学に行く頻度も少なくなったが、1年生の時は毎日このリュックで学校に行っていた。
大学に行かなくても、課外活動というべきか近所の古民家さんのおかげでできた、琵琶湖の漁師さんの船に乗ったり、社会福祉施設を訪問するときも、このリュックを連れて行った。
また、大好きなおばあちゃんの家、友人と道後温泉や和歌山に行った時、一人で18きっぷで北陸を旅したとき、お世話になった人に会うために、青森県と岩手県に行った時も、このリュックを連れて行った。
思い出せばきりがないくらいの思い出が詰まっているのがこのリュックなのだ。
手放した理由
いつしか、このリュックは選択しても落ちないくらいの黒い汚れが出来ていた。リュックの色が水色ということもあり、死ぬほど汚いわけではなくても、黒い汚れは少し目立つ。
私のきちんとした母親の教えに、「靴やコートなど身に着けるものは綺麗で清潔なものを使う」というものがある。
私はあまり身に着けるものに気を配ることが出来ないことがあり、毛玉が付いたコートをお正月に来ていたら、「何で死んだ猫の毛みたいなコート着てるの。」と言われたくらいだ。(苦笑い)
きちんとした母親でも、このリュックに関しては、気が付いていないのか何も言われなかった。
しかし、母親以外の数名に、「もうそのリュック変えたら?」と言われることがあり、流石の私でもこのリュックをこれ以上使い続けることは出来ないと感じた。
現在、私は人生の相棒に新しいColemanの緑色の前よりも容量が大きいリュックを買ってもらって、そちらを新しいリュックの相棒としている。
これは2か月早い誕生日プレゼントとして買ってもらったものだ。
前の章で書いたように、私の9年使ったリュックに対する思い入れもあり、これは変えるべき時期が来ているのに、自分ではうじうじしてしまい、買わないので、他人に買ってもらうと、大切に使えると思ったので、買ってもらった。
新しい緑色のリュック
9年も使ったリュックを手放すのは、今まで使ったどんなものを手放す事よりも寂しかった。しかし、私には新しいColemanの緑色のリュックがいるので、このリュックを30歳くらいまで色んなところに連れて行って、使いたい。
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