私が考える「魂」の医療
今日は、ちょっと小難しい「哲学的」な話をします(?_?)
まず私が、㈶日本メンタルケア協会の「メンタルケアスペシャリスト」の認定を受けた時に学んだ中で、自分がメンタルヘルスナビゲーターとして中心軸になっている概念をお話致します。
結論から先に言いますね。
「魂へのメンタルケアとは、生きるための土台自体の枠組みを構築し、それを育み、支え、癒し、励ますこと。そして、それに意味をもたらすこと」であると言えます。
魂は、人間を有機的統合体としての根幹を成すものです。私が考える「魂の医療」とは人生そのものをアクティブに信じることができるように援助することを指します。
現代の多くの人達は魂のエネルギーが不完全燃焼を起こし、精神が疲弊し、傷ついているという状態です。
なので、現代の多くの人達は、その魂の癒しを求めていると言えます。
現代の社会構造は、非常に複雑化し、異常な環境的要因で、人的環境が正常な人格形成を歪めていると言えます。
AIの開発など、物質的には豊かになった反面、人はどこかに満たされないものを持っていると感じます。
現在のコロナ禍をはじめ、社会の将来の行く末は極めて不透明です。
家庭環境と家族関係の希薄化・偏った物質的価値観・競争主義・能力主義などが社会的格差を生み、偏った資本主義を中軸とした、歪んだ社会構造が我が国に蔓延しています。
なので、特定の人だけが問題を起こすのではなく、その社会・世界に住む人々全員が、否が応でもその影響を受けます。いわば、ネガティブな側面が反比例して、グローバル化していると言えるでしょう。
このような社会構造に問題がある上で、個人レベルで考えた時、4つの問題があると考えます。それは、
「孤独」
「愛の欠乏」
「生き甲斐の喪失」
「将来の希望の喪失」です。
現代人は豊かなになった経済水準を保つために、必要以上なものを追い求めて無意味な背伸びをしています。
経済的な豊かさを確保するために多くの犠牲を払っています。経済的な安定を得るために時間に追われて、他者とのこころを共有することが少なくなっています。
それでも現代人は、孤独感というものに背を向けながら、個人主義的な傾向や自分の欲望を実現しようとしますから、人に対する思いやり、優しさを失っています。傷ついた人や社会的に弱い人への慈しみや労りも少なくなり、人間の理性的なこころが育まれていないと思います。
このような孤独感や愛された経験が少ないことが、結局、人間の生きる力を損なっていると思います。
その歪みが、精神的安定を失ったり、こころの傷となり、あるいは自分自身を見失ったりする問題(自己喪失感)を生んでいると考えます。
人間が、このような社会構造の中で生きていくには、自分の存在をどの枠組みで捉えるかと言うことが大切になってくると考えます。
それが生きるための土台になると言えます。
その要素には人によって考え方が違うと思いますが、少なくとも3つあると思います。
それは、
「自己」
「社会」
「自然」です。
私たちが生きていく上での「生活の枠組み」です。
人はこの3つの要因によって健康的な関係を構築し、バランスを取りながら生きているのです。この3つの関係が上手くいくと、人は充実感を持って「健康」でいられ、将来に「希望」が持てると考えます。
しかし、私はこれだけでは不足だと考えます。
私はこれに、もうひとつ大切な要素が必要だと考えます。
それは、人間を超越した「神」(※)というものを加えて、4つの要素で「生活の枠組み」を構成しているという概念を持っています。
つまり、
「自己」
「社会」
「自然」
「神」です。
(※)但し、ここでひとつ注意しておきたいのは、私は「神」という存在を、宗教的な概念での「神格化」されたカリスマ的な存在や、絶対帰依の対象とは考えていないのです。宇宙、森羅万象を司る、普遍的、且つ、本質的なものの「象徴」として捉えています。
私個人の話になりますが、以前私は、ある新興宗教を信仰していました。しかし今になって思うと、信仰心というより、「神とは何ぞや」「神の正体とは何か」という「好奇心」であったのだと思います。「尊敬」や「畏怖」や「崇拝」としての対象ではありませんでした。
その時、熱心に教義を学び、献金奉仕や入信者の勧誘をしていました。教義自体は私の考えとウマが合っていたので受け入れやすく、その教祖(故人)のことを徹底的に追究しようと思い、その宗教法人の専従者(職員)になりました。
専従者になって、一信徒ではなく教団の運営をしていかなければならない立場になり、たくさんの信者さんへの指導や叱咤激励、祭祀での儀式、信者さんへの献金奉仕や入信者獲得のモチベーションアップのための実践などなど。
結局は、普通の会社と何ら変わりのない「人・物・金」集めに翻弄する毎日でした。
教団を維持していく為にはそれが専従者としての仕事ですから、割り切って一生懸命やっていました。
しかし専従者として、教義を説いた教祖のことをもっと知ろうと奥座敷を追究していくうちに、教祖も一人間であり、決して神と呼ばれる存在の化身ではなく、ひとりの思想家であり哲学者でもあり、崇拝する対象の象徴としての偶像的な御神体はありましたが、私の望む「神とは何ぞや」「神の正体とは何か」というもの。つまり、それまで思い描いていた「神」というものは存在しないということが分かったのです。
それで、その宗教法人の専従者を辞め、信仰自体からも離れ、「神」というものを、人間を超えた、宇宙、森羅万象を司る「大いなる存在」として捉えるようになり、実在はしないが実存する「原理原則・法則・摂理・真理・実相」それそのものであり、あらゆる全ての「力への意思」として捉えるようになりました。
その上で、これらの要素が人の生活の中で調和がとれているとき、肉体的にも精神的にも霊的にも健康に過ごすことができると考えます。
人は自分の生きることの意味や死を考える時、この地上の生命だけが全部だとは考えられない、根拠のない期待感を持っています。
だから、まるで宙をつかむように宇宙を科学する研究が行われているのだと考えます。
どんなに一生懸命に働いても死んでしまえば全て終わりだとなると、人生は虚しくなってきます。
ですから人は、全てのものを司る、全知全能で、我々を統治して、救世主としての「Who(誰)」かを切望しています。
私はそれを「大いなる存在」だと言っています。
どの民族でも古い遺跡から宗教的装飾品や祭壇、あるいは神の像が発掘されています。人間のこころの深層部に魂の渇きがあって、神を必要としていたのだと思います。それを名づけるなら「魂の渇き」あるいは「魂に絶対必要な何か(What)」と呼べるでしょう。
魂はこころの深層部(いわゆる潜在意識の領域を含む)にあって、人間を身体的・精神的・霊的に根底から支えている土台であると考えます。それはまた、人生に意味や価値観を与えるもので、「人生を歓喜に満たせてくれるエネルギー源」ともいうべきものです。
ここで魂(soul)とメンタルヘルス(心の健康)について、どのように関わっているのかを考えてみたいと思います。
人はみんな何かを頭脳で合理的に計算したり、言語化したりします。そしてそれを合理性、科学性と言った枠組みで構築し、それを重視して基準としています。
しかし、この世界とか、あるいは、世界の出来事は、合理的に説明できるものだけで出来ているとは考えられません。
つまり、もっと神秘的な世界、人間の能力では到底、理解できない「しかけ」「意思」があると考えます。
その神秘的な世界は、しばしば人間の能力を超えていますから、超科学的、超合理的な世界です。
人間は健康な時には合理性を頼りにしていますが、挫折や死に直面した時に、それを合理性で片づけて、それで全て終わりであると言って納得できるものではありません。
もっと別の世界があるのではないかと考えます。つまり、死後の世界、神秘的な世界があることを人間は希望します。
そのスピリチュアルな世界を、医療の世界においてメンタルヘルスの一助として目を向ける必要があると考えます。
つまり治療者は、危機に直面している人と接しているときには、人間を超えた世界を認める世界観に立ってカウンセリングする必要があるのです。
それを信じようとすることで、自分の存在意義が安定化していきます。例えば、偶然に生命を得たというような考え方から変わって、自分の人生には目には見えない存在からの意思や目的があるのではないかと考えることができます。
また、想像豊かに未知の世界が広がっていきますから、大きな広がりの中で自分を捉えることができます。そしてそこから人に対する謙虚さや、自分の生命に対する畏敬を学ぶのです。
私が過去にカウンセリングしてきた方々の問題の一つに、視野の狭窄というのがあると考えました。視野の狭さ、客観性の欠如、広義的な視点の喪失があると考えます。広い視野を据えると、自分を客観的に見ることができます。
すると自分ひとりよがりの価値観や、自分の過去に縛られている自分がよく見えてきます。
すると、行き詰った時でも、広い視野から眺め直すことによって、新たな道が見えてきます。
スピリチュアリティとは、人間には超人間的なものを掴みたいとか、あるいは万物の本質は何かを知りたいという欲求があることです。
スピリチュアルな側面に目を向ける時、人はもっと自由で解放された人生観を持つことが可能になるのです。
私はクライアント様にカウンセリングする時、スピリチュアルな要素が必要な方には、そのような面からアプローチします。
そういった意味で『人・社会・自然・神』の4つで、「生活の枠組み」を作ることで、人はあらゆる危機を乗り越え、生きることができると考えます。
生きる意味とか、赦し合いとか、本当の意味で自分を受け入れる「自己受容」とか死後の問題について疑問を持つとき、この4つの要素で考える必要があります。
もちろん、このような考え方を教唆するのではありません。カウンセラーは、自分が信じる枠組みを持っていることで、ぐらつかずに、何者にも恐れずに対応できるのです。同じ考え方を持っていない方でも、一緒に新たな可能性を探索できる余裕ができるのです。
このような対応をして行くと、クライアント自身が模索を繰り返し乍ら、自分なりの解答を見つけて、納得して、その結果として生き方が変わっていきます。
生き方が変わるという事は、自分の人生への受け止め方が変わるという事です。自分の人生を無意味とか辛いとか思っていたのが変わって、自分の人生を積極的に受け止められるように変わるという事です。
「大いなる存在」が私の人生を知っていて下さり、私の存在を承認し、私にも人間としての使命を与えて下さると信じられるようになります。
それまで悩み苦しんでいたことも、自分にとって有益なことになっていくのです。つまり、無益なことなど何もないと思えるようになってきます。
自分が「大いなる存在」とつながっていると知って、初めて自分が自分を受け入れるようになっていくのです。
言い換えると、自分に「OK!」と言えるようになるのです。無条件な赦しのこころです。
それは、生きてるうちに新しく生まれ変わるというとです。
自分の人生との積極的受容関係と言えます。
ホリスティック医学の定義では「身体・精神・魂」の全人的なケアが明記されています。
これからは「魂の医療」の時代に入ります。
人間の本質を診なければ、ただの対処療法に過ぎません。
本当に人を癒すと言うならば、「身体」「精神」そして「いのち(魂)」に対して、ダイナミックな生命の躍動がある状態が「健康」であることを意識することが大切であると考えます。
言い換えれば「いのち」のときめき、人間、初々しい心を保ちつつ、終わりなき自己実現の道を歩んでこそ、「いのち」がときめくことを忘れないで生きていきたいものです。
メンタルケアやストレスマネジメントに携わるカウンセラー、セラピスト、ヒーラー、コーチの方々にも、大切なクライアント様に対し、本当の癒しを提供する上において、ぜひ、この考え方を共有していきたいというのが私の願いです。
最後まで、ご高覧ありがとうございました。