GoToトラベルでタイに行ってみたい 《後編》
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二日目の朝。
僕の浅い眠り(同部屋の例の欧米人たちのせいだ)を破ったのは、枕元のスマホだった。
はじめは目覚ましアラームだとおもったのだが、時刻を確認すると、設定した時刻より30分ほど早い。よくよく聴いてみると、毎朝流れる「黒電話」の慌ただしい音の連打ではなく、無料通信アプリの小気味よい着信音だった。
電話に出ると相手はもちろん彼女で、話を聞くと、どうやら早朝にひとりで散歩に出かけていたらしい。ドミトリーに戻ってきたら自室にカードキーを忘れていたことに気づき玄関前で立ち往生している、ということだった。
やれやれ、と玄関まで迎えにいった。
昨夜、船着場の雑貨売り場から立ち去った後は、繁華街から一本外れた裏路地で発見した名もなき屋台で遅めの晩ごはんを食べた。彼女はこの時食べた"現地メシ"がたいへん気に入ったらしく、早起きして再びその屋台に行き朝食を済ませてきたらしい。部屋を出るときにカードキーを忘れるくらい、彼女の頭のなかはすでにガパオライスだったようだ。
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この日はBTS(もちろん韓国のヒップホップグループではなく、バンコクの鉄道会社のひとつ)のプロンポン駅周辺を散策することにした。
初日のカオサンとは街の風景が一変する。
「スクンビット(スクムウィット)通り」はタイの東西を貫く主要幹線道路で、そこに沿うようにしてBTSの高架線が頭上に走っている。プロンポンはそこのうちの一駅だ。
大通り沿いはオフィスビルや商業施設、高級ホテルなどが立ち並び、そこに観光客やビジネスマン、地元居住民といった様々な属性の人々が集まり行き交っていて、目から耳から鼻から、あらゆるものごとが雑多に五感を刺激してくる…などと元からない語彙を無理にひねり出すのはしんどいので「思っていた以上にすごい大都会だった」とだけでこの情景が伝わってくれれば、すごく効率的でありがたい。
シュプレヒコールかのようにあちらこちらで鳴り響いている自動車たちのクラクションは、街の喧騒の一端は担ってはいたが、慢性的な渋滞に対しての効果は全然なさそうであった。
発展途上国の"発展途上"というのは、先に力を得た者が語る、あとから来た者への相対的で一方的な評価でしかない
というフレーズがふと頭に蘇る。
どの国についての解説かわすれたのだけれど、たしかテレビに出演していたコメンテーターか有識者かが口にしていたとおもう。僕から言わせてもらえば、「先に力を得た」という自己評価も、なんとも傲慢だ。
僕たちはここで別行動をすることにした。
はるばる遠い土地で、ましてや勝手がわからない外国に来ていて同行者と別行動するなど考えられない、とびっくりする人は意外にたくさんいるかもしれない。
が、僕たちは自分ひとりの時間を、たとえ異国を訪れていようが関係なく確保したいし、それは長時間のなかで意識的に、また無意識的に溜まってしまう相手へのフラストレーションをリセットする為でもあり、相手に気苦労をかけさせない配慮でもある。
ただし、相手もそれを言わずとも理解してくれ、見知らぬ土地でも単独行動が苦にならない者同士じゃなければそういうことが行えないのだけれど。
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僕はひとりスーベニアショップへ向かっていた。象の型をしたアロマキャンドルが目当てだ。
キャンドルはもちろん彼女へのプレゼントだ。今回僕が持ち歩いているバンコク旅行のハンドブックに写真付きで紹介されていて、昨日僕が必死にバンコクグルメをチェックしているときに横から取り上げられて見つけた彼女が「これかわいいなぁ」とつぶやいていたのを、僕は聞き逃していなかった。
タイに滞在しているうちに渡そうか、日本に帰ってから渡そうか、悩む。
このあたりは日本人駐在者も多く住んでいて、日本語の看板もよく見かける。日本料理屋もあった。ハンドブックとスマホの地図を見比べながら、少し迷い遠回りしつつも、お目当てのショップにたどり着いた。
ショップの紹介文には日本人が経営しているお店だと説明されていたが、店に入ると現地人らしきタイ人スタッフしかいなかった。そして象型アロマキャンドルも売っていなかった。
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彼女との待ち合わせの時間に遅れてしまった。
先ほどのスーベニアショップに併設されていたカフェで、約束の時間になるまで余裕をこいてコーヒーと読書を愉しんでいたら、気づけば約束の時間を過ぎてしまっていた。もと来た道にも迷ってしまい大幅に遅刻した。
集合場所にしていたスターバックス(マクドには行こうとしないくせにスタバはOKなのが解せない)に入り、彼女をさがそうと客席を見回す。
窓際の席で、外通りの行き交う車をずっと見やる彼女の姿を、見つけた。テーブルの上のフラペチーノはまだ半分以上残っている。なぜか、昨日ランブトリー通りで買った偽物のドルガバを頭で掛けている。ごめんね、と頭をさげながら、僕は彼女の向かいの席に座った。
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ホテル屋上にあるバーに着いたときは既に席はすべて埋まっていて、僕たちは席に着けなかった。オープン時間から一時間ほど過ぎていたけど空いてるだろうと高を括っていたが、やはり駄目だった。
バンコク市街を40階ほどの高さから一望できるルーフトップバーだった。
僕が先ほどのスタバに遅れていなければ、その高層階からの夜景を眺めながらふたりで食事が、きっとできただろう。彼女に申し訳なく、すごく後悔した。
一階まで下降するエレベータのなかでも、ずっと彼女は名残惜しそうにしていた。
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結局その夜は目についた手頃なカフェレストランへ。
エキゾチックな店内の壁には写真付きメニューが張り出されている。そのなかから彼女が3品ほど選んだ。僕が「ビア・ラオ」を2杯を注文した。
バンコク最後の晩餐。明日は月曜日で、ふたりとも帰国してすぐに仕事がある。
ビア・ラオはラオスのビールなのだが、たぶん彼女は気にも留めていない。僕の想いには気づいているだろうか―――。
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「もういいよ」パソコン画面越しの百々子は浮かない顔をしていた。
外出自粛のなか数週間も会っていなかった僕たちは、いわゆる「リモート飲み」をはじめて試みていた。
いつもと勝手がちがったのか、気づけば酔いの勢いで、以前僕がタイへ行った思い出を長々と語ってしまっていた。
「タイに行きたい」という百々子の先ほどのお願いに、この状況だと年内いっぱいは海外旅行はおあずけだよ、と早々に話を打ち切ればよかった。
そして、そのまま一緒にオンラインのテレビゲームでもはじめればよかったのだ。
「で、結局その後はどうなったの? ...いやでも、やっぱりいいや。聞きたくない」
帰国後、僕のプロポーズに対する彼女の返事の内容は、細かくは覚えていない。とりあえず、もちろん断られた。そうでなければ今こうして目の前の、パソコン画面に映っている百々子と出会ってこうはなっていない。
「それにしても、なんでここで元カノとの思い出話を聞かされなきゃならないの? てかなんでよりによってその子とタイへ行っちゃうわけ? わけわかんない」と最後の方のキレ方はどうにも理不尽なのだが、百々子を怒らせてしまったのは僕だ。以前にもこのような感じのケンカをしたっけ。
男が過去の経験から学ぶことなんて、一生ないのかもしれない。結局同じ過ちをおかしてしまう。
「そうだなぁ」 百々子はしばらく不貞腐れていたが、しばらくするとこうつぶやいた。
「パタヤがいいよね。水着持ってかないと。買ってもらわなきゃ」
ばつ悪そうに俯いている僕が映っているワイプには目もくれず、百々子の頭のなかはすでにパタヤビーチにいるようだ。
いつなるかわからないが必ず行こう、という僕の返答に、百々子はにんまり白い歯を見せて笑った。
人は人と、喜怒哀楽を重ねあって生きていく。それが人生であり、旅なのだ。
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部屋の机の引き出しのなかには南京錠の鍵だけが、ある。
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