第5話 アカリのニラ玉
「もう、10時過ぎちゃったか」
私は目の前のタンブラーを手に取り、ひとくち飲んだ。
口の中にピリリとした刺激を感じ、鼻に向かって芳香が抜ける。そして喉から胃に向かってじんわりと液体が落ち、胃が温まる。
子供たち、しおりと孝太はとっくに寝てしまって、アカリも静かに寝息を立てていた。ひと息付ける時間だ。
「はぁ、アカリの病気、良くなるのかなぁ」
私は天井を見上げて目を瞑った。
「はぁ」
酒をひと口含み、ため息をつく。その繰り返し。
目の前にはタンブラーとお皿。お皿にはアーモンドとジャイアントコーン。アーモンドは私の好物、ジャイアントコーンはアカリの好物。
前はアカリも、ちょっとだけ、と言って酒に付き合ってくれたけど、今アカリは病気だし、固いものが食べられなくなったから、私だけ、ひとりきり。
「はぁ」
そんな私のため息が聞こえたのか、アカリが起きてきた。横になっていた方がいいのに。
「あれ?、タカシ、そんなおつまみで呑んでるの?」
アーモンドとジャイアントコーンを見て、アカリが言う。
「うん、ジャイアントコーン、アカリが好きでしょ?だから、買い置きがあってさ」
「あ、そっか、賞味期限、切れちゃうか」
何ヶ月も食べられなかったアーモンドとジャイアントコーン。
アカリと私は、何とも言えない気持ちになってしまう。
そんな雰囲気を、アカリが吹き払った。明るい顔で、明るい声で。
「おつまみ、なにか作ろっか?」
アカリは長い時間立っていられない。料理なんて無理だと思った。
「ありがと。でもいいよ、それよりもほら、寝てなくっちゃ」
「ううん、作りたいの、久しぶりに。でもすぐ出来る、簡単なものしか作れないし、準備、手伝ってくれる?ホントにすぐできるからさ」
アカリの目には、有無を言わせない力があった。
「うん、分かった。それで、何を準備すればいい?」
「えっとね、野菜炒めにって、ニラを買って来てたでしょ?それと卵を3個、あとはニンニクと・・・」
なるほど、ニラ玉だ。
調味料は塩とオイスターソースだけ。
卵3個をボウルに溶いて、ニラは3cmくらいに切ってあげた。
私が言われるまま下ごしらえすると、アカリは満足そうに微笑んだ。
「準備はできたね。じゃあね、あと、フライパンを二つ下ろして欲しいの」
「分かった、フライパン二つだね」
アカリはふたつのフライパンを火に掛けて、どちらにもサラダ油を敷いて、コンロの火を点けた。
「これにね、まずはニラをっと・・」
ニラをフライパンに入れると、すぐにしんなりとなる。そこに塩を少し、ニンニクを小さじ1くらい入れて軽く混ぜた。
「これでよし、あとは・・」
アカリはもうひとつのフライパンの油が十分に温まったのを確認して、溶いた卵を一気に入れた。卵はジャっと音を上げ、あっという間に膨らむ。
「ほら、フワフワになった」
アカリはその卵をざっと混ぜて、即座に炒めたニラを入れ、オイスターソースをひとまわし入れ、そしてこれもざっくりと混ぜた。
「ほら、できた」
「え?もう終わり?5分も掛かってないよ?」
「だから言ったじゃない、早いよって」
「そうか、これまでも作ってくれたことはあるけど、こんな手抜き料理だったのか」
「手抜きって、もう、ひどいわね。手際がいいって言って!」
僕たちは笑い合った。
出来上がったニラ玉をお皿に盛ってリビングに戻ると、アカリは、「じゃ、寝るね」と寝室に向かった。少し疲れたようだ。と思ったら、アカリはドアの隙間から顔だけ出して「飲み過ぎないでね」と言った。
こんな美味そうなニラ玉なんて作ってくれたのに、これが呑まずにいられるか。
そう言ってやろうと思ったけど、やめた。
あんまり酔ったら、ニラ玉の味が分からなくなっちゃう。
アカリが作ってくれた、もしかしたら最後の料理。
おいしい。
塩が効いてると思ったら、私の涙の味だった。
声を上げそうになったけど、ぐっと飲み込んだ。
ニラ玉と一緒に。