うつ状態での、大きな決断は危険。散った調律師の夢
私は7月の半ばから休職に入り、沖縄旅行から帰ってきた8月半ばには「もう前職に戻ることはないだろうな」と心のどこかで決めていた。
休職自体は3ヶ月間まで可能だったので、とりあえず9月末まで休職自体は引き延ばしつつ、今後の身の振り方を考えることにした。
妻や実家の両親、義理の両親や友達…身の回りの人たちに相談したとき、一番言われたのが「自分が本当にやりたいことをやるチャンスなんじゃないか」ということだった。
そしてそれを考えた時、ふと「調律師」という仕事に憧れを持っていたことを思い出した。
私はピアノが好きで、幼少の頃から現在に至るまでアマチュアの領域ではあるがコンサート、バンドを組んでライブ、ビッグバンドで演奏するなどずっとピアノと触れ合ってきた。
20代で音響の仕事をしていた時期があったのだが、その時にも調律師の人の仕事を間近で見ていて「素敵な仕事だなぁ」と、漠然と感じていたのだ。
40代から調律師って目指せるものなのだろうか?
色々と調べた結果、まず一番必要な聴覚は10代後半でピークを迎え、その先は衰える一方であること、専門的な知識や技能を身に着けるために2年ほど学校へ通う必要があること、その学費が高額であること、さらにその先の就職は狭き門であること、給料は決して高くないことなど、非常に厳しい世界であることがわかった。
実際に私の住む地域にある調律の専門学校のオープンキャンパスへ参加したり、講師の方に個別で相談に乗ってもらったりもした。私の聴覚で問題ないか、特別にテストしてもらったりもした。結果は問題なく調律師を目指すことはできる、ということだった。
私は大いに迷った。
一番ネックになってくるのは、やはり学費だと考えていた。
入学金と1年目の学費だけで160万円、さらにフルタイムで通学しないといけないため土日でアルバイト程度しかできず、その間の生活費が必要だ。さらに2年目もある。どう考えても非現実的である。
しかし学費の問題以上に、私はどこか自分の中に小さな違和感が残り続けていることも感じていた。
「それでもやりたいならやればいい、学費は私の貯金から貸してあげる」と妻は背中を押してくれたのだが、一言「でも、あなたはピアノの調整が好きなのではなくて、ピアノを自由に弾くことが好きなように感じる」と付け加えた。
そう言われて、恥ずかしながら、はじめて気づいた。
ずっと感じていた違和感。
「ピアノが好きだから、ずっとピアノにかかわっていられる調律師になれば幸せ」と思い込んでいたのだが、それは実は全く畑の違う話だった。
こんなことに、他の誰かから言われないと気が付けない状態だった。
今振り返ると、休職中のあの頃、私はメンタルクリニックに通ってはいたものの、全く心身には問題はないと考えていた。
だが、実際はそうではなかったのかもしれない。
うつ状態の時、何か大きな決断をすることは避けるように医師からも言われていたのだが、こういうことだったのかもしれない。
今振り返っても、この時調律師の道を選ばなくてよかったと心から思う。