「手すさび」で書いている
子どものころに小学校の先生が「授業中に手遊び(てあそび)をするな」とやかましく注意していた。なるほど、退屈な授業では、無意識に消しゴムやハサミなどをいじって気を紛してしまうのが子どもだ。「ああ、大人って、こんなこともお見通しなんだなあ」と感心していた。
「手遊び」は「てすさび」とも読ませる。
国語辞典的には「手先で何気なく、また、気晴らしでする遊び。」「手でする慰み。退屈を紛らすためにする、手先の仕事。手慰み。」ということになり、「ほんのてすさび程度の油絵」という例文をあげている辞書もある。謙遜風に使われるということは、軽んじられたニュアンスがあるんだな。
先日から狂ったように聴きまくっているpodcast番組「OVER THE SUN」(とにかく聴けば聴くほどムチャクチャ面白い!)でコラムニストのジェーン・スーさんが語っていたエピソードがある。
スーさんが先輩コラムニストである酒井順子さんとの対談で「最近は、どうも書くもののクオリティが落ちていて、てすさび風になっちゃっている気がする」とコボした。すると酒井さんは「書くものすべてを100%クオリティにするなんて到底無理。それでも70点くらいのところを目指して書き続けるのが文筆業のプロなのではないか」と教えてくれたという。
なるほど。
翻って、私のnoteの駄文たちのことを考える。これはもう完全に「退屈を紛らすためにする、手先の仕事」、つまり「てすさび」だなあ、と認識したのである。
別に反省はしない。
私は(プロのサラリーマンとして文章を書くことはあっても)、もちろんこちらではプロではない。一銭も稼いでいないし、稼ぐつもりもない。だから酒井さんのいう70点ではなく、30~50点でまったく構わないのだ。
それでも、毎日これを書き続けることがこんなに楽しく、意識の精度をあげ、生活を充実させているのだ。
こんなに素晴らしい「てすさび」に気づいた自分を自分でホメてあげたい(有森裕子風に)、というところだ。
(23/2/12)
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