“顔で仕事をする”ということ
属人的な仕事のやりかた
業務をめぐる調整ごとが発生している。
あるセクションが担ってきた業務だが、そこの責任者が私の部署責任者に「こちらは人が減らされたから、そちらでお願いしたい」と直接持ちかけ、うちの上司があっさり呑んでしまったことがきっかけだ。二人は従前からかなり“仲がいい”ように見える。
確かに面倒な作業を伴なうものだが、私にしてみれば「自分たちの本来業務を放り出しやがった。しかも親密な関係を使って頭ごなしに話をつけやがった」と見える。
勘どころがあまりわかっていない上司に説明をした。「これは面倒だから押し付けあう、というようなものではない。あちらの部署が長期的視野で戦略的にやり続けるべきものではないか」。
理解してくれた上司が先方の“お友達”に差し戻しをしたら、「●●さんにそう言われちゃ、困っちゃいますねえ」と受け入れそうなニュアンスの反応だったという。
なんだよ。できるなら、最初からやれ。
「仲がいいから」ちょっと出してみて、やっぱりダメならすぐ折れる。個人的な関係性を計算しながら業務を進めていることがバレバレである。
旧日本軍の作戦遂行を分析した名著「失敗の本質」では「可愛いあいつがそこまで言うなら」と無謀な作戦を上司と部下の“関係性”で決断していた実態が明らかにされていた。命を落とす兵卒たちはたまったものではない。
「顔が広い」はホメ言葉
私は営業職の経験はない。
しかし「対象のもとに頻繁に通って信頼関係を構築して、仕事のお願いをする」ということで言えば、記者も営業に近いことをやっているのだ。昼間には庁内を巡って顔を売り、夜は夜で会食の場を設けたり、“夜回り”と称してご自宅に通ったり。こうして「あいつは頑張っているな」「あいつなら信用できるな」と思ってもらうことが必要だ、と指導されてきた。
世界ではなんとなく「アジアはコネが優先される社会」という“常識”がある。しかし、外国ニュースを扱うセクションで外国企業と取引きする機会も多かった私から見ると、欧米系の企業だって少なからずそのやり方で業務をしているのではないか。
人間は社会を営む動物であり、「個人的な好き嫌い」が発生することは避けられない。“顔で仕事をする”“営業的なノリで仕事を取る”ことを批判しても仕方がないし、優秀な人間はそれを十分に活用して業務を回している。「あいつは顔が広いねえ」はホメ言葉なのである。それが弊社のケースのような“慣れ合い”に陥ってはいけないのだろうが。
21世紀。AI=人工知能が人間の領域にどんどん進出してくることになるのかもしれない。それでもヒトとヒトはやっぱり「感情」を通じてつながるのだ。そこまでAIサマにとって代わるような事態はなかなか想像できないな、というところである。
(22/1/21)