人相が悪い
先日、テレビニュースでリポートをしていた記者さんの相貌がかなり印象的だったので、居合わせた長男に「おい、見てみろ。これだけ人相が悪い人も珍しいぞ!」と教えてやった。すると長男はボソリと「自分だってかなりのモンだよ・・・」。
なるほど、スキンヘッドに濃い眉という組み合わせだ。それだけでも威圧感があるのかもしれない。本人は気づいていなかった。
なにしろ60年近くも毎日眺めてきた自分の顔なので、どのように変化してきたのかは認識できない。「人相」についても自分では密かに「ふむ、なかなか立派な顔立ちになったもんだわい」と思っている。
30代前半の頃だったか、高校の同級生の結婚式に参列した際のこと。卒業以来10年以上ぶりの再会になった別の同級生が私の顔を見るなり開口一番「あれあれ、どうしちゃったの?!」と驚いた。それだけではまったく意味不明なひとことだが、どうも私の外見のことらしい。
「いやあ、あの頃よりもちょっと太ったかもねえ」「いや、いや、そういうことじゃなくてさ。まあ、そうか、ギョーカイ人なんだもんねえ。なるほどねー」とひとりで納得している。それだけ印象が変わっていたらしい。「まあ、確かに薄ぼんやりとした高校生だったから、そう見えるのかなあ」と思うしかなかった。ちなみに、当時のアタマはまだ有髪(スキンヘッドではない)だった。
記者稼業になるための指導をしてくださった新聞社の恩師もこんな話をしていた。敏腕記者としてドラマのモデルにもなったという伝説の社会部記者だ。
「初任地の地方支局勤務を終えて久しぶりに親父に会ったら、『こんなに息子の目つきが悪くなるとは思わなかった』と嘆いていたもんだよ」
アメリカのリンカーン元大統領は「男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言ったという。禅では「坐禅修行を1カ月もやれば、顔立ちは変わらなくても、顔つきが変わってくる」という話を聞いたこともある。
どうも人の覚悟や気持ちのありようは、いつの間にか顔つきに反映されてしまうものらしい。一朝一夕にはどうしようもないが、人生の後半戦、なるべく「いい顔」でやっていきたいものである。
(22/2/3)