ありがたいコケ みすぼらしいコケ
「捜査している」の?「取り下げた」の?
大阪の寺院で石像についたコケがこすりおとされるという“事件”があった、とNHKが報道した。「何者かが柄杓でコケをはがすようなようすが防犯カメラに映っていた」そうで、「警察が器物損壊で捜査している」という。
副住職が「せつない」と憤慨してみせているほか、取材に対して近所の方は「みんなの思いが詰まっている」「悲しい」などと答えていて、なんとも“大事件”である。
ところが。
けさになって、「コケをはがした男性が現れた」「寺は被害届を取り下げた」という読売新聞の記事がネットに掲載された。しかも、はがされたのも、男性が出てきたのも、ともに12月のことだという。「捜査している」というNHKのニュースは何だったのか。
けさのNHKニュースはまだ「はがされました」で放送していたが、想像すると以下のような経緯があったのではないか。
まずきのうNHKが「はがされた」「捜査している」と報道した。これを見た読売新聞側が「あれ?これはもうとっくに取り下げてますやん」となって、カウンター的に「続報」をネットに掲載したのではないか。それでも「NHKの取材はいつなされたものだったのか」という疑問は残る。
石像のコケが「ありがたい」のか
ところで。
NHKの記事によると石像のコケは「戦後まもなく参拝者が水をかける風習が始まり長い年月をかけてこけに覆われたということです」とある。終戦から77年目なので一個人からすればそりゃ「長い年月」なのだろうが、こんなものは“伝統”とは呼べないし、ましてや仏教の教えとは関係ない。ただのコケである。
読売の記事によればコケをはがした男性は「みすぼらしかったので、きれいにしてあげたかった」ということで、つまり善意で行った“掃除”のつもりだったようだ。
お寺に行って仏像などに手を合わせる習慣はとても尊いこと。仏教に限らず宗教がその土地ごとの習俗と融合するのは当たり前なので、拝むのがたまたまコケむした石像だったことは仕方がない。今回は、男性がそれを「みすぼらしく放置されている」と考えてしまっただけだ。
「残念だ」とする地元の人たちが拝んでいたのはコケなのか、それともコケむした仏像なのか。仏像はコケがついていないとありがたくないのか。
人が心の拠りどころとするものはそれぞれ違っていい。他人がそれを「鰯の頭も信心から」などと揶揄するのはやめるべきだろう。そして「きれいにしてあげよう」というこの男性の心の持ちようも、根本にあるのはまた同じ尊崇の気持ちだ。
コケなんて、また数年もすれば生えてくる。これからは囲いでも作って、柄杓は長いものにしておいてはどうだろう。
(22/2/4)