見出し画像

武士道とは、マッチョで生命軽視で自己犠牲賛美で・・・

アラカンとしてサラリーマン人生の終着点が迫ってくると、さまざまな感慨がある。報道部門が長かったこともあり「会社のカネを使っていろいろなものを見に行かせてもらったなあ」という気持ちも。似たような心情として思い出したのは、壇ノ浦における平家滅亡にあたっての平知盛の辞世「見るべきほどの事をば見つ。今は自害せん」である(私が“自害”することはないが)。

「流石は日本のもののふ。なんとも潔くてカッコイイなあ」と受け止められることが多いだろう名言だが、コラムニストの小田嶋隆さんは「武士道」について「俺の嫌いなものを煮詰めて固めたスープストックみたいだ」と批判している。曰く「 秩序>自由  集団>個人  上意下達  事大主義  前例踏襲思想  マッチョイズム  ミソジニー  暴力肯定  ヤンキー秩序  ホモソ紐帯  自己犠牲賛美  生命軽視  死者崇拝」。なるほど「体育会的なノリ」の源流をここに発見したのは慧眼だし、21世紀、これからの令和日本はこれを克服することで社会の活気を取り戻すことが必要なのかもしれない。自身の心の持ちようとしての潔さと、それを下の世代に押しつけることは別物としてしっかり区別すべきである。無意識にやらかしていることも多いのではないか。

そういえばドイツ出身の日独ハーフの方が「体育会系 日本を蝕む病」という本を上梓されている。きっと同じ警鐘を鳴らしているのだろう。読んでみたい。
(21/8/26)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?