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ガラスのプライバシー

出勤途上の電車内でのこと。

スマホで見かけた記事をLINEで家族に教えようと「共有」ボタンを押したところ、共有先の候補として会社の後輩女性iPhoneが表示された。近くにいるらしいとキョロキョロしてみたが、姿は見えない。その後、会社最寄り駅ホームで会ったので雑談しながらの出勤。「共有先に名前が出たよー」と話したら、ちょっとイヤな顔をされてしまった。デジタルストーキングをしていたわけではないのだが。

こんなこともあった。

うちのマンションの高層階には居住者が利用できるお洒落なスペース「スカイラウンジ」がある。私は休日にここに籠もっての読書三昧が何よりの愉しみ。

ある夜のこと。肥満と運動不足対策でマンション内の階段を登り降りことを日課にしている次男が高層階の階段を通りかかったところ、長男のスマホのテザリング電波をキャッチした。どうやら彼女とスカイラウンジでデートをしていたらしい。もちろん家族にはそんなところにいることを知らせていなかったのに、これでバレてしまった。

便利に使っているスマホだが、ことほどさようにプライバシーはダダ漏れであることを改めて認識しなくてはいけない。

ジェフリー・ケイン「AI監獄ウイグル」(新潮社)を読もうと思っている。中国では新疆ウイグル自治区だけでなく、広く市民を“監視”しているとされるし、日本だって犯罪捜査では活用する。「見られて悪いことをしていなければ問題ないではないか」と思ってしまいがちだが、その“善悪”を権力側が勝手に判断することになれば、これはジョージ・オーウェルが「1984」で描くディストピア世界にほかならない。

それではスマホを手放せるのか。いや、ほとんど中毒と呼べるほど生活の基盤として活用しているいま、それはまったく無理。ささやかにできる抵抗は「プライバシーを守ることの大切さ」を意識して、巨大IT企業や権力の思い通りにさせないという意志を保つことくらいなのかもしれない。
(22/3/27)


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