街の息吹を感じること
奥さんの実家そばに移り住んだ友人が久しぶりに上京したので、食事をすることになった。
「早い時間から始めちゃおうぜ」と、平日なのに17時開始を画策。店を探しているなかで、昭和末期からよく行った新宿三丁目のおでん屋さんを思い出した。
寡黙で無愛想だが温かいおやじさんとおかみさんが切り盛りしていて、「おとうさん」「おかあさん」と呼ばせてもらっていた。それなのに、新宿が生活圏でなくなってからはすっかりご無沙汰してしまった。
30年前にはもうおじいさんとおばあさんだったから、店がまだ続いているかどうかも不安だったが、ネットを見ると営業はしている。やっぱりおとうさんとおかあさんはいないようだ。
予約電話で話したり店の女性に聞いて、おやじさんが数年前に逝去し、おかあさんは九州に戻ったと知った。現在のオーナーは息子さん。女性はかつて常連さんだった縁で店をまかされているという。会話の端々から我々の素性もすぐにバレていて、共通の知人の話なども出た。
解散後は三丁目から新宿駅までぶらぶら歩く。
トシとともに出不精になるとどうしても自宅と会社を往復する日々ばかりで、夜の巷を歩くことが少ない。きらびやかなウィンドウや、少しずつ戻ってきた外国人たちのざわめきが新鮮だ。
なにより。
たとえ久しぶりでも、やっぱり新宿の街はどこか懐かしくて、肌が合う感覚だった。銀座・池袋・渋谷ではこんな気分にはならない。
何かの本で読んだ。
「“東京で暮らすコスト”は街や人に接するためのもの。引きこもっているのであれば、高い家賃や物価を払っている意味はない」。
その通りかもしれない。
本ばかり読んでいないで、もっと腰を軽くしないとあかんな。
(22/12/9)