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美術史第6章『エトルリア美術』
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紀元前8世紀からイタリア中部に存在した大国エトルリアではギリシア美術の影響を強く受けた美術が形成されており、それはローマ美術の基礎になったともされ、アルカイック期、ギリシア美術が発展した紀元前6世紀初頭から紀元前5世紀前期までの百数十年の間にエトルリア美術も繁栄、エトルリアで発見されている美術品としてはギリシア神話を書いた壺絵などの他、葬儀宴会、舞踏、競技、狩猟などエトルリアの日常生活を描いた墓室壁画などがあり、実際には様々な建物に絵画装飾を施したと思われるが現在は墓室のフレスコ画などしか残っていないようで、特にタルクイーニアという街で数多くの墓室画が発見されている。
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彫刻に関してはあまり作品が残っていないもののこちらもギリシャの影響が強く、素材はギリシアが用いた大理石ではなく凝灰岩や砂岩、アラバスターなどエトルリアで取られる石材が使われる場合が多かったが、石材よりもテラコッタや青銅を用いた彫刻の作品の方がクオリティが高く、工芸品においても黄金の留め具などの金銀細工やキスタと呼ばれる道具入れや燭台、鏡などの青銅工芸が発展、また、この頃のエトルリアの彫刻家では紀元前6世紀末期に活躍したウルカという人物が知られている。
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紀元前5世紀初頭、ギリシャがペルシア戦争に勝利し古典期に入ると政治、経済の衰退により美術に関しても停滞、紀元前4世紀、ギリシャがアジアを征服しヘレニズム期に入ると墓室壁画のモチーフが宴席や競技、日常風景が描かれた明快なものから、ウァントやカルンといった魔神が多くなるなど宗教観に変化があった事が美術から推察され、彫刻はより写実的なものが制作された。
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エトルリアは土木や建築に優れており、古代ローマに絶大な影響を与え、その建築の元となったことによって評価されきた歴史があり、ローマを建設したラテン人などの周辺民族に都市建設を伝えたのもエトルリアであるとされ、エトルリアの都市建設の代表例としてはボローニャの郊外にあるマルツァボット、古代のミサノがあるがエトルリア建築の遺構は僅かしか残っておらず現存するのはペルージャのマルツィア門などの城門で、これらは概ねアーチ構造で作られており具体的にいつ頃からアーチが作られ始めたかは不明であり、また、ローマ建築最大の特徴であるアーチ建築もこのエトルリア由来である。
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一方、現存しないもののエトルリア建築の中心は神殿であったとされ、当時は数も多かったと思われ、構造的な特徴としてはギリシア神殿と違い背面に柱廊がなく正面性が重視され、基台の上に建設されたとされ、このような特徴は大抵、ローマ美術に受け継がれており、また、ギリシアでは早くに消えた木造にテラコッタの装飾を用いるという方法がエトルリアの神殿では維持された。
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しかし、エトルリア建築の中で最も特徴的なのは墳墓で、岩をくり抜いて住宅を模した墓室を作ったり、切り石を積み上げて円形や方形の部屋をアーチを模したものや円蓋を模したもので覆った墳墓は先述のエトルリアの神殿などの構造を知るのに重要な資料でもある。