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糾弾する側とされる側

非難する側とされる側。 非難する側の言い分は社会の「正義」に即していることが多く分かりやすい一方で、非難される側の心情やなぜ非難されるような言動に至ったかは見えづらい。 ただ、見えづらいことが必ずしも悪ではなく、分かりやすいことが正義ではないことを本作は我々に突きつける。


表題作を筆頭に、各編の主人公たちは周囲の人間たちから非難されたり白い目で見られたりするわけだが、主人公たちの心の中はどこが凪いでいる。正義の名のもとに糾弾する人々の言葉の薄っぺらさ、常軌の境界線を越えたり越えなかったりする主人公たちの言動を眼前に突き付けれらることで、我々の「正義」や「常識」は静かに瓦解するだろう。


善悪という二元論など存在せず、どこまでも曖昧なグラデーションを、我々は都合よく正義だの悪だのといって、他者を糾弾する大義名分を作る出しているだけに過ぎない。 そうまでして自身が正義やマジョリティの側に立っていることを再確認しないと、不安で狂いそうになるのだろうか。 こうして批評している私も自分だけは彼らのようではない、ということをアピールしたいだけなのかもしれない。

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