英雄譚へのアンチテーゼ
現代性を帯びた古典的SF作品
宗教が狂信へと変わり、政治が新たな軋轢を生み出す。
人類史で繰り返されてきたそれらを圧倒的なスケールで描き、「神話」の構築を試みる一方で「神話」そのものにも批評的な本作は、神秘的で普遍的で現代的だ。
原作に忠実でありつつも主人公ポールを英雄として描くのではなく、母ジェシカのプロパガンダに苦悩し葛藤する青年として、諦念と悟りに満ちた瞳へと移り変わってしまう悲劇の主人公として描いたことで訓話としても機能する。
そして何より、チャニというヒロインを通じてポールや救世主信仰への批評的視点を取り入れたことで、本作が古典的名作の決定版としてのみならず、ドゥニ・ヴィルヌーヴの集大成として未来永劫語り継がれるだろう。
ドゥニ・ヴィルヌーヴの作家性
「母」と「運命論」を度々描いてきたドゥニ・ヴィルヌーヴにとって、ポールとジェシカの関係性、ポールが持つ未来を見通す能力と彼の作家性は親和性が高い。
自身の救世主としての地位は、ジェシカを筆頭としたベネゲセリットたちによる、迷信や伝説という名のプロパガンダであることをポールは自覚している。
しかし、構築された"救世主"に乗っかることでしか悲願の復讐を遂げることは叶わず、修羅の道を選ぶほかに生存はあり得ない。
避けては通れない未来を知り懊悩する彼の姿は、英雄ではなく運命に籠絡された被害者として映る(「メッセージ」のルイーズにも重なる)。
また、ポールの苦悩を知りつつも水面下で"救世主"を布教している母ジェシカは、彼の苦悩の根源であり、「複製された男」でも描かれた母による支配を彷彿させる。
”救世主”神話への批評的視点
ベネゲセリットたちが熟成させた"救世主"の役割を背負う羽目になったポール。
しきたりや規則に抑圧されることを否定し、先導する存在や"救世主"の存在に批評的な視点として機能するチャニ。
"救世主"を盲信するスティルガー。
立場や考え方が異なるキャラクターを通じて、宗教や信仰、政治と個人の相互関係、物語が持つ力を多面的に描く。
たとえプロパガンダとして作り出された"救世主"であっても、それに縋り付くことでしか希望を見出せないスティルガーたち信仰者は、扇状的な物語や信仰に呑み込まれてしまう悲劇的な人物たちとして描かれている。
狂信者と化した彼らを率いることを選択したポールと、それを否定するチャニの対立構造は合理的な生存か非合理な愛かという究極の選択を我々観客に突きつけるだろう(上述した「メッセージ」の主人公ルイーズも同様の選択を突きつけられる)。
メシア的人物への警鐘という原作の主題を継承しつつ、家父長制を前提とした原作への違和感を独自の視点で探究し、換骨奪胎に成功したドゥニ・ヴィルヌーヴ。
映像化は不可能と言われ続けてきた「DUNE」シリーズを、自らの作家性・批評性によりアップグレードし、ビックスクリーンで観るべきSFの金字塔を打ち建てた彼こそが映画界のリサーン・アル=ガイブだ。
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