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この家の者は誰も働いていない  8

食べ物か運動か、からプライドまで 《母の話》

 今回は母の話だ。
 以前にも書いた通りこの母娘は、互いが向き合う時、互いに心の中で「子どもは親を通ってこの世に産まれ出てきただけの他人」と唱えるくらい、恐ろしい落差のある性格の2人であることは間違いない。

 子どもの頃、母が習わせようとしたピアノやバレエから、私は一目散に逃げ出した。そういうことよりバック転をマスターしたくて仕方なかった。
(結局、体操教室に通うことは許されなかったけれど。そして、今もできない)
 母が用意した、フリル付きのガーリーな洋服からも逃げ出した。家の屋根をエベレストのように登頂したり、近所のどぶ川をどこまで遡れるかに挑戦したかった私にとって、破ったり汚したりしてはいけないそれは、ただの拘束服だった。
(こっちは時々、私の方がやりたいことを強行した)

 お陰で散々、反発もしたのだが、私もいい年になると、さすがにこの現象は、互いの趣味が徹底的に合わないから起こるだけで、「別に私は母が嫌いなわけではないのだ」と気づいたところで一応の収束を迎えたのだった。

 だが、やっぱり趣味も考え方も合わない。2人は何かにつけて、しょっちゅう意見を違える。

 最近では健康番組の見解。
 母も父も高齢なので、かなりの割合でテレビの視聴番組に健康番組が組み込まれる。私も決して若くはないので、自分の健康には気を付けるようにはしているのだが、どっちかというと健康番組を見るよりは、ジムに通ったり、走ったり泳いだり、の方に力が入ってしまうタイプ。
 けれど母は健康番組を観ては「この食材が体にいい!」と聞くと、そこに飛び付くタイプ。そんな日は自らスーパーに出向き、番組で紹介された食材を、鼻の利く猟犬のように見つけ出して来る。
 最近ではアマニ油の美容効果の情報に(今ごろ)気付いたらしく、油の棚に目を光らせ、値段と油の美容機能の落とし所を計りながら毎回、違うメーカーのアマニ油を買い物カートに入れて来る。
 だがその姿は、幼稚園児や小学生がお母さんの買い物時に、自分の欲しいおまけ付きお菓子をこっそりカートに入れる様子にも似ていて、ちょっと笑ってしまう。

 でも、その気迫や気概があるなら母は大丈夫だろう、と娘は踏んでいるので、あえてそこは突っ込まない。

 ちなみにそういった健康番組には「〇〇体操がいいですよ〜」という運動パートだってあるのだが、そんなのは母の場合、もちろん丸無視である。
 それを知っていながら健康には運動が不可欠、が信条の私は「試してごらんよ」と声を掛ける。だが、彼女はよほど気が向いた時に1〜2回やってみて「もっと若い人向けの運動よ」だの何だの理由をつけて、そこでやめてしまう。

 以前の私なら、そこでもう一言二言「そんな風に避けてると余計歩くけなくなるよ」と、キツ目のクチバシを突っ込んでいたのだが、無理強いしても母のイヤイヤ病が発動するだけなのが分かってきたので、最近はスッとその場を離れるようになった。
 多分、私に口やかましく言われて、仮に少しばかり時間的にも空間的にも長く歩けるようになったとしても、そんなのは母の幸福にはならないだろうと思うからだ。
 私がかつてそうだったようにー。

 そしてこの軽めの介護生活になり、高齢者の観察機会が増え、そんな母を見るにつけ、人間、そういう意地やプライドがあるうちは大丈夫なのかも、と事あるごとに思うようになった。

 若い頃はプライドが高い、と自称している人たちが大嫌いだった。ちょっとでも自分が悪く言われると不機嫌を周囲にぶちまけ、ひどいとキレる。周りはそれに気を遣って「あの人はプライドが高いんだから、うかつに否定的なこと言っちゃダメよ」と周囲と示し合わせる。
 でも気を遣われたはずの当の本人は、自分以外には平気で否定的な言葉を口にし、鋭いことを言った、とばかりに悦に入る。結局、そんなの自分がカワイイだけじゃないか。プライド、なんて言えば聞こえだけはいいけれど、そんなもんただの自己チュー。百害あって一利なしって思ってた。
 ーーー今思えばそれは極端な例であって、そこまでの人は、自分が思っていたほど多いわけじゃないことも見えてきたけど。
 無論、今でもそんな奴は確実に一定数いるし、その場合はとても好きにはなれないけど、そういうプライドと同じ種類のものが、今の母の背骨になってその心を支えている。
 人の「プライド」がそんな形でも働くことを、この立場になって知った。
 だから今は、無碍にプライドを否定するような言葉を簡単に出せない。正論=正解じゃないことをこれまで以上に実感させられる。

 そして私にとっても母にとっても幸いなことに、母が自分の健康のために、運動を取り入れることも、ちゃんとある。
 話す仲間がいるせいもあるけれど、週に何回かは運動機能を(緩やかながら)伸ばしてくれる運動施設に通ってくれたりもしている。(ただ自宅で自主的に体を動かす、は決してしない)

 私は私で栄養面ではエネルギーチャージのゼリーやら、サラダチキンやら「筋肉になるもの」中心ではあるが、食べるものを気をつけたり、セーブしたりはしている。私とて、食べ物が体を支えていることをヒシヒシと感じることがあり、母の言い分も正しいと思ってもいるのだ。
 そんなことが、今の2人の関係を和らげている。

 が、健康のためには食べ物か、運動か、の決着は未だにつかない。 
 こうやって母娘の生活は、メンタル平行線のまま今日も過ぎていくのだったー。

※今回はtarostagramさんの写真を拝借しました。2人が唯一、共同で購入する栄養ドリンク系の写真が象徴的です。

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