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この家の者は誰も働いていない  4 #創作大賞2024 #エッセイ部門

プールへ行こう!≪弟の話≫


 我が家の弟はてんかん持ちである。別に何か悪いことしたわけでもないのに、こんな病気になってしまったことを、姉としてはただただひとえに気の毒だと思う。
 他の姉弟と違う育てられ方をしたわけではない。だからこそ彼を見るたび、私は“幸い”健康でいられたに過ぎないことをひしひしと感じる。

 様々な薬を試しても彼の発作は収まらず、とうとう発作を抑えるため、脳の一部を除去する手術まで受けた。
 当初、これを聞いた私はもちろん驚いた。
 脳を切り取るなんて言われれば、私の中では真っ先に『時計仕掛けのオレンジ』が頭に浮かぶ。これはロボトミー手術では?この話に出てきた凶悪犯みたいに、極端に人間味を失った従順な人間になっちゃうんじゃない??そんな改造人間の手術みたいなのって許されるの?いやいや、そもそもそれができるってぇことはこの病院、まさか『仮面ライダー』のショッカー的な組織と繋がりがあるのか??
 と、大混乱の私に、弟の担当医は「いや、そういうんじゃないから。全然別物だから。そんなことにはならないよ」と説明してくれた。
 重ねて、こういう手術は治療法の一つとして正式に存在することも、失笑しながら答えてくれた。答えてくれはしたが、そうは言われたって私ならまず、絶対にビビってお断りするような手術だ。

 が、弟はこれを受けた。
 彼は私より、ずっと勇敢な男だ。

 その後、無事に手術を成功させた弟は、担当医の言う通り、人格的におかしな人間になったりすることもなく、また大きな発作を起こして倒れることもなくなった。けれど当初、医者が期待していたようには、小さな発作の回数が減らなかった。
 弟は、それでもそれなりに元気に過ごしている。

 だが、普段は特に何ともなくても、数が減っても、発作が起これば彼は倒れる。成人男子の質量を持って倒れれば、壁には穴が開くこともあるし、人がそばに居ればケガをする可能性も考えなければならない。だから外に出ることがほとんどない。
 他の病気でも当てはまるかもしれないが、どこまでも完治、というゴールが見えない。これがてんかんという病気の厄介な点の一つなのだ。

 そうは言ってもあまりに家に閉じ籠りすぎているのは心身に悪い。別に社会に傷付けられ、自分から引き籠っている、みたいな事情でもない。手術はほぼ成功と見て医者とも相談し、調子を見ては、運動に連れ出す許可をもらった。

 最初は体育館のマシンジムで筋トレだのドレッドミル(走る、歩くができるベルトコンベアみたいな運動器具)などやらせていたが、本人の強い希望もあり、担当医に許可を取り付け、運動種目を水泳に鞍替えした。

 となると、通うプールを選ばなくてはならない。市内にはいくつかのプールがある。資金面に目をつぶれば、スポーツクラブに契約するなどすればもっと範囲は広がるだろう。弟のようなてんかんの持ち主が水泳するための相談にも、個別に乗ってくれるかもしれない。だが、何しろ我が家に労働者はいない。長期にわたって安価に利用したい、と考えれば、市民プールか県営プールのような公営のものが最適だろう。
 そこに対象を絞った。
 そういった公営プールの中でも、街中にあるプールは混む上に、駐車場も空いていないことが多いため却下。少々距離はあるが、街はずれのプールを利用することにした。そこは子ども用の滑り台なども設置してあるため、家族連れには人気のプールで、遠い割にはそれなりに混むが、それでも街中のヤツよりいくらかはマシである。

 そこに向かう長めのドライブ中、「豆腐屋」と突然、弟が話を切り出す。
 「―――??なんじゃ?それ」と返す私。
 車の運転にある程度集中している身で、これだけを言われても、何のことやらさっぱりわからない。
 「豆腐屋」
 弟はもう一度繰り返し、前の車のナンバーを指さす。―――ああ、ナンバーが“10-28”だったのね。
 手持ち無沙汰になる道中、弟は頓智トーク、いやさ、車のナンバーから言葉を作る遊びを始めたのだ。だが、それはいきなり始まる上に主語がないので、何について話しているのかが、色々考え併せた後でないと本当にわからない。

 彼は数字とか数学とかが大好きだ。だからこういう遊びが始まるのだが、だからと言って数学オリンピックに出場できるようなレベルの数学的頭脳ではもちろん、ない。いわゆる、下手の横好きだ。
 私ももちろん、そんなレベルではないので、数学オリンピックになんぞ出られなくても、何一つ気にする必要はないのだが、なぜかそこを気にする弟は、これを逆手に取って「やっぱり数学オリンピックには出られないのかーッ!」と自虐的な嫉妬芸を展開しようとする。
 南海キャンディーズの山里亮太のような方向を目指しているらしいのだが、これまた残念なほどに滑る。でもめげずに何べんでも私に嫉妬芸を披露し、笑いを取ろうとする。つまり、ネタを考えらえるくらいに頭もいいし、何度も挑戦するだけの根性もあるのだ。
 話は面白くないが、そういうとこはホントに偉いやつだな、と思う。

 ―――笑わないけど。

 そうこうするうちに目的の市民プールにたどり着く。ここは2時間単位の入れ替え制。残り1時間だと半額でプールを利用できる。そこを狙ってもいいし、気配りしてくれる受付さんなら「あと〇分で休憩ですから待っていれば半額になりますよ」とまで言ってくれる。
 とってもありがたい。ありがたいのだが、私はこのプールの後、買い物をして食事を作らなければならない。となると、たとえ15分とか10分であっても泳ぐ時間を削りたくない。泳ぐ速度は遅いけれど、私なら10分あれば少なくとも350mは泳げる。着替えの時間を見込んでも、170mくらいは泳げるほどの時間だ。弟にそこまでは要求しないが、個人的にはやっぱり時間が惜しい。ちょっとでも泳ぐ時間が欲しい。なので通常料金を払って入場することが多い。

 さて弟は、何度か触れた通りてんかんの持病があるので、気を付けたいのが着替えの時間帯だ。さすがに性別が違うので、更衣室まではついて行けないから私の目が行き届かない。だから万一、そこで倒れた場合、大騒ぎになる可能性がある。
 彼の場合、発作が起こってもしばらくすればケロッと治ることが多いのだが、そんなことみんなは知るはずもない。身近に同じ病気の人が居合わせていて大ごとにはならなかったこともあるが、油断するとびっくりした人に救急車を呼ばれてしまう。それでさえまだいい方だ。
 倒れた拍子にうっかり物を壊したり、人にぶつかって打撲などさせたら、もっと迷惑を掛けるレベルになる。それはまずい。またもう一つの可能性として、すぐに発作がリセットしないケースも想定しておいた方がいい。

 故にはじめの1~2回はヒヤヒヤしながらも、プール側の出入り口で着替えを終えた弟を待っていた。
 が、そのうち障がい者の人たちのグループがプールを利用しているのを目撃した。観察すると、彼らは「多目的室」なるものを利用している。
 彼らが帰った後のぞいてみると、そこには車いすなども用意されていた。サポートのためなら私も同じ部屋で着替えができそうだ。
 受付の人に自分たちの事情を話すと、個人利用も可能だということで快諾を得られ以来、ここを使わせてもらうようになった。これで一つ、ハードルはクリア。よりプールに通いやすくなった、というわけだ。

 いよいよ二人でプールに入ってみる。もちろんはじめは25m泳げない人や、歩く人もいる超・初心者向けの「フリーコース」で泳力がどんなもんかを見極める。
 いざ泳ぎ始めると、大体20年ぶりくらいにプールに入る弟は、当然ながら泳ぐスピードが遅かった。発作がひどくなる高校生手前くらいまでは普通にプールで泳いでいたし、本人曰く、まぁまぁ普通のスピードもあったのだと言うのだが、残念ながら今はその名残もない。
 クロールもそこそこ遅いが、輪をかけて平泳ぎはゆっくりペース。手足を動かしていなければ、水に流されている水死体と間違えられそうなほどの微速だ。
 ううむ、これはそんなに速く泳げない私レベルであっても、少々、泳ぎ方指南をしなくては。
 そう考えて「クロールなら大きく腕を回してごらん」とか「水面で手の平が重なったら反対側を掻いてごらん」とかアドバイスしてみるが、どうやら彼の最大の課題は、息継ぎの仕方を忘れたことらしい。これも、言葉を重ねてようやっとわかったことだ。
 仕方なく、今度はプールサイドに捕まらせて息継ぎの練習をさせると、少しは息継ぎができるようになった。んん?案外、飲み込みは悪くないぞ。そもそもバタ足だけならばふつうに速度を出せている。それでもまだ何回かに一度は「水を飲んじゃう」と言う。なので25mを泳ぎ切ることには難儀した。

 ところで。

 弟が泳ぐにあたってはもう一つ課題がある。先にも書いた手術の代償で、視野の一部が欠けているのだ。そのため、この死角に入った人が、弟の方が避けてくれるだろう、と踏んで接触してしまう可能性が高い。
 これを防ぐべく、私は弟のすぐ後ろをついて泳ぐ。でもって、人とぶつかりそうになったら、ぶつかりそうになる側の彼の足に触れて、どちらかに避けるよう、合図をするのだ。
 何だか馬車から手綱を引いて馬に指示を出す、御者みたいな気分になる。

 こうやって数々の課題を乗り越え、プール復帰を果たした弟だが、今はまだ、それほどスタミナがない。「フリーコース」から泳ぎ始め、途中で立ってはいけない25mの「泳ぐコース」に挑戦したものの、2本ほど泳いだところで、早々に音を上げる。
 「こんなに泳げないなんてショック!」と言いながら、フリーコースに出戻る。歩いたり、5mくらい、思い出したように泳いだりしながら30~40分くらいでプールから上がって、一日の泳ぎを終了させた。

 帰りに、通りすがりのコンビニで買ったコーヒーを飲みながら家路につく。泳げない自分がショックだったはずなのに、それでももう2度と泳がない、と懲りたりすることなく「泳ぐのが楽しいからまたプールに連れて行って」と、弟は言う。こういう健気さがヤツのいいところである。「じゃあ、行こうか」と私も応じるのだった。

 泳いだ後のコンビニ・コーヒーが美味い。

※今回は nakanoemi3 さんのイラストを使わせていただきました。

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