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ネパールのお祭りで知った『心はよく判断を誤る』ということ 〜後編〜
*前編はこちら
* * *
「バッグが開いている。」
肩に斜めがけしていた小さなバッグのファスナーは全開でした。そして、中に入っていたお金はすっかりなくなっていました。
貧乏旅行のなけなしの12000ルピー(100ドル相当)でした。
* * *
「あのおじさんか? いや、あの少年たちか? あのお父さんか?」
僕は咄嗟に心の中で犯人を探していました。
「いや、もしかしたら、全員が仲間だったのかもしれない。」
僕の心は、冷や汗と嫌な空気に包まれてしまいました。
そして、僕は夕方に出会った人たちのことを思い起こしました。
* * *
カトマンドゥの歴史をとても親切に教えてくれたおじさん。おじさんは、たどたどしい英語に自信がないのか、自分の話がちゃんと伝わっているのかを確認するように何度も僕を覗きこみました。その、恥ずかしそうな笑顔が僕の脳裏によぎりました。
4人の少年たち。おそらく十代半ばだったでしょう。おめかしに余念がなく、外国人の僕に自分の髪型を自慢してくる可愛い彼ら。その純粋な笑顔は忘れられませんでした。
そして、女の子を肩に抱いていたお父さん。あの群衆の中で、ずっと愛娘を肩に乗せ、辛抱強く待っていたお父さん。娘を喜ばせたい一心の彼の優しい微笑み。
そんな彼らの笑顔を思い出しているうちに、僕はどうでもよくなりました。それどころか、さっきまで嫌なもので埋め尽くされていた僕の心には、温かい何かが流れ込んできました。
「疑ってごめんね。」
僕は心の中で、彼らに謝りました。すると、気持ちはとても晴れやかになりました。
* * *
『判断しないこと。』
それがネパールの広場で学んだヒントです。
心はほとんどの場合において判断を誤って妄想に囚われてしまうものなのです。
そもそも僕はお金が消えた瞬間をこの目で見ていたわけではありません。もしかしたら、もみくちゃの群衆の中でバッグが開いてしまい、中身が地面に落ちたのかもしれません。もしも盗まれたのだとしても、先ほどのおじさんでも少年でもお父さんでもないかもしれません。すべては僕が勝手に判断して決めつけようとしていた妄想に過ぎないのです。
僕は疑って、犯人探しをして、その結果、嫌な気持ちに埋め尽くされてしまっていました。でも、夕方に出会った彼らの笑顔が僕の心をセンターに引き戻してくれたのです。
100ドルは、明日銀行で引き出せばいい。それよりも、クマリを目の当たりできた奇跡を、外国で出会った彼らとの温かさの余韻を、ネパールという異国の地に立っている「今」を味わおう。
僕は、とても晴れやかな気持ちで宿に向かいました。道の両サイドに立ち並ぶお店はいつもよりも華やかに、行き交う人々はいつもより明るく見えました。そして宿にたどり着いた僕は、ぐっすりと眠りました。
* * *
そういえば、この広場に入るには許可証が必要でした。その申請にはパスポートが必須でしたので、その日、僕のバッグにはパスポートも入っていました。パスポートまで無くしてしまうと少し面倒でしたが、パスポートは無事でした。神様かな、クマリかな、誰だかは分からないけど、ありがとう。
*実践編に続く
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