事実をただ「事実」として受け止める。そこには善悪も優劣もない。ただそこに「事実」があるだけ。それに意味をつけたり、解釈を施したりするのは人間の思考であって「事実」そのものではない。そこにあるのは"結果としてそうなった"という「事実」だけなので、とにかくニュートラルに捉えること。
昨年植えたイチゴの草取り中 何かを育てることって 未来に種蒔きしているのかも?と思った 様々な判断の時間を横に置いて、草を取る お料理や手芸、絵や音楽をつくること そして、ふと浮かんだ言葉を noteに綴る時間も 小さいけどきっと 自分の思うままに 行動している楽しい時間❣️
不満は 満足したいという 現れで願いである🤲 不満は満足と 表裏一体で裏返し🔄 ならば不満と 見えたり感じるもの 満足と言えるものが 一体何なのか? 自分自身の心である 本音と向き合い 満足を知ることが 何よりも大切なんだ♡ ╰(*´︶`*)╯
「あの人ずっとジロジロ見てくるな~、嫌だな…」そう思い込んで、目を逸らしたり背中向けたりしていたけど…自分のそういう振る舞いによって、被害妄想に拍車がかかる気がしてきた。そこで、思い切って目を合わせて話してみたら気にならなくなった。決めつけは危険だし、何より自分が楽しくなくなる🦔
少しずつ変化が訪れる。 あれっ?と思うことが増えてくる。 これも自然の流れ。 抗わずに受け入れて その変化に寄り添いながら 揺蕩うように生きる暮らす。 肩の力が抜けてまぁいいか…と思えてくる。 「こんな日もあるさ」 日々はたった一度だけの経験。 良し悪しの判断はせずに受け入れて。
「判断しない時間」の価値 我々は日中常に判断をし続けている スマホをタップするのも ボタン選択という判断の連続… そんな中でも 夜は出来るだけ静かに過ごしたい 「何も判断しない時間」を持つ 何も決めなくて良いという感覚は ありのままの自分を受け入れ 自己肯定感につながる