【試し読み】『経験バイアス』―「経験から学ぶこと」の危険性を明かす
8月19日発売予定の『経験バイアス:ときに経験は思考決定の敵となる』から、試し読みをお届けします。
私たちはなにかをするとき「あの時はこうだった」「先例にならって」と、かつての経験をもとに判断を下します。しかし、そうすることによってバイアスに足を取られ、事態を悪化させているのです。
「経験バイアス」が与える影響について、世界有数のビジネススクールで教える行動科学者と、50年以上のキャリアを意思決定の研究に捧げた認知科学者がタッグを組んで解説します。
買い物から、仕事、教育、選挙、人生まであらゆる状況で、経験バイアスを避けながらよりよい意思決定を下すための方法を伝授します!
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経験はすばらしい教師だ
―が、そうではないこともある
あなたは自分の経験を信頼しているだろうか?
大多数の人が信頼している。自ら経験したことが、好みを決め、直感力を養い、意思決定の道しるべとなる。経験は大切な教師であって、その教訓はいつまでも自分の味方になってくれる。どんな社会でも経験は尊ばれる。誰もが経験豊富な医師、判事、政治家、経営者を求める。経験は豊かであればあるほど、望ましい。
当然だろう。違うとでも言うのか?
残念ながら、うかつにも経験に頼りすぎると、悲惨な結果を招くおそれがある。脅しているわけではなく、文字どおり、流血の事態を招いてしまうこともあるのだ。
19世紀を迎えようとする2週間前、67歳のジョージ・ワシントンが病に倒れた。初代アメリカ大統領が発熱したのだ。咽喉の炎症が悪化し、呼吸困難を起こし始めていた。側近がすぐさま、3人の侍医を呼んだ。
どんな処置を施すべきかに、疑いの余地はほとんどなかった。瀉血である。医師たちはさっそく、広く普及しているこの治療法を勧め、ワシントン自身もそれに同意した。当時の医療行為の要とされていたのは、繰り返し大量に血液を抜くことであり、多くの場合、発泡膏や浣腸や下剤が併用された。最高の医療を受けることができるワシントンに対して瀉血療法を実施せずにおくことなど、想像もつかなかった。一刻も早く病気を治そうとする医師たちは、限界に達するまでこの処置を繰り返した。報告によると、12時間のうちに、ワシントンの血液の半分近くが抜き取られたという。それから数時間後、彼は帰らぬ人となった。
医師たちが到着する前にすでに、ワシントンは重篤な状態に陥っていて、当時の治療法ではもはや救えなかったという可能性もある。しかし、苦しみに耐えて受けた処置のせいで、最も血液を必要としている時に、ワシントンはそれを失ったのだ。そう考えると、彼を救おうとする善意の試みが裏目に出て、ますます彼を苦しめるはめになった可能性が高い。
代々受け継がれてきた実践的な臨床経験が、瀉血療法を支持していた。瀉血は、何千年にもわたって、あらゆる病に効果のある治療法だと考えられてきたのだ。1世紀に書かれた『医学論』の中で、古代ローマの学者、ケルススは、「静脈を切開して瀉血するという治療法自体は、新しくも何ともない。新しいのは、瀉血を行なってはならない病気はほとんどないという知見だ」と述べている。
ギリシャの医学者、ペルガモンのガレノスは2世紀に瀉血療法を強く推奨し、それが、その後何世紀にもわたる西洋医術の基礎を形成することになった。ウィリアム・ハーベイは、血液循環説を最初に唱えたイギリスの医師だが、17世紀になっても相変わらず、「日々臨床経験を積む中で確信するのは、瀉血はさまざまな病気に極めて有効であり、あらゆる一般的治療法の中で最も重要だということだ」と主張していた。こうして瀉血療法は続けられていったのである。
ベンジャミン・ラッシュは、ワシントンと同じ時代に生き、医師として非常に尊敬された人物で、アメリカ独立宣言の署名者にも名を連ねている。奴隷制に反対し、刑務所改革を提唱し、万民のための教育向上を支援するなど、地域コミュニティの状況改善に尽力した。
1793年、黄熱病が突如、フィラデルフィアを襲ったとき、ラッシュは―苦しむ人々を救いたいという切なる思いから―瀉血と下剤を集中的に施す治療法を推奨し、実践した。極端な状況が、極端な治療法を求めたのだ。ラッシュは自分が黄熱病に感染すると、自分にも大量の瀉血を行なうように指示した。
ラッシュは生還した。そして、後に綴った書簡の中で、「黄熱も、新たな方法で対処すればただの風邪にすぎないことを、私は自分の体で証明したのだ」と述べている。
それから数十年後、イギリスの詩人、バイロン卿は、瀉血療法を疑ってかかった。病に倒れたとき、瀉血を施そうとする医師たちに向かって、「騎槍で死ぬ者より、穿刺針で死ぬ者のほうが多いのだ」と叫んだという。しかし医師たちは耳を貸さなかった。バイロン卿は、複数の健康上の問題を抱える中で、繰り返し血液を抜き取られていき、それが結局、彼の人生最後の日々となったのだった。
瀉血をすれば何でも治るなどという、今日では間違いだとわかっていることを、なぜこれほど長い間、世間の人々も博識の専門家も信じ続けたのだろうか?
この治療法はそもそも、人体の仕組みや病態生理についての誤った前提から生まれたものだ。当時は、体液の調和が崩れると病気になると考えられており、血液を抜き取ることでバランスを取り戻そうとしたのだ。その当時はまだ、病気の真因を明らかにするのに必要な道具も方法もなかった。そもそも出発点が間違っていたのである。
そこまではまあ良しとしよう。ある科学分野が発展の初期段階にあるときは、賢明で博識な専門家でも、誤った考えを受け入れてしまうことがある。それは致し方ない。しかし、その後何世紀にもわたって、命に関わる場面で同じようなことが無数に繰り返されてきたのだから、先人たちはその経験から学んで、考え方の誤りを認め、やり方を改めていってもよかったはずである。
ところがそうはならなかった。それどころか、事態はさらに悪化していったのだ。
今からおよそ2400年前、古代ギリシャの医学者、ヒポクラテスは、経験からの学習を戒める有名な箴言を残している。「人生は短く、医術の道は長い。危機は一瞬にして起こる。経験は当てにならず、決断は難しい」
まさにその通りだった。自分の目で見た、あるいは何度も話を聞いたという形の経験は、瀉血療法の場合、むしろ人々を誤った方向に導いていった。つまり、誤った前提に確証を与え、さらに、善意のヒーラーや医師や床屋が、衛生的とはいえない環境下で患者を「治療」する際にどんどん瀉血を行なわせることによって、瀉血療法が万能の治療法としてはびこるのをあおったのだ。最高の教養を身につけた人々も、人望の厚い人々も、経験にやすやすとだまされてしまった。経験という教師が、間違った教えを伝えているのに、それをどうしても否定できなかったのである。
経験からの学習が、なぜ、彼らを道に迷わせたのか、さまざまな観点から考えてみよう。
吸角法〔獣の角のような円錐形の器具で血液を吸引する方法〕やヒルを用いる少量の瀉血であれば、多くの場合、人間の体は回復が可能だ。発熱や炎症もそれで弱まる。こうして症状が緩和された上に、プラセボ効果が加わることもあったとすれば、治療の効果ありと判断してしまうのも無理はないことだった。
過度の瀉血を受けた患者でも、回復することがなかったわけではない。そのような患者の中には、医師が診断を誤って、実際にはその病気ではなかった人々が混じっていた可能性がある。にもかかわらず、彼らが瀉血に耐えて生還すれば、その治療効果をさらに裏付ける証拠だと受け取られたであろう。
運良く生き延びた人々が、瀉血の効果とされるものを声高に証言する一方で、亡くなった人々はすぐさま、人々の体験記憶から除外されていった。死人に口無しなので、その病気自体が死因だとされてしまい、瀉血との関連性が取り沙汰されることはなかった。
病状を観察しただけでは、病気の真因を見抜くことができなかったために、なかなか適切な予防措置を講じることができず、病気の蔓延を許す結果となった。そして、病気が流行し始めたら、従来の治療法が強化されるのは、当然のことだった。
また、多くの影響力ある専門家は、瀉血を自ら経験して生き延びたことで、この治療法に揺るぎない自信をもつようになった。そしてたいてい、自分はこれを一般に広める資格を得たと、さらにはその義務を負っているとさえ感じるようになった。そのような専門家がやがて後継者を指導するようになり、確立された学派を形成して、その考え方を広めていったのだ。実際、ワシントンを診た医師の(3人中)2人が、また、バイロン卿を診た医師の(3人中)2人が、ベンジャミン・ラッシュと同じ医学校の出身だった。そして、ワシントンを診た三人目の医師は、ラッシュの弟子だった。こうした閉鎖的な専門家集団では、同じ情報源からの知識が代々吸収されていくので、誤った教訓がますます根強くはびこり、広められていった。
そして、経験に基づく教訓がどれもみな同じ方向を指し示していたので、意思決定者が別の考え方を検討することさえしだいに難しくなっていった。圧倒的に有力な説に異議を唱える方法があるとすれば、それはたとえば、無作為に選んだ一部の患者には瀉血を施さずにおき、その健康状態が、瀉血を施した患者とどのように異なるかを追跡調査することだったであろう。しかし、苦しんでいる患者に、確立された治療法を施さずにおくことは、特に患者自身がその治療法を求めている場合には、あまりに残酷で理不尽だと感じられたであろう。そのようなわけで、長年の経験から得たものはなかなか捨てられず、そこから生まれる伝統はあまりにも強固で覆すことができなかったのである。
19世紀に入ると、ランダム化比較試験、死体解剖、生理学の発展とがあいまって、ようやく瀉血療法の人気は下火になっていった。医学史研究者のW・ミッチェル・クラークは、2400年前のヒポクラテスの箴言の意味を再確認してこう述べている。「2、3千年前から使われていることで支持を得、過去の識者の権威によって是認されてきた治療法についに見切りをつけるとするならば、ヒポクラテスの箴言にもあるとおり、経験は実際、当てにならないということだ。これは、瀉血療法について考える上で、最も興味深く、かつ重要な問題だと私には思われる」
まさに、そのとおりだ。経験に基づく教えが、判断を誤らせ、時として致命的な結果をもたらしうるという事実は、私たち人間が物事を学んだり考えたりする上で由々しき問題である。だからこそ私たちは、こうした現象について掘り下げる本を書くことにしたのだ。
人生のほとんどの側面で、意思決定を下すのに経験が不可欠であることは疑うべくもない。確かに、経験は信頼できる教師になってくれる。しかし、問題は、どんな場合でも信頼できるとは限らない、ということだ。にもかかわらず、私たちは常に信頼できると思ってしまいがちだ。
経験に頼りすぎると、経験が授けてくれる「知識」のせいで、本当は思慮不足なのに、知恵者になったような気になってしまうこともある。経験が、正しい答えを与えずに、むしろ、誤った答えを補強してしまうおそれもある。同じ間違いを何度も繰り返しているのに、いつまでたっても、問題があることにさえ気づかない場合もある。
次章以降では、経験が味方や教師になってくれずに、意外にも、敵やぺてん師になってしまう事例について見ていく。そして、どんな場合に、どんな手口で、経験は有能な意思決定者をだますのか、つまり、意思決定力をすっかり奪っておきながら、その力があるように思わせてしまうのかについて考える。さらに、誤った教訓を得てしまいがちなのは、どんな状況に置かれた場合か、また、経験から得られるものを超えて、正しい答えを見つけるにはどうすればいいのかを探っていく。
経験に基づく教えに対して理にかなった建設的批判ができるようになれば、得るところは大きい。今日では、病気になっても、少数の特殊な症例を除いて、大量に血液を抜き取るようなことはしない。瀉血療法は依然として存在するが、限定的な処置にとどまり、もはや主流ではなくなっている。長い道のりだったが、ようやく瀉血療法の過ちに気づいて、それまでのやり方を改めたのだ。
しかし、今日、日常生活の重要な分野で、経験が私たちをだましてくることは他にないだろうか? 経験が当てにならないのに、それに気づかずにいるのはどんな場合か? どんな習慣や思考ツールを採り入れれば、経験の欠陥を見抜き、誤った教訓に惑わされずに、より適切な意思決定を下せるようになるか?
本書ではそのような問いについて掘り下げていく。
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本書の目次
著訳者紹介
『経験バイアス』白揚社紹介ページ
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