見出し画像

怖いことばかりで、怖いですね

皆様の週末が、温かく穏やかに
安心に守られて
ゆっくりと幸せに過ごされますように。
偶然出会った良いかた、素晴らしいかたには、何もお返しできなくても
少なくともお礼状を書いています。
それすらできなくても
少なくともお礼を言います。
相手の方もそうしてくださいます。
相手の方がきっと、私の人生のいつかどこかで
先にそうしてくださったから、かもしれませんね。
知らず知らず
繰り返すうち、仲良くなるうちに
お互いが相手想いになり
親切になり
小さな輪も中くらいには広がって
助け合えて来たように思います。
最初の一歩は大事です。
打算をもたず、計算せず、こんな時代だからこそ
こんな世の中だからこそ、丁寧に相手を扱う意義が生まれるのだと思います。
金銭的にも時間的にも体力的にも余裕がない。
それはもう大多数の人の感じる、共通の不安であるし、体感として切なく苦しいものです。
けれどその中で、しっかりと背筋を伸ばし、怖いながらも諦めず、自分を捨てずに相手へ尽くす事のできる人は、
自分に勝って見えます。
自分でも気づかぬうちに、自分の自己像さえ超えて見える、本来の思う自分よりも優れた自身を表出できるのは、知らず知らずにそのかたの人生の奥深くに
他への慈しみが感情として備わってきていたからではないでしょうか。
どんな価値観、どんな着眼点でものを見るかは、自分にしかない独特な指針みたいなものかもしれません。相手のそれを知ることはできません。
根底には、幼心に体験しやすいこと、
自然の花や生き物に触れて可愛いと感じた、またはうっかり昆虫などの生命を脅かしてしまった時にハッとした、子供心にクラスメイトの怪我する様子を目撃して一緒に泣いた、そんな経験がその方の中でどんな形に伸びていったのか。
その時に近くにいた大人が褒めたか叱ったか、罵ったか、そのものごとの意味するところを、誘い出し一緒に探求してくれたのか。
何かしらの連続性がもたらした果実のようでもあります。
多かれ少なかれ、環境や年代が違っても
子どもの頃には近い体験を各々、感覚的にしてきたと思います。
自分に打ち勝ちたいとか、克己心がないからこそ、他への思いやりが自然に生まれ、結果的に自分をも超えた正義を備えられた、そんなかたもあるでしょうし、お稽古事や厳しい環境下で、他に負けることが許されないからこそ必然的に自己制御の能力に長けていき、我慢強くなりながら、相手のなかにも自分の苦しみと同じものを見出し、友情を結んで世界を拡張して来たかたもいらっしゃいます。
絶対に惑わされてなるものか、この道から逸れてなるものかと高い志を自らの努力で得て、高潔な人格者となられたかたもいらっしゃいます。
もともともった心の素材が、ふっと表へ現れたときにどう見えるか、どう見せたいかの打算がない方だからでしょう、そんなふうに見て取れます。
どんな心を持つか、何を優先するか、どんな言葉を使い、どんな態度を見せて生きていくのかなんて、全く自由なことに違いありません。
なんの法や束縛に従うわけでもない。
にもかかわらず、社会のここそこに、ときには見えない片隅にこそ
清く柔らかに、健気に儚く微笑んでいる、そんな優しい人間が
老若男女問わずたくさんいらっしゃいます。
その方達が、報われてほしい。私はそう、切に願っています。

いいなと思ったら応援しよう!