嫌なことと幸せなこと


昨日、嫌なことと幸せなことが起きた。
両方すごく小さなこと。


まず嫌なことから。

昨日、天井に取り付けている火災報知器を新しいものに替えるため、業者の人が家に来た。
いつも通り部屋の掃除をしてから迎え入れたのだが、そのとき私の潔癖細胞が一気に活発化した。

まずにおいだ。
その人からは煙草のにおいと、それを掻き消すために付けた香水のような、強い柔軟剤のような、色んなものが混ざったにおいがした。失礼を承知で、すぐに家中の窓を開けた。

次に、その人がスリッパを持参していなかったこと。
これは、客用のスリッパを用意していなかった自分の落ち度でもあるし、ただ備品を取り替えに来ただけの業者の人がご丁寧にスリッパを持参することなんてないのかもしれないが、気になってしまった。

そして、その人が持ってきた脚立。
天井の作業なので仕方がないが、真っ先に脚立の底を見てしまった。家の中や外なんて関係なく、汚くなっても拭きもしていないのがよくわかるほど汚かった。それを、私が最もよく座ったり寝転んだりしている、いわゆる定位置に直接置かれた。この瞬間、私にとって最もリラックスできる場所である定位置が、一気に汚い場所になった。そして、(その真上に火災報知器があるので仕方ないが)その真上の天井で作業をしたため白い粉のようなものが床や近くのテーブルの上にたくさん落ちた。

カーペットを剥がした状態にしておけば良かった。
新聞紙など何か敷いておけば良かった。
ゴミが落ちることを想定して物を避けておけば良かった。

落ちた白い粉のようなゴミは軽く業者の人が掃除してくれていたが、私から見れば全く掃除のうちに入っておらず、遠くから見てもわかるほど残っていたし、カーペットにはむしろ毛の根元まで入り込んでいるように見えた。


同棲中の彼も、におい、スリッパ、ゴミについては気になっていたようだが、私はその人が帰った瞬間、掃除機や除菌シートで必死に掃除をした。掃除機で一通り吸い取って目に見えないくらいには綺麗にできたものの、菌がうじゃうじゃいるような感覚が消えず、気持ち悪さに涙を流しながら何度も何度も除菌シートで拭いた。拭いても拭いてもまた菌が生き返ってくる気がした。

病気だなと思いながらも、あまりの気持ち悪さに手を止めることができなかった。これを書いている今でも、家中を除菌したい衝動が少しずつ出てきている。


その業者への不満が爆発しそうだが、部屋が汚れることを想定していなかった自分が悪いし、自分が潔癖なのが悪いとも思う。
ただ知らない人が家に来ただけでこんなに乱されてこんなに悲しい気持ちになるなんて、情けない。


それから心療内科に行き、その業者のことは話していないが最近の出来事や体調について主治医と話をして、少し落ち着いた。晴れていたのも良かった。
雨や風が強い日に外に出ると、全世界に拒否されている気分になる。特に仕事がある日は、雨風に耐えながら出勤していると、本気でそう思う。休日の何も予定がない日の雨は嫌いじゃないのに。
晴れていると、世界が快く迎えてくれている気分になる。



それからはのんびり過ごして、夕方、小さな幸せがあった。

それは、外に干して乾いた洗濯物が綺麗に畳んで置いてあったこと。

洗濯をしたのも干したのも畳んだのも数時間前の私なのだが。
それがふと目に入り、なんだか幸せな気持ちになった。

私は洗濯が好きだ。
洗濯機の中に汚れた服が入っている状態は好きではない。ましてや溢れている状態なんて耐え難い。空っぽの洗濯機と、乾いて畳まれた服やタオルたちが好き。

ちなみに畳んだあとそのまま置いておいたのは、外の空気に晒したものをすぐに片付けるのではなく、一旦室内の空気に馴染ませてから片付けたいという、自分でもよくわからないこだわりがあるためである。

そして、部屋の空気に馴染んだ綺麗な服やタオルたちをあるべき場所に片付けると、さらにスッキリして気分が良くなる。


それが、昨日あった幸せなこと。些細なことだが、こういう日常の幸せを実感できることが嬉しかった。



今日の心療内科で話したこと。

異動前の部署(無視されたり高圧的な先輩がいたりした部署)でも、今の部署でも、行く先々で嫌な人を作ってしまう、その人の嫌なところばかり目についてしまう自分に問題があるのではないか。
周りが悪いのではなく、自分がそうだからどこに行ってもダメなのではないか。

日々そう思っているということを伝えた。

主治医からは、
・マイナスなことや相手の嫌な面を感じ取りやすいのかもしれない、
・無視のように明らかに自分への敵意がある場合はストレスのレベルはすごく高いし対処も難しいけど、今の部署での現時点のストレスはうまい対処方法が見つかれば大丈夫になると思う、
ということを言われた。

言葉だけで見ると、HSPや鬱などの本に書いてあるような言葉ではあるが、専門家が自分の訴えを受けて返してくれたというだけで、心に響いて軽くなった。
味方でいてくれる気がする。


嫌な相手がいたら、相手を変えるより自分が変わる方が早いと何かで読んだことがある。
でも、自分が変わるのも簡単なことではない。感じ取り方なんて今の年齢になるまで色んな経験をして身についたものだ。
それでも、やっぱりこの状況から抜け出すには自分が変わるしかないのかもしれない。
うまい対処法を何とか見つけられたら良い。



入院中の母と直接面会できるようになった。
前まではリモートだったので、どうしても母には家族と話している感覚がなかったのかもしれないが、やっと会えるようになった。
嬉しい。緊張する。不安。

直接会えるようになるので、これまでより面会に行く頻度を上げたいと思っているが、何せ長距離なので体の疲れもあるし、母の辛い姿を見るというストレスもある。会いたくないわけでは決してない。早く会いたいが、それとは別に、避けられない辛さも伴うということ。

仕事のストレスなんかでくたばっていたらもたないので、せめて仕事の方は早く対処方法を見つけないと。

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