埼玉県立の「歴史と民俗の博物館」で『(顔のある)土器を見る』
先週末に、埼玉県立の「歴史と民俗の博物館」へ行った時のレポートの第3弾です。(特別展の会期は2024年1月14日までです)
過去2回のnoteでは、常設展の縄文から古墳時代のエリアを見て周り、じゃあ特別展『縄文コードをひもとく』を見に行くかと、特別展の部屋へ行きました。展示室へ入ったところから、もわぁ〜っと縄文土器ばかり。うわぁ〜、求めていたとおりの雰囲気です。これだよこれ! って思いながら展示ケースに顔を近づけて、一つ一つ土器を見始めました。
埼玉の歴史と民俗の博物館で『土偶を見る』
埼玉県立の「歴史と民俗の博物館」で『土器を読む』
展示室に入ってしばらく鼻をフガフガさせながら興奮気味に土器を眺めていると、60代くらいの夫婦の観覧者がやってきました。その男性の方が……「すごいねぇ……これだよこれ!……」などと一つの土器を見るたびに何か言葉を発しながら見ていて……「わかりますよぉ〜その気持ち」と共感したわけですが……その男性、ず〜〜〜〜っと、その調子で独り言を言いながら見て回っているものだから……ほんと正直に言うと邪魔で(笑) 知らない間に奥さんは、そんな夫さんから離れてしまっているし(笑) わたしも展示順に見るのをやめて、ほかの展示室を先回りして見ていくことにしました。それにしても、その男性は楽しそうでしたね。わたしも、ああいうふうに思ったことを言葉にしながら周りを気にせず観覧できるようにしたいと思いました(笑)
ということで、今回のnoteでは「顔っぽいものがあしらわれている土器」を集めてみました。やはり顔っぽいものが付いているだけで、単なる土器ではないような気がして、よりおもしろいですね。
今回の展示で、顔っぽいものがあしらわれているものは、急須のように注ぎ口のある「注口土器」が多いです。キュッと上を向いた注ぎ口を、人の口に見立てて「ここに顔を付けちゃお」という遊び心で付けてしまったのかな、という風にわたしは読み解きました……そこに深い意味はないだろうなと。
盛り盛りの眉毛は繋がっていて、高い鼻と合わせてT字形をしているのは土偶と同じです。まぶたと目頭、それに目じりなどが同じく盛られていて、遮光器のようにも見えるし、いずれにしてもインパクトのある顔立ちをしています。さらに、ちゃんと耳も付いていますね。
写真で見ると、上の写真は↑ ほとんどが現代人によって再生された部分でした。逆側を撮るべきだったなぁと反省。
今回の特別展で最も人気があるんじゃないかと思われる土器の一つが、《2つの顔をもつ注口土器》ではないかと思います。なにかチラシなどに書かれていたのか、他の観覧者が「ほんとだ、ドラえもんに似てる!」と言っているのが聞こえた気がしますが……幻聴だったかもしれません。
解説パネルには「ミミズク土偶に似た人面が付きます」とありますが、「そうか? こんなミミズク土偶ってあるのか?」と思ったのが正直なところです。下の写真が、土器後方なのですが、そこに付いている人面を見ると分かりやすいのですが、全体的にまん丸な顔立ちで両目は真円。こめかみのあたりに鼻のようなものがあり、きちんと2つの穴が付けられています。口はへの字で、口というかヒゲのようなものが表現されています。
昨日見つけた、昭和3年に工芸美術研究会が発行した『日本原始工芸』第9輯を見てみると、ミミズク土偶がたくさんリストアップされています。その中から似ているものがあるかを確認してみると……ありました! 一番右の一番上の土偶の顔がそっくりですね。顔の輪郭は真円に近くギザギザしていますし、両目が真円です。さらに口(ヒゲ)がへの字。下総……現在の千葉県・余山貝塚から出土した無数の土偶の一つのようです。現在は大阪歴史博物館が所蔵しているようで、同館の研究員と思われる方の論文に、下図がありました。(吉岡卓真『余山貝塚出土土偶群の構成』PDF)
なぁんて調べていたら、明治42年5月に博文館から出版された、江見水蔭 著『地中の秘密 : 探検実記』に、この土偶のイラストが出てきました。すべてを読んでいないので分かりませんが、この江見水蔭が同土偶の発掘に関わっているよう……発掘した時の様子、その時の喜びが記されています。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/887230
↑ この余市貝塚からは毎日ザクザクと遺物が掘り当てていったようです。一部を記してみると次のよう……「やがて(発掘者の1人である)重造子が打ち下した萬鍬の先きに引掛って、明治今日の状態を見物に出て来たコロボックル殿。盛装した珍面相!!(第十七圖口参照) 続いて又一個、その盛装せる頭部のみが出た。大萬歳である。」……という感じで、とても面白そうです。
ちょっと脱線してしまったので、もとに戻ります。
この土器、人面付きという点もですが、それ以上に、周りにあしらわれている文様が良いなと思いました。たなびく雲というか、どろぼう柄というか唐草模様っぽい感じじゃないですかね。再生された部分が多いのではっきりしませんが、全体にびっしりと文様が描かれていたようです。
あと、こちらの土器の口縁を見てみると、どうやらフタはなかったのではないでしょうか。もしそうであれば、急須やヤカンのように熱い飲み物を入れていたわけではなく、常温の水を入れていたのでしょう。穴の位置からすると、取っ手の方向も土器の前後方向ではなく左右方向に付けていたようなので……例えば水を入れておいて、畑仕事の合間に注口に口を付けてガ〜〜ッと水分補給するのに良さそうです。その時に、この正面の人面と目を合わせることになって、いいですよね。
ってことで、この水筒的な土器についている人面は、利用者なのか家族なのかを表すコード……というかマーク、家紋のようなものだった“かも”しれませんね。「この頃から“所有”という概念が強まってきた」……と……いくらでもテキトーな想像を広げられるのが、歴史の面白いところです。←ただし、このミミズク土偶は、山形土偶から変遷してきた形態のようです。そう考えると、家紋などの可能性は低いのかなと。もしくは製造場所……会社ロゴのようなものという可能性はどうでしょう。
《ミミズク土偶の顔をもつ注口土器》↓については、たしかに「みみずく土偶」っぽい顔立ちをしていますね。ただし顔の輪郭が逆三角またはハート形なので、上のドラえもん似の注口土器よりも古いものなのかもしれません。
《出自不明の顔がある注口土器》↓は、なにが出自不明なのか分かりませんが、かなり完全に近い形で出土したようです。この2層に分かれている土器……ほかにもありましたけれど、その上層の正面に、眉毛と鼻のつながった人面が確認できます。2層に分けて、その間を思いっきりくびれさせた意図はなんでしょうか? 例えば、茶葉などを入れていた場合に、濾さなくても茶葉がくびれに引っかかって、お茶が飲みやすい……とかってありえますかね? 例えばドクダミのような薬草をお湯に浸して飲む、みたいな時に便利ですよ……的なことはあるでしょうか。いずれにしても取っ手がなくても、このくびれ部分を掴むと持ちやすいでしょうね。(注:ドクダミは平安時代に中国から渡来したそうです)
土偶のようにギョロ目ではなく、目と口が横三線で表現されているため、とても穏やか……というか眠っているようにも思えます。
わたしの妄想だと、この口縁部の下のくびれ部に、紐をぐるぐる巻いて、腰に付けて水筒のように使ったのではないかなと。上部の注入口が狭いので、歩いたり走ったりしてグワングワン揺れても、中から水が飛び出しにくいような気がします。ただし、それなら竹などを水筒代わりに使った方が良いんじゃないか? という気もしますね。じゃあ、水よりも希少性の高いものだったらどうでしょう……例えば薬というかスタミナドリンク的なものをここに入れていたとか……。
なんで本体を傾けて展示しているんだろう? と思ったら、この上部というか天面というか口縁部がよく見えるように傾けてくれています。解説パネルには「上から見ると顔のように見えませんか」と記されていますが、見えるかな? と思いました。
それよりも「胴部には三叉文モチーフの文様が施文され、東北地域の出自のコードを含んでいます」とあります。それも面白いなと思いましたが、この文様……縄文時代には珍しくまっすぐな線が引かれていることです。これまで見てきたものは、だいたい線が湾曲していますよね。ろくろの上に制作中の器を置いて、その一点にヘラを当てて、ろくろを回してあしらったような線が2本あります。(注:朝鮮半島から日本に ろくろ が伝来したのは、飛鳥時代と言われています)
そういえば、現代の陶器と比べて、縄文や弥生時代の土器の強度や耐久性が知りたいですね。同じ高さから地面に落とした時に、どちらが割れずにいられるか? 現代陶器の方が硬く薄く作られていそうなので、意外とすぐ割れるかもしれないなぁと。
埼玉県立の「歴史と民俗の博物館」へ行った時のレポートはこれで終わります。特別展は2024年1月14日まで開催されています。そして同展を見た後に、改めてトーハクの土器を見て回りたいなと思って行ってきました。その時の様子は、次回にnoteしていきたいと思います。
<参考>
『遮光器土器の曙光・2』 安孫子昭二
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