平安から鎌倉時代の筆跡を集めた《古筆手鑑かりがね帖》 @東京国立博物館
東京国立博物館(トーハク)に、《手鑑かりがね帖》が展示されています。
「高野切」や「石山切」をはじめとする、平安時代から鎌倉時代の名筆家の筆跡が見られる、古筆切28葉を収めた手鑑です。
なお「高野切」とは、『古今和歌集』の現存する最古の写本の通称で、「石山切」は国宝『三十六人家集』から分割されたものなのだそうです。わたしには、28葉のうちでどれが高野切で石山切なのかは分からず、ちょっと悲しいですねw
装幀は、明治時代に活躍した田中親美さん(1875〜1975)によるものだそうです。田中親美さんと言えば、『平家納経』の模本ですよね。「あの田中親美が装幀を手掛けた!」って解説パネルに書かれるほど、評価の高い人だったのでしょう。
こうして名家の筆跡(=手)を集めた手鑑は、明治・江戸時代以前から人気だったそうで、様々な手鑑が作られました。わたしは見たことがありませんが、有名なものだと京都国立博物館保管の「藻塩草」、MOA美術館蔵の「翰墨城」、出光美術館蔵の「見ぬ世の友」、陽明文庫蔵の「大手鑑」があります。
トーハクもいくつかの手鑑を所蔵していますが、今回の《手鑑かりがね帖》は、文化庁のものです(トーハクへ貸しています)。以下は解説する知識はもちろん、資料もなかったので、写真だけ載せておきます。当ページの写真は、どなたでも自由に使ってけっこうですので、読める方に内容を教えていただきたいです(←虫が良すぎる?)。
『古今和歌集』の412歌が記されているそうです。
右に「たいしらす(題知らず)」と「よみひとしらす(詠み人知らず)」と書かれた後に、以下の歌があります。
さらに、これがどんな状況で詠まれた歌なのかを「このうたは、ある人、男女もろともに人の国へまかりけり、男まかりいたりてすなはち身まかりにければ、女ひとり京へ帰りける道にかへるかりの鳴きけるを聞きてよめる、となむいふ」と説明(左注)しています。
この歌と左注とをChatGPTに流し込んで、解説をお願いしたところ、以下のように回答がありました。(必ずしも、正確なのかは分かりませんので、その点は留意ください)
右側の文字は分かりませんが、「三月三日」以降については、和漢朗詠集の巻四「三月三日付桃花」のようです。
中国の唐の時代の高級官僚で詩人の王維さんが詠んだ歌です。ChatGPTが上の通りに訳してくれたのですが、イマヒトツ分かりにくいです。まぁでも想像するに「春が来ると、どこもかしこも桃の花が咲いて、まるで仙人が住む桃源郷のようじゃないか。これであれば、もはや桃源郷を探す必要もなかろう。いまこのリアルな世を楽しめば良いじゃないか」といった感じでしょうか。
そして次の行から記されているのが、菅原道真の「花時天似酔序」という漢詩のようです。本当はもっと長い詩なのですが途切れてしまっています。元は、次のページに記されていたのかもしれませんね。これもChatGPTに解釈をお願いしました。
調べてみると、これは菅原道真が、宇多天皇の時に開催された3月3日の節句の宴会で詠んだ漢詩なのだそうです。ChatGPTは触れていませんが、「曲水雖遥(曲水は遠いけれど)」とある点に注目したいです。「曲水」とは、文字通りの意味では「曲がった水(川)」ですが、ここではもちろん中国の永和9年(353)に催しされた3月3日「曲水の宴」のことを匂わせているのでしょう。「曲水の宴」とは、中国の王羲之が詠んだ「蘭亭序」で有名な宴会ですね。その後の中国の随や唐の時代には、この「曲水の宴」がトレンドとなったと言います。興味があれば詳細は、以前のnoteを御覧ください。
ただし漢詩の中には「魏文」ともあるので、菅原道真の教養の中心は「魏」の時代の文物にあるということでしょうか。この魏は、戦国時代の魏や三国時代の魏ではなく、386年〜534年の北魏を指している気がします←気がするだけです。そうであれば、北魏の文物にも曲水の宴や蘭亭序に由来するものが数多かったはずです。
こちらは『古今和歌集 巻第二』からの一句が冒頭に記されています。
その左側に一段下がって「よしの〜〜〜」で始まる2行が記された後に「つらゆき」と書いてあります。これはもう「紀貫之」で決定でしょう! ということで、「吉野 山吹 紀貫之」で検索して出てきたのが次の一句。同じくChatGPTを頼って意味を探ってみました。
その後も「詠み人知らず」の山吹の歌が記されているようですが、それらは判読できませんでした。
こちらはもうお手上げです。
■ちゃんと真正面から撮った風の写真もあります
すべてではありませんが、資料として使いやすいだろう、真正面から撮ったような画像データも作りました(実際には少し斜俯瞰から撮ったものを、画像補正したものです……なので一部ピントが微妙にズレているかもしれません)。
■《かりがね帖》の研究者
大東文化大学の高城弘一さんという方が、この《かりがね帖》について論文をいくつか出されていました(ただし、ネットで読めた論文には書き下しや内容に関しての解釈は記されていませんでした)。それによれば、手鑑《かりがね帖》の構成は、以下の通りだということです。わたしが見てきたものが、どれなのか……はじめの《一、伝紀貫之筆「高野切第一種」『古今和歌集』》というのだけは、確かのようです。
一、伝紀貫之筆「高野切第一種」『古今和歌集』
二、伝紀貫之筆「名家家集切」『是則集』
三、伝小野道風筆「小島切」『斎宮女御集』
四、伝藤原佐理筆「紙撚切」『道済集』
五、伝藤原佐理(藤原定実)筆「筋切」『古今和歌集』
六、伝藤原佐理(藤原定実)筆「通切」『古今和歌集」
七、伝小大君筆「香紙切」『麗花集』
八、伝藤原行成筆「法輪寺切」『和漢朗詠集』
九、伝藤原行成筆「升色紙」『深養父集』
一〇、伝藤原行成筆「雲紙和漢朗詠集切」『和漢朗詠集』
一一、伝藤原公任筆「下絵和漢朗詠集切」『和漢朗詠集」
一二、伝藤原公任筆「砂子切」『公忠集』
一三、藤原定信筆「石山切」 『貫之集』下
一四、伝藤原公任筆「石山切」『伊勢集』
一五、伝藤原定賴筆「烏丸切」『後撰和歌集』
一六、伝藤原定頼筆「大江切」『古今和歌集』
一七、伝源俊頼(藤原定実)筆「卷子本古今和歌集切」『古今和歌集』
八、伝源俊頼筆「民部類切」『古今和歌集』
一九、伝源俊賴筆「東大寺切」『三宝絵詞』
二〇、 藤原基俊筆「多賀切」『和漢朗詠集』
二一、伝藤原忠家筆「柏木切」『二十卷本類聚歌合』
二二、伝藤原俊忠筆「二条切」『二十卷本類聚歌合』
二三、伝藤原定信(藤原伊行)筆「戊辰切」『和漢朗詠集』
二四、藤原俊成筆「昭和切」『古今和歌集』
二五、伝西行筆「白河切」『後撰和歌集』
二六、伝藤原為家筆「姫路切」『源氏狭衣百番歌合』
二七、伝源実朝筆「中院切」『後拾遺和歌集』
二八、伝源順筆「難波切」『万葉集』
ということで、展示されているすべてを写真に撮ってこなかったので、また近々トーハクへ行って、ちゃんと撮ってきたいとも思っています。
文化庁の所蔵なんだから、ちゃんとした画像アーカイブを作っておけよ! と思いますけどね。アーカイブがないと、せっかく国が購入したのに、トーハクへ行ける一部の人しか楽しめないじゃないか! もしくは借りたトーハクが、他収蔵品と同様に、アーカイブ化してくれればいいのに…と思ってしまうのは、私だけでしょうか。まぁ撮影禁止ではないだけ良いですけどね。