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無料で観られる「源氏物語と平安文学」展は、行かなきゃ損!…かもね…@國學院大學博物館

先月、初めて行って「けっこういいトコだな」と思った國學院大學博物館で、4月20日から『恋とさすらいの系譜−源氏物語と平安文学』がはじまりました。

まだ行っていませんが、どんな展覧会だろうと、Webにあったチラシを読んでみました。

どうやら源氏物語の光源氏が、須磨へ左遷された時のことを念頭に……同じように、必ずしも喜ばしいとはいえない旅をした、古典文学の中の人たちを特集した展覧会のようです。

どんな人たちがいたかと言えば、最も典型的なのが「伊勢物語の昔男」です。紫式部は、伊勢物語の中に登場する、この少し寂しそうに東国へおもむいた昔男にインスピレーションを得て、『源氏物語』の「須磨の巻」を書いたのかも……ということが言われているようです。ほかにも「源氏物語の玉鬘(たまかずら)や浮舟(うきふね)といった女性たちなど、さすらう人びとの姿は、平安文学のなかに繰り返し語られてきました」としています。

チラシを読んでいたら、いきなり「源氏物語では光源氏の須磨流謫が叙情豊かに語られます」とありますが、この須磨流謫という言葉……四字熟語が……意味が分かりませんよ……國學院先生! と思ったのですが、どうやら「さすらう」ことを流謫と言っているようです。勘違いかもしれないので、いちおうネットの辞書で調べてみました。

【流謫(るたく)】
〘名〙 官位をおとされて、遠方に流されること。遠流。りゅうたく。
[名](スル)罪によって遠方へ流されること。遠流。りゅうたく。「流謫の身」

まぁなんとなく、“流されてしまう”という言葉の雰囲気は掴めました。流謫の中には、少し哀愁のようなものも感じますね。そしてチラシには、こうも書かれています。

主人公が流離する物語は、光源氏に固有のものではありません。伊勢物語の昔男、竹取物語のかぐや姫、さらに源氏物語の玉鬘や浮舟といった女性たちなど、さすらう人びとの姿は、平安文学のなかに繰り返し語られてきました。そして、光源氏や昔男などの場合、その流離はかなわぬ恋と結びつけられています。平安文学において、恋とさすらいは、作品を形成する主要なモチーフのひとつであったということができます。

光源氏の流謫も、昔男やかぐや姫の話も、記憶の中にはきちんと整理されていませんが、「流れる(流される)」というのは、寂しさを伴うもの……として描かれてきたということでしょうか。わたしが知る光源氏や昔男のイメージだと……それほどキレイな恋だったっけ? となるのですが、実際に古典文学のプロは、どう読み取っているのか、知りたくなってきました。

本展では、同大学が所蔵する平安文学関係の写本や絵巻等の展示を通して、源氏物語と平安文学における「恋とさすらいの系譜」をたどってくれるそうです。

同館は、5月1日(水)〜4日(土)までが休館です。行けるとしたら、4月29日(月)か30日(火)の平日、もしくは5月5日(日)か6日(月)。ゴールデンウィーク中は難しいかなぁ……。

↓ 源氏物語の特別展・企画展の詳細は、下記サイトに書いてあるので要チェックです。今回の展示品の一覧PDFもありますし、ほとんどの展示品が「DM(デジタルミュージアム)」としてアーカイブ化されていて、誰でも見られます……すばらしい!

また、まだアップされていませんが、おそらく……でしかありませんが、近々、『恋とさすらいの系譜−源氏物語と平安文学』展を解説する動画が、下記のYouTubeチャンネルに公開されると思います。これまでは、会期中の途中で公開されているので、その解説を見てから行くと、より深く楽しめるかもしれません。

いちおうトーハクの源氏物語関連の動画も入れておきます。今回の展示を見に行くうえで、役立つかもしれません。

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