望みを叶えてくれる観音菩薩が展示されています @東京国立博物館
先日、根付の郷コレクションを見に行った時に、東京国立博物館の仏像の間を通りました。ここの部屋は、しばらく同じ仏像が展示されていると思っていたのですが、一尊だけ、見かけないのがいました。平成25年度に、古美術商からトーハクが購入した、鎌倉時代に製作された『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』です。
像の目の前に立った時に、先週だったかに放映されたNHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のワンシーンが思い浮かびました。鎌倉時代の仏師・運慶に、もはや悪役となった小栗旬さんが演じる北条義時が「俺の顔に似せた仏像を彫れ」と詰め寄るんです。運慶は「おまえ、おもしれぇこというなぁ」と、やんわりと断りますが、結局は「わかった。彫ってやるよ」と請け負います。
鎌倉時代に作られたという、トーハクの『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』が、その北条義時が運慶に命じて作らせたものだったら面白いなぁと思ったんです。
正面に立つと、おそらく身長などによって、見る角度によって異なるのでしょうが、はめ込まれた玉眼に、ギロリと睨まれているような気がしたんです。望みを叶えてくれる、ありがたい菩薩様というよりは、小栗旬演じる北条義時に「おまえは、その望みをどれだけ叶えたいと思っているのだ。そして、どれだけの努力をしたのだ」と、あのドスの効いた恐ろしい声で、問いかけられているような……そんな気分になりました。
ちなみに毎回録画して2〜3週間に一度、ドドドッとまとめて観ているため、直近週末の放映回はまだ観ていません。もしかすると、もう完成してしまっているかもしれませんが……運慶が、どんな仏像を彫るのか、楽しみです。
■『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』の概要
さて、日本において、手が6本ある六臂の如意輪観音については、大阪の観心寺の本尊像が代表作だと言われています。トーハクの『如意輪観音菩薩坐像』も、その代表作の特徴と似ているんですよね。
6本の手のうち、右手側(向かって左側)の一番上の第1手は頬に当てて「どうしたら願いを叶えてあげられるだろう」と考え事をしているような思惟相を示しています(思惟手とも)。右第2手は胸前で如意宝珠を持ち、右第3手は外方に垂らしています。この右第3手は、たいていの六臂の如意輪観音が、数珠を持っているのですが、トーハクのも、かつては数珠を持っていただろうと考えられています。ただし、資料には「亡失」と記されています。
一方の(向かって右側)左手側については、第1手は掌を広げて地に触れています。そして左第2手は、まだ開いていない蓮のつぼみを持ち、左第3手は指先で法輪を持っています。
また本当は下の写真のように、頭部には銅製の宝冠をかぶり、胸には同じく銅製の飾り物をつけています。ただ、これらについては、破損したりするのが怖いからでしょうが、展示する時には取り外しているようです。
元は鎌倉の古美術蒐集家の今渕正太郎さん(1888〜1957)という方が旧蔵していたものと、トーハク発行の雑誌『MUSEUM』に記されていました。ネットで検索してみると、今渕さんは、青森県の八戸出身で、京都や東京の経済界で活躍した方だそうです。『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』については、トーハクが古美術商から購入したものですが、今渕さんの、郷土に関連する資料440点に関しては、正太郎さんが亡くなった後に、夫人のせつさんから、八戸市へ寄贈されています。
そんな今渕正太郎さんが旧蔵していた「如意輪観音菩薩」は、「意の如く」とある通り、願いを叶えてくれるという観音さまです。解説パネルには、以下のように記されていました。
前述したトーハク発行の雑誌『MUSEUM』には「髪の毛筋は丁寧に刻まれ、衣のひだは稜線を強調しつつも、自然に表わされる。このような運慶が確立した写実表現にもとづきながら手がたくまとめた小ぶりな仕上がりからは、善円(善慶)を代表とする、いわゆる善派系統の遺品が想起される」と記しています。
そう記したトーハク研究員の西木政統さんは、「面部が平板で、類の長い独特な面貌が康俊(という仏師の)作に近い」としています。また、そのほかの検証を経て、製作年代については「康俊が活躍する鎌倉末頃、14世紀初頭と考えたい」としています。(解説パネルとちょっと異なりますね)
■仏像の頭の中には、何が入っていた?
あれ……頭部内に納入品?
トーハクでは、CTスキャナーを使って、像内を見てみよう! という研究を行なっているのですが、この『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』を調べてみたら、頭部に、さらに小さな仏像などがあったということ。これ自体は、珍しくありませんが、この仏様を目の前にしていると「どんな仏像が入っていたんだろう?」って思いますよね?
ということで、調べてみました。
調べてみたと言っても、それほど難しくありません。トーハクの本館から東洋館へ抜けるところに、「17: 保存と修理」というスペースが用意されているんです。ここで紹介されていた仏像の一つが『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』だろうなと。
実際に行ってみると、やはり間違いありませんでした。何度か見ていた資料でしたが、やっとその『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』を見られたんだなぁと、少し感慨深いです。
CTスキャナーのデータを、誰でも分かりやすく映像化されたものが、透明パネルに投影されています。そして、こんな風に光背や小さい仏像が入っていたんだよと、頭部を見られるように映像が流れていきます。
さらにですね、この部屋には頭部のスキャンデータを元に、3Dプリンターで再現した、納入品が展示されています。
さらに光背と小さな仏像2軀を再現したものも並べられています。
上の小像を仏像ファンなどが見ると、「あっ!」っと、思い浮かべるものがあるかもしれません。
一つの光背に三尊がおさまる一光三尊形式の、いわゆる「善光寺式(三尊像)」と呼ばれる、観音&勢至の両菩薩を両脇に従えた阿弥陀如来三尊像です。現在(2022年12月16日)トーハクでは、重文の『阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式)C-93』が、『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』のすぐそばに展示されています。
こちらの『阿弥陀如来および両脇侍立像(善光寺式)C-93』には光背がなくなってしまったのか…飾られていませんが、一般的な善光寺式三尊像には、三尊の後ろに大きな樹木の葉っぱ型の光背(板)が配置されています。
その善光寺式三尊像は、特に珍しいものではなく、各地で作られていました。そして『如意輪観音菩薩坐像 C-1883』の頭部にも、おそらく善光寺式三尊像だろうという仏像と光背が、入っていたことが分かったということです。
先ほども少し引用したトーハク発行の雑誌『MUSEUM(No.683)』の、同館研究員の西木政統さんが執筆された『<研究ノート>東京国立博物館所蔵の如意輪観音菩薩立像と檀像表現』には、何が納入されていたのかが、次のようにまとめられています。
①舎利容器
②舎利(水晶製の舎利、金属製、石製の舎利)
③舎利を包む紙
④木製の光背(化仏5軀を貼り付け、2軀が脱落)
⑤木製の菩薩立像2軀
前述したのは、④と⑤についてです。
え? 善光寺式三尊像だったとするなら、もう1つの仏像……おそらくは阿弥陀如来が必要なんじゃないの? って思いますよね。それがですね……そのとおりで、阿弥陀如来が見つかっていないというよりも、入っていないんです。
でも前述の<研究ノート>を執筆した研究員の西木さんは、最後に「善光寺阿弥陀三尊の光背および脇侍2躯が確認された」と、頭部に入っていたのは「善光寺式三尊」の脇侍2躯、つまりは観音菩薩と勢至菩薩だと断定しているんですよね。
その矛盾……とは言わないのかな……その「でも阿弥陀如来がないじゃん!」という質問について同氏は「善光寺阿弥陀三尊の光背および脇侍2躯が確認されたが、ただ中尊の阿弥陀如来像が認められない。やはり中尊を舎利で表現したか、あるいは如意輪観音菩薩像それ自体を中尊に見立てる意識があったと考えてもいいかもしれない」
関連note
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