日光東照宮へ行って、久しぶりに衝撃を受けてきました
日光の東照宮へ、小学校か中学校の頃以来、数十年ぶりに行ってきました。テレビや雑誌などで、何度も見ているので、懐かしさはありませんでしたが、以前来たのがいつ誰とだったのかが思い出せず、少しモヤモヤしてしまいました。
今回は、嫌がる息子を引きずりつつ、行ってきました。
三連休の中日ということもあり、日光駅から東照宮までの道のりは大渋滞。大げさではなく、クルマ1台分が進むのに、数十分かかるというほどです。まだ紅葉が始まっていないのに……久しぶりに日光東照宮の人気っぷりを再認識しました。
ということで、駅前で昼食を取り、レンタカーを借りた我が家のクルマは、渋滞を避けるために大谷川を渡り、川沿いを東照宮を目指しました。かなり東照宮へ近づけたものの、そこもすぐに渋滞……。進むのを諦めたクルマが続出し、その引き換えしていくクルマの分だけを、少しずつ前進していくという様相でした。
助手席に座る小学生の息子が、「外へ出たい」と、グズりはじめます。息子と同様にジッとしているのが苦手な私は、家族にクルマを任せて、息子と2人で歩くことに。
結局、クルマに残った家族と親戚は、東照宮へ行くことを諦め、そのまま宿へ向かうことになりました。
東照宮へトコトコと歩いているうちに見つけた、雰囲気の良いお坊の門を見つけました。
実は東照宮へ行くのは数十年ぶりですが、日光へは何十回も来ているんです。その何度目かに来たときにも、この同じお坊を見て、写真を撮った記憶が蘇りました。この赤い丸型ポスト……大好きなんです。この妙なところに据えられた丸型ポストは、はっきりと覚えていました。ということで、今回もパシャリ。
今回の目的の一つが、日光東照宮宝物館。同館ホームページには「御祭神徳川家康公の遺愛品をはじめ、朝廷や将軍家・大名家からの奉納品、当宮の祭器具などを収蔵、展示公開している」と記されていたので、「こりゃ、本物のお宝が展示されているはずだ!」というのが一つ。さらに、歴史に興味を示さない息子に、まずは徳川家康から知ってもらおうと、展示品とともに、館内のシアターで見られるという『アニメーション徳川家康公』を見せたかったのです。
さっそく大人1,000円、子供400円という、安くない入館料を払って、2階のシアターへと向かいました。
ところが!
東照宮シアターのドアには、「新型コ●ナのため、上映中止」という張り紙が……。ま……じ……か……よ……。
愕然としている私を、息子が「やってないなら仕方ないねぇ。なかのだけ見て、早く帰ろうよ」と、慰めて(?)くれます。
正直、シアターが見られなかったショックから立ち直れず、展示室の前半は、うつろな目をしていたと思います。展示室入口にドンッ置かれた、家康公の遺愛品とされる『南蛮胴具足』を見ても……「へぇ…すごいねえ…」といった感じ。薙刀や太刀を見ても「また長船さんかぁ。トーハクのと何が違うの?」なんて、嫌なヤツっぷりを全開です。『東照社縁起絵巻』などは、チラッと見ましたが……やはりなにかグッとくるものがない。
数少ない、盛り上がった展示品は、儀式用に使ったという国宝の『大工道具』です。美しく装飾された「墨出し」や「手斧」の使い方を息子に説明しつつ、こんな豪華な大工道具は初めて目にするなと、驚きました。
ということで、残念な博物館No.1でした(笑) 展示品リストくらいは、ほしかったけれど、息子に急かされながら博物館を後にしたので、リストを探す時間もなく……。
「次はどこ行くの? 何個の神社に行くの?」
息子は私の手を引いて、博物館から外へ出ながら尋ねてきました。博物館周辺の様子を見て、この敷地内には、いくつもの神社仏閣があると察したようです。
「いくつって? 東照宮へ行くだけだから1個だけだよ(笑)」
そうごまかして、東照宮へ急ぎます。もう博物館のことは忘れて、東照宮を楽しもう! という気分に切り替えました。
東照宮へは、ずっと、砂利混じりの上り坂です。当初は、車椅子の義祖母を連れて来ようと思っていたのですが、これはやはり無理だったなと。これは、来る前に東照宮ホームページの「バリアフリーマップ」を確認していました。山にある神社はそういうものだと思っているので、特に東照宮へ文句を言いたいわけでもありません。
ただ……掲載されている「バリアフリー」のマップが、「バリア」だらけで、家族や親戚と苦笑いしていました。「こりゃ、無理だね…」と。
ということで息子と2人で、やや駆け足で東照宮を目指しました。
なぜ駆け足だったかというと、息子が「早く東照宮を見てホテルへ行きたい!」と、立ち止まって写真を撮ろうとする私の手をぐいぐい引っ張るからです。
ということで、ここからは息子の目を盗んで撮った写真ばかり……。構図とか考えていられず、スキを見つけてはiPhoneのシャッターを切りました。
金剛力士像が守る東照宮の表門を入って振り返ったところ。
ちなみに東照宮の入館料は大人1,300円、小中学生450円。京都や鎌倉などもですが、こうしたところに来ると、財布がどんどん軽くなっていきます(笑) だから、これまで来なかったんだろうなとも。
表門を入ってからも「早く行こう!」と、手を引っ張り続ける息子に、「あのね…ここには色んな動物の彫刻があるから、探してみてよ」と言いつけると、「いたよ!(やや怒り気味)」→「なにがいた?」→「ゾウがいた!(同)」→「どこにいる?」→「あそこだよ!(完全に怒り気味)」という感じです。
この後はサルがいて、龍がいて、キジと似ている錦鶏、猫、雀などが見つけられました。
「あの猿のポーズの意味って分かる?」と息子に聞きながら、彼が一瞬考えるために引っ張る手を静止させる瞬間に、パシャリ……すごく疲れる……。
歩を進めると陽明門が見えてきます。なんか息子に引っ張られながら歩くので、やたらと疲れる……。
急な階段の上に建っている陽明門。ドドーン! キラキラキラァ〜……という感じです。人混みの中で立ちどまりつつ、息子に急かされるという二重苦の中でパシャリ(苦笑)
陽明門をくぐると、すぐに拝殿と神殿が見えます。陽明門を見たあとだから、キラッキラ度合いが減り、落ち着いた印象を受けました。でも、写真でみると、やはりキラッキラですね。
その後、「もういいでしょ〜!?」と連呼する息子を「待て待て、あっちも見てみないと。いやなら、ここで待ってろ!」と言って、ガシガシ進みます。もちろん、年相応の寂しがり屋の息子は私の後をピッタリと付いてきています。
先ほどの『三猿』と同じ作者、落語でおなじみの左甚五郎が作ったと言われる『眠り猫』の下をくぐって、徳川家康の墓へ向かいます。『眠り猫』を見た記憶はありますが、徳川家康の墓を見たという記憶が、まったく残っていませんでした。
そのため、この後に、どんな急階段が待ち構えているかも、記憶にはありません。
とにかくものすごい急な階段を100段くらい登ると、家康公の墓にたどり着きます。「奥社宝塔(御墓所)」
↑ 調べてみたら、この石段は207段だそうです。そりゃ、太ももがガクガクしちゃうわけです。降りられるかな? と、本気で不安になりました。
奥社のようです。人の流れに抗して、立ち止まるのもはばかられたので、ほぼ歩きながらの撮影。いろいろとせわしなくて、早く帰りたい気持ちにも(笑)
207段あるという階段です。上りよりも下りの方がキツく感じるのは、言うまでもありません。太ももの筋がピクピクいって、崩壊寸前でした。この階段、一段ずつが一つの石なんだそう。歩いているときには、「きれいな階段だなぁ」と思ったものの、そんなことには気がつく余裕はありませんでした。
階段の途中から見た、拝殿や本殿のいらかです。
この後、息子を拝殿前で待たせて、一人で拝殿と本殿の列に並んで、入ってきました。入るまでに20分くらい並んだような気がします。中で説明がありましたが、「本殿に入れる神社は、とても珍しい」とのこと。たしかに、本殿まで入れた神社は、これまでなかった気がします。
あとは、戻りです。階段を下って、振り返っては写真を撮り、また振り返っては写真を撮り……。そして、息子に「早く早く」と急き立てられ……。東照宮、すっごい疲れたぁ〜!
そして、この直後に気が付きます……息子がいないと……(青ざめる)。
あたりを見回しても、それっぽい子供がいません。東照宮の中に置いて来たか? と思い、チケットのおじさんに頼み込んで、もう一度、入場させてもらいました。「もし見つからなかったら、放送入れるので言ってくださいね」と、とても優しいお言葉。わたしは青ざめながら、陽明門の前まで戻りました。その時に、たまたま家族からの電話が……。
第一声で、「ヤバい……見失った」と伝えました。すぐに電話を切り、家族が社務所へ電話……すぐに息子の名前がアナウンスで響き渡ります。その間、感覚的には5分くらい。すごい対応の速さです。
その後、近くの宿から、家族が東照宮に駆けつける途中で、息子を発見。
息子いわく「さっき来た道を、先に戻っていてって言われたから、先に歩いていっただけだよ。迷子にはなっていない」とのこと。たしかに、私が言いました……。アナウンスが鳴っていた時には、すでに敷地を出ていたようで、聞こえなかったと言います。
その後、私がホテルへ行くと、待っていた義祖母や義叔母などから白い目で見られ、さんざんな扱いを受けました。まぁ仕方ないとはいえ、ツラい東照宮参拝でした……トホホ。
と言っても、今回、行っておいてよかったです。また数十年は行かないだろうなと思います。次は、冬場の空いている時期に、中禅寺湖のほとりにある二荒山神社へ見に行きたいと思います。