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もう1つの「“あ”埴輪」が展示されています @東京国立博物館
東京国立博物館(トーハク)には、「あ……」と口を開けて、少し驚いたような表情にも見える、有名な埴輪があります。今は「踊る人々」と俗称されていますが、発掘された昭和5年(1930年)当時は「踊る男女」と呼ばれていました。
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※2023年8月23日現在は展示されていません
発掘された場所は、埼玉県大里郡小原村……現在の埼玉県熊谷市野原字宮脇 です。3月21日に発掘されたということなので、そろそろ桜が咲き始める季節でした。
出土した野原古墳は、全長約40m×高さ約5m×後円部径約16mの前方後円墳でした。同地の開墾中に偶然発見されたのですが、《踊る人々》のほかにも、武人埴輪や馬形埴輪、勾玉や鉄製品なども一緒に出土しました(詳細は後述)。そして、武人埴輪を除き、ほか出土品はトーハクの前身である帝室博物館が購入したのです……え? ほかにも出土品があったんですね……そりゃそうか。でも、トーハクには《踊る人々》のほかの出土品が残されていないのでは?
と思ったら、1つだけありました。(いや、わたしが気づいていないだけで、他にもあるかもしれません…むしろあるはず)
それが《埴輪 笠を被る男子頭部》です。解説パネルにも「埼玉県熊谷市 野原古墳出土」と記され、さらに「著名な踊る埴輪と同じ古墳から出土した人物
像です」とあります。
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また解説パネルにも、《踊る人々》や《埴輪 笠を被る男子頭部》のほかに、馬や矛などの埴輪も出土していたことが書かれています。ほかにどんな出土品があったのかをネット上で検索しているのですが、あまりにも《踊る人々》が著名過ぎて情報が埋もれてしまっているのか、言及する資料を探すだけでも大変でした。
そして、まだ読んでいませんが、トーハクが発行する雑誌『MUSEUM』の第310号 (1977年1月)に、亀井正道さんが記した「踊る埴輪出土の古墳とその遺物」という特集記事に、発掘当時の詳細が記されていると分かりました。今度、機会を見つけてトーハク資料室で読んでみたいと思います。
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野原古墳での出土品のリストだけが、出土地の熊谷市のWebサイトに列記されていました。このうち「7」と「8」が《踊る人々》で、「10」か「11」が《埴輪 笠を被る男子頭部》ということなのでしょう。
1. 勾玉 1個
2.丸玉棗玉残片1個添 2個
3.銅環 2個
4.鉄環 2個
5.鉄鏃残欠 一括
6.刀身残欠 一括
7.埴輪踊る男子像 1個
8.埴輪踊る女子像 1個
9.埴輪男子像頭部 1個
10.埴輪男子像頭部 1個
11.埴輪男子像頭部 1個
12.埴輪剣 1個
13.埴輪馬残片 一括
14.埴輪残片 一括
《埴輪 笠を被る男子頭部》など3埴輪以外も、多くがトーハクに収蔵されているはずなのですが、展示されることはあるんでしょうかね。
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※2023年8月23日現在は展示されていません
《踊る人々》の話をもう少しすると、発掘された昭和5年(1930年)当時は《踊る男女》と呼ばれていました。当時は、男女が踊っている姿をあらわしたものと考えられたんです。それが最近では「馬をひいている姿なのでは?」という考えも有力になってきたし、男女でもないんじゃないか? ということで、《踊る人々》と呼称されるようになりました。
《踊る男女》としたのは、出土した1930年当時は、帝室博物館に勤務していた後藤守一さんという考古学者でした。彼が1944年(昭和19年)に記した『少國民選書 埴輪の話』(増進堂)が、ネットにあったので読んでみると、とてもおもしろいです。特に《踊る男女》について言及した項目では、現在の研究者のように「〜な可能性がある」や「〜かもしれない」という話し方ではなく、「これは男女が踊っているんだ」とか「踊って顔が紅潮しているところまで表現していてすごいでしょ!」など、推測ではなく断定している点が興味深いです。
音楽をしてる埴輪のついでに踊ってゐるのを見て下さい(注:前項までで楽器を奏でる埴輪が紹介されています)。一つのお墓から、二つそろって発見されたのですが、高さが違ひ、頭のやうすが、少し違ってゐます。一寸見たところでは、ずゐぶん下手な人がこしらへたもののやうに見えますが、決してさうではない。
太鼓の音が乱調子になって来た。笛もそれにつれて来たし、手拍子もいそがしい。それにつれて、踊る二人のさす手、ひく手もいそがしい。歌も聲高い。熱して来た。皆の顔はまつ赤になり、にジットリと汗ばんでゐるといふやうすが、よくこれで分かるではないでせうか。私は、この埴輪をつくる人の腕は、決して上手とはいはれないが、しかしこの踊りの最高潮になった時のやうすを目の前に、いや頭の中にうかべ、自分がその一人になって、心では踊り、額には汗ばんでゐながら、この埴輪をつくる心がいつぱいにあふれてゐたのであり、埴輪の名作の一として忘れてはならないものと思ってゐます。
国立国会図書館
同書では、様々な場所から出土した埴輪を解説しています。そしてそれぞれ下記のような愛らしいイラストが添えられているんです。そうして言及される……描かれている多くが、今も東京国立博物館に展示されている埴輪なので「あぁ〜、あの埴輪だなぁ」なんて思いながら読み進められました。
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<今後参考にしたい資料>
MUSEUM 第310号 (1977年 1月) B5判
踊る埴輪出土の古墳とその遺物(亀井正道)
■最も有名だろうトーハクの遮光器土偶
現在、トーハクの平成館にある考古室には、あの遮光器土偶も展示されています。トーハクの代表的な収蔵品の1つであり、遮光器土偶と言えばコレ! というほど有名な土偶ですよね。
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この土偶は、明治大正年期あたりから、ずーっと帝室博物館に所蔵されたものとばかり思っていましたが、実はトーハクに収蔵されたのは1990年と意外にも最近のことでした。経緯としては、1957年に重要文化財となり、個人蔵(越後屋旧蔵)から国家保有となり、1990年に東京国立博物館に収蔵されたそうです。
参照:中村公省『ハート形土偶、遮光器土偶、金生土偶を貫く三大特徴』,21世紀中国総研. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12770361 (参照 2023-08-24)
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遮光器土偶は、これまで全国で3,421点が出土しているそうです(鈴木克彦『遮光器土偶の集成研究』より)。それなのに、なぜこのトーハク所蔵の、左足部が欠損したものが代表的な事例として挙げられることが多いのかは、個人的には謎ですね。
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※Aが亀ヶ岡でBが床舞と、明らかに誤記されています
それにしても、昭和時代の亀ヶ岡の遮光器土偶には「両脚」があるのですが……これは発掘後に復元されたけれども、のちに復元部を再度外したのか……ないとは思いますが、発掘後に破損してしまったのか…。
<今後読みたい資料>
■もう一つの遮光器土偶
現在トーハクには、もう一つ遮光器土偶が展示されています。亀ヶ岡の遮光器土偶よりも完全体に近いようにも思いますが、こちらは「その他の土偶」扱いされているため、それほど混むことなく、じっくりと見られます(ただし前面のみ)。
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■香炉みたいな《異形台付土器》
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こちらは、いつも展示されている気がしますが縄文晩期の《異形台付土器》千葉県銚子市 余山貝塚出土です。なんとなく香炉のような気もしますが…中に火を焚べて、上に皿や土器を載せて温めたり炒ったりした…なんていうのはどうでしょうか。
■土偶の顔部分が貼り付けられた土器
現在、日本館(本館)2階に展示されている《人形装飾付異形注口土器》も「土偶付きの土器」ということで、興味深いです。
解説パネルには「前後には顔、左右には人の姿が表現されています」と記されていますが、前後も左右も似た感じの、この表情の土偶って少なくないよね? という感じの「江戸っ子」風の表情の顔が貼り付けられています。
北海道の北斗市茂辺地で出土しました。
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