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中国・北宋の白描画家・李公麟について……講談師風の語り口で、AIに教えてもらいました。

ちょっと唐突ですが、AIを駆使しながら何かを学びたいと考えて、今回は中国の「李公麟さん」について調べてみました。それでは始めます……。以下はAIに依頼して、講談師の口調を真似て、李公麟について語ってもらっています(前後半で口調がやや異なる点はご容赦ください)。

■中国・北宋で白描画を確立させた李公麟

さてさて、皆様、お聞きくだされ!中国古代の肖像画には、何千年もの歴史がございまするが、その中で幾度か大きな変革があったのでございます。その中でも特筆すべき一つが、李公麟(りこうりん)という人物に関わるのでございます。

この李公麟りこうりんという御仁、ただの絵師ではござらぬ。何を隠そう、このお方が、まさに革命を起こした張本人!何をどうしたかと申しますれば、な……なんと、従来の肖像画の常識を覆し、絵画に使われていた鮮やかな色を全て取り払ってしまったのでございます。そして残ったのは、ただ墨の色とその巧みな線描きのみ!その勇気と大胆さ、まさに尋常ならざるもの!まさしく、彼の手によって肖像画は新たな境地へと導かれたのでございます!

李公麟りこうりんが生み出したこの新しい画法、ただの工夫ではござらぬ。これは、従来の画法で最初に行われる工程、これを一つの独立した画法として大いに発展させたのでございます。その名も『白描(はくびょう)』!そう、色を排し、線と墨のみで描くこの技法、これが後世に大きな影響を与え、多くの画家が肖像画にこの技法を用いるようになり、その流れは、今に至るまで続いておるのでございます。

ではここで、改めてこの偉大なる人物、李公麟りこうりんという御方をご紹介いたしましょう。彼は北宋の文人画家。1049年に生まれ、1106年にその生涯を閉じましたこの李公麟りこうりんあざなは伯時(はくじ)、号は龍眼居士(りゅうがんこじ)。故郷は今の安徽あんき省にあたる舒城(じょじょう)でございます。この御方、宋代における人物画の第一人者で、道教や仏教に関係する人物画、人物、さらには鞍馬(あんば)、つまり馬に乗る姿を描くのを得意とした名人でござった。

この李公麟りこうりんの画業、ただ先人を受け継いだだけではござらぬ!彼は、顧恺之(こがいし)、吴道子(ごどうし)、李思訓(りしじゅん)といった歴史的な巨匠たちの伝統を見事に継承しつつも、自らの創意工夫を加えたのでございます!そう、彼は『他者の良きを集めて自分のものとなし、さらに己の意を立て、一つの流派を築いた』と言われる、まさに独創的な画家でありました。

特に注目すべきは、彼が唐代(618年〜907年)の吴道子(ごどうし)の時代に流行していた『白画』という技法を、精密化または文人好みの作品へと引き上げた点でございます。

吴道子《送子天王图》
吴道子《送子天王图》
吴道子《送子天王图》
吴道子《送子天王图》

そして李公麟の『白描』とは、純粋に線と墨の濃淡のみで事物を描き出すという、まさに線描技法の究極の姿といえるもの!この技法では、線を使って形をつくり、時に淡い墨やわずかな赭石しゃせきを用いて控えめに彩色することもございましたが、枝葉末節を削ぎ落とし、物の本質と空間、質量を見事に表現したのでございます。

さてさて、こうして李公麟は中国絵画史において白描画の旗を高く掲げ、その名は『白描の大師』として語り継がれておるのでございます。そして、李公麟の白描画は、その後のほとんどすべての白描人馬画に影響を与え、その源流はまさに李公麟の芸術から湧き出たものでございまする!

■李公麟、唯一の真筆《五馬図巻》

李公麟の白描作品の中でも、最も名高いものといえば、何をおいてもこの《五馬図巻》でございます。こちらの作品は、中国のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀から日本へ流出したのち、約80年間も所在不明だったもの。かつては太平洋戦争の時に焼失してしまったとも噂されていたものです。それが、なんと!東京国立博物館に寄贈されて、2019年に開催された『顔真卿』特別展で、その真跡が初めて公開されたのでございます。

《五馬図》というこの名作……わたしにはどこがそんなにすごいものなのか! については存じ上げません。それでも中国や日本の美術関係者が、口を揃えて「傑作!」と言うもの……傑作でないわけがございません。

作品には、北宋朝廷に西域から貢ぎ物として献上された5頭の見事な馬が描かれてございます。それぞれの馬の姿は、宋代を代表する書家、黄庭堅(こうていけん)が見事な題字を添えておりまして、馬の名前をはじめ、年齢、進貢された時期、そしてどこに収められたかといった情報が記されておりまする。

黄庭堅の題跋によれば、この五匹の馬たちの名前は順に、鳳頭驄(ほうとうそう)、錦膊驄(きんはくそう)、好頭赤(こうとうせき)、照夜白(しょうやはく)、満川花(まんせんか)と呼ばれていたのでございます。

そして、絵の中には、五人の馬を管理する馬官が描かれておりまする。これがまた面白いのは、そのうち二人は漢人で、残りの三人は漢人以外。彼らの容姿、服装、さらには表情までが実に細やかに描き分けられておりますが、そこには一見異なるようでありながら、どこか共通する微妙な気質が漂っておるのでございます。まさに李公麟の技法の巧みさが光る一作でございますな!

■伝・李公麟《西岳降霊図》

李公麟の真筆とハッキリと言われているのは、トーハク所蔵の《五馬図》のみですが、李公麟が描いたものでは? と言われている「伝・李公麟筆」については、いくつかの作品が残ってございます。

その1つ、北京の故宮博物院に収蔵されている《西岳降霊図》についても、お話しておきましょう。この画巻は、全長が516.3センチで、幅26.5センチという大きさ。画巻の末尾には北宋時代の書画家であり文人の贺方回(がほうかい)さんによる題跋があり、李公麟が唐代の李将軍の西岳庙の壁画を非常に珍重し、これを模写したことが記されています。

描かれているのは……道教の五岳の神の一人「西岳大帝」が、下界を巡遊する様子でございます。貴族やその家族、従者たちが行列を成している様子が、賑やかに描かれております。なにせ人物や衣服、器具には唐代の風貌が色濃く残り、歴史的価値も非常に高いとのこと。まるで映画のシーンを切り取ったように、静的な技法で動的な視覚効果を生み出しています。

伝・李公麟《西岳降霊図》

さて、画巻の始まりには二人の斥候、つまり古代の偵察兵が描かれています。一人目の斥候が振り返る様子は物語性を高め、観る者の視線を引き寄せる巧妙な工夫が施されています。そして二人目の斥候は、馬の頭や四肢、弓や刀が光を放つように描かれ、全体で見るとダイナミックな表現がされております。

続いて、二人の随行者が登場します。一人は鷹を持ち、もう一人は犬を引いています。この導入部は、見る人の視線を深いところへと誘い込み、いよいよ「西岳大帝」が姿を現します。

伝・李公麟《西岳降霊図》

この絵の中では「主大従小」という手法が用いられており、中央には豪華な馬に乗った西岳神が堂々と立ち、その周りには多くの随行者がいて賑やかに行列を作っています。随行者の身長が小さく描かれることで、大帝の威厳が際立つ演出になっているのです。

伝・李公麟《西岳降霊図》
伝・李公麟《西岳降霊図》

さらに、音楽が流れ、ゆっくりと進む女眷たちの姿が現れ、犬や侍女の振り返りがまた視線を引き寄せます。ここから画面は一転、女眷や子どもたちが登場し、動物や器物にも明らかな変化が見られます。男主人公の傍らの武具は女眷の生活用具に変わり、獲物の犬は愛玩犬に、弓は琴に、旗は団扇に変わっていくのです。

伝・李公麟《西岳降霊図》
伝・李公麟《西岳降霊図》
伝・李公麟《西岳降霊図》

最後には華やかな金の犢車(とくしゃ)が現れ、牛に引かれてゆっくりと進んでいきます。その後ろには八人がかりの大轿(おおかご)も続き、前の四人が担ぎ、後ろにも四人が隠れているのです。

伝・李公麟《西岳降霊図》

この全体の画巻、線の疏密が豊かで、人物の姿勢も生き生きとしており、それぞれに異なる表情があります。西岳大帝は威厳に満ち、女眷たちも堂々としており、子どもは無邪気な笑顔を見せ、犬を訓練する人は鋭い眼差しをしています。このすべてが、李公麟の日々の観察と技術が生み出したものなのです。

伝・李公麟《西岳降霊図》

■伝・李公麟《宋李公麟畫麗人行 卷》

さてさて、せっかくお越しいただいたついでに、もう一つ面白いお話をいたしましょうか。ご紹介するのは、台北の故宮博物院に伝わった、李公麟が描いたものと伝わる……その名も《宋李公麟畫麗人行 卷》という絵巻物でございます。「麗人行」とは、あの杜甫の有名な詩を題材としたものでして、「行」というのは詩の一つの形式でございますな。

《宋李公麟畫麗人行 卷》台北故宮博物院蔵

この絵巻には、あの楊貴妃の姉、虢国かくこく夫人ら貴族女性たち、総勢9名が、春の訪れを感じさせるある日のこと、馬に乗って優雅に外出する様子が描かれておるのでございます。彼女たちは、ふくよかな体つきをしており、額と鼻を白く塗った、当時流行の化粧で装いを整えています。また、彼女たちが乗る馬は立派に肥え、隊列は悠々と進んでおる様子が見て取れる。

この絵の素晴らしさは、人間や馬の造形はもちろんのこと、女性たちの髪型、衣装、色使い、さらには筆遣いに至るまで、唐の時代の風情が細部にわたってしっかりと描かれている点でございます。

ただ、どうやらこの作品には画家の署名や印がないようでしてな。しかしながら、宋の時代に李公麟(1049-1106)が馬と人を描く名手であったことから、後世の人々がこれは彼の手によるものであろうと考えた、そういうわけでございます。

ここで気になるのは元となった杜甫の『麗人行』という詩……一体どんなものだったのか?ということでございましょうな?こちらにその詩をご披露いたしまする!

三月三日天氣新,
長安水邊多麗人。
態濃意遠淑且真,
肌理細膩骨肉勻。
繡羅衣裳照暮春,
蹙金孔雀銀麒麟。
頭上何所有,
翠爲葉垂鬢脣。
背後何所見,
珠壓腰衱穩稱身。

三月三日、新たな天気に恵まれ、
長安の川辺には美しい女性たちが多く集まる。
その姿は濃厚で情趣深く、優美で真摯。
肌はきめ細かく、均整のとれた体つき。
刺繍された羅衣は、晩春の光を浴びて輝き、
金で縫われた孔雀や銀の麒麟が映えている。
頭には何があるのか、
翠の葉が垂れて、鬢や唇を飾っている。
背後には何が見えるのか、
真珠が腰にしっかりと固定され、体にぴったりと合っている。

■伝・李公麟だった……国宝の《瀟湘臥遊図巻》

さてさて、ついでと言ってはなんですが、もう一つ面白い話がございます。東京国立博物館にはもう一つ、李公麟が描いたと伝わる……いや、正確に申しますと、そう伝承されていた作品があるのでございます。それが《瀟湘臥遊図巻》という画巻でございます。

この作品、なんと、中国の清朝時代、最盛期を誇った皇帝・乾隆帝が特に愛した名品中の名品として知られております。山水図を描いた画巻でして、巻末に記された跋文によりますと、これは南宋時代、12世紀に、雲谷老師と呼ばれる禅僧のために描かれたものだとわかるのでございます。

さて、この雲谷老師という方、旅を愛していたのですが、景色の良さで有名な湖南省の瀟湘を訪れることができなかった。そこで、年老いて故郷に隠棲してから、そのことを悔やみ、李という画家に瀟湘の景観を描いてもらったのが、この《瀟湘臥遊図巻》というわけでございます。老師は、体は臥(ふ)せったままで、心は山水を巡る、いわゆる「臥遊」を楽しんだというのですな。

描かれた風景は、なだらかな山々、木々が茂り、湿潤な空気が漂う中、のどかな人々の暮らしが営まれております。画家はごく淡い墨を重ね、霞に映る柔らかい光を見事に捉え、細やかな筆遣いで漁師の舟、水辺の葦、飛び交う雁の群れまでも描き込んでおります。この美しい風景、いつまで見ていても飽きることがなく、一度見たら心の中に大切に残る、そんな魅力を持った作品でございます。

さて、面白いのはここからでございます。李公麟が描いたと伝わった……けれど李公麟の作ではない《瀟湘臥遊図巻》はすでに国宝に指定されているのです。一方の李公麟の真筆とされる《五馬図巻》は、いまだ重要美術品どまりでございます。なかなか興味深い話ではありませんか?まぁ《五馬図巻》が国宝に指定されるのも、時間の問題でしょうがな。

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