ある大正の日本人画家が生き生きと描いた朝鮮・ピョンヤン@東京国立博物館by前田青邨
東京国立博物館に行くと、最近、好きになった明治・大正期に活躍した前田青邨さんの絵が2件も展示されていました。その一つが『朝鮮之巻』です。
以前、前田青邨さんの『竹取物語』を紹介しました。100年以上前に描かれたとは思えないほどの新しさを感じたとともに、描かれた人たちの今にも動き出しそうな躍動感と色……特に“青”の鮮やかさでした。
そこからの『朝鮮之巻』。
今回は一転して、“白”の世界が長い絵巻で描かれています。
当時の朝鮮半島……現在の北朝鮮・平壌を取材して、大正4年(1915)に描いた作品です。
こうした絵を見ると、当時の日本の状況を知りたくなります。
冒頭で記した通り、『朝鮮之巻』は、大正4年(1915)に描かれた作品です。
その約20年前の明治27年(1894)には日清戦争が勃発し、翌年には勝利を収めて日清講和条約(下関条約)を締結。この条約で、清国は朝鮮の独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島の日本への割譲などを承認します。
日清戦争から約10年後、明治37年(1904)には日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まります。翌年には日露講和条約(ポーツマス条約)を調印。日本の朝鮮半島における権益が認められ、ロシア領の樺太南半分を割譲、大連と旅順の租借権を獲得。とりあえずの勝利を得ました。
そうした清国やロシアとの戦争を経て、明治43(1910)8月には、日本が韓国(朝鮮半島)を併合しました。
その韓国併合から5年後……日本人全体がかなり調子に乗っていただろう……そんな時代に描かれたのが、今村紫紅の『熱国之巻』でした。え? いきなりなんで今村紫紅なのかと言えば、この今村紫紅の『熱国之巻』に刺激を受けて、前田青邨は、朝鮮に渡り、平壌を取材して描いたのが『朝鮮之巻』なんです。
話は前田青邨の『朝鮮之巻』に戻すと、現在は解説パネルがありませんでしたが、以前掲示されていたものを見ると、「明るい青邨画の始まりを告げる佳作といえる」と記されていました……と書いて思ったのですが、“明るい青邨画”ってことであれば、冒頭で挙げた『竹取物語』は明治に描かれたものなので、以前から明るかったよなぁ‥…。“明るい青邨の風景画”の始まり…ということでしょうか。
『朝鮮之巻』を見た時の印象は、とにかく装束が白い……ですね。朝鮮半島全体だったのか、ピョンヤン特有の風俗なのか分かりませんが、みんな白い服を着ていて、色があっても淡い色彩です。建物の屋根は、瓦葺きと藁葺きが半々くらいでしょうか。河岸では、棒を振りかざしている女性たちがいます(洗濯しているようです)。
いずれにしても、『朝鮮之巻』を右から左へと見ていくと、雑踏の喧騒…‥ざわざわざわっていう喧騒が聞こえてきました。なんならアジア特有の色んな匂いも漂ってきます……うちの近所で言えば、上野アメ横のガード下の匂い……匂いだけで言えば、アメ横センターの地下の匂いが漂ってきました。
とにかく描かれている人たちの表情を一人ひとり見ていくと楽しいし、それぞれがしっかりと歩いたり動いたりしているんですよね。
今回も面白い鑑賞体験ができました。
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