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【科博:今週末で終了】貝に魅せられた人たちによる小さな企画展『貝類展』…上野・国立科学博物館

東京・上野の国立科学博物館(以下:カハク)では、企画展「貝類展:人はなぜ貝に魅せられるのか」を、11月26日から2025年3月2日までの期間で開催しています。

なんかもうポスターからして、わたしの好みです。(まぁ色々と物議をかもしたチラシでしたけど…わたしからすれば、どうでもいい話で…意識低すぎてすいません)

ちなみに企画展は特別料金は不要。常設展の入館料630円のみでも、年間1,500円の「リピーターズパス」でも、特別展『鳥』を見た後なら、そのまま追加料金不要で観覧できます。

■貝に魅せられた人たちによる展示会

今回の貝類展の副題は「人はなぜ貝に魅せられるのか」という問いかけなのですが、言ってみれば「貝に魅せられてしまって離れられなくなった人たちによる展示会でした。

また詳細にnoteしていこうとすると、遅筆のため、同展が終わってからの紹介になってしまいそうなので、今noteではサラッと書いていきますが……控えめにいっても、貝にそんなに詳しくなくてもおすすめです。また「実は貝が好きなんだよね」と言いつつ、デートへ行くのにも良いデスティネーションなのではないかと思いました。だって、貝ってきれいなんですもの。

そんな風に、どんなきっかけで行くことになっても良いと思いますが、同展で、貝をどんな風に紹介しているのかを、先に知っておくと、展示室へ行った時に、より理解を深められるような気がします。

2024年11月30日くらいに書いた時の文章

以上は、2024年11月30日くらい…つまり同展が始まってすぐに書いた時の文章です。予測していた通り、noteを書き終えることなく、今週末…明日の日曜日(2025年3月2日)には同展が終了してしまいます。

なんで今さら思い出したかと言えば、数日前に、YouTubeの科博チャンネルを開いたら、今回の貝類展の動画がアップされていたからです。

やっちまったなぁ…と思いつつ、もうほぼ自分の感想は書き加えず、要点をまとめて云々する時間もないので、展覧会で見たものと撮ってきた写真をほぼそのまま添付していきます。

できれば、上の動画を見てから、下の展示風景を見ていくと、今回の展覧会の様子が「わたしのように貝類を全く知らない人でも」、理解が深まると思います。(できれば週末に駆け込みで科博へ見に行ければよいのですが…)

同館が貝の展覧会を開催するのは40年ぶりとのことでした。これを見逃すと、また半世紀近く、こうした展覧会は見られないかもしれません。せめて記録にだけ残しておきたいと思い、いま急いでnoteを仕上げました(仕上げたというか…コピペしただけなのですが…)。

以下は、序章から4章まで、同展の構成と同様に紹介していきます。

■序章:貝類の世界

貝類とは、無脊椎動物の一群である軟体動物の中で、炭酸カルシウムの殻をもったものを指すことが一般的ですが、広い意味では貝殻をもたないものも含みます。地球上に繫栄する貝類は、どのように誕生し、発展してきたのか。ここではまず貝類の進化の道筋をみていくとともに、その驚くべきサイズの多様性についても紹介します。

チラシより

まず行く前に知っておきたいのが、今回の展覧会は『貝展』ではなく『“貝類”展』だということ。わたしたちは「貝」と言うと「貝殻」をイメージしますが、専門家は「貝殻」よりも、中に居る「生き物」に注目しているわけで、そうしてみると、「貝」というのは軟体動物ということになるのでしょう。そうして生き物を観察して分類していくと、貝殻の有無……貝殻が見えるか見えないかは、あまり関係がないということになるようです。

門外漢のわたしからすると、もうちょっとカテゴリーを狭めて欲しいなぁとも思いますが、同時に「え? 貝って軟体動物だったのか!?」というシンプルな驚きがありました。言われてみれば…っていう感じですね。

エントツガイ Kuphus polythalamius 沖縄県 西表島 二枚貝網 フナクイムシ科
熱帯太平洋に点々と分布し、日本国内にも分布することが2022年に明らかにされた。この標本は海底の堆積物深くから振り出す最中に管の後部(上側)が破損してしまったが、完全であれば長さは170cmを超え、ワールドレコードと言える。左から、管、軟体部、そして軟体部から外した数とバレットを展示。

エントツガイは、現生する世界一長い二枚貝といわれています。体は自ら施した石灰質の「管」のなかに収まっており、管の長さは1.5メートル以上になります。フナクイムシ科*の二枚貝ながら木材ではなく、海底の堆積物に潜っています。生息地や生態が謎に包まれていたため、長らく「謎き、巨大な稀歩貝」とされてきましたが、2017年の研究で、魚に共生する化学合成細菌が作った有機物を食べていることが明らかになりました。
★詳しくは、会場内の「コラム:フナクイムシ」をご覧ください。

↑ 芳賀さん…お話をうかがった時に、この先生だったと気が付かなったのですが、とても気さくな方でした。

■第1章:貝類の多様性の成り立ち

地球上に10万種以上存在するといわれる軟体動物は、体のおおまかなつくり(体制)だけでなく、生息環境や生態、貝殻の形態など、さまざまな面で著しく多様性に富んでいます。貝殻を失う方向に進化した貝類もあります。ここでは、まず軟体動物の全体像を示し、そしてさまざまな角度から多様性とその要因についてみていきます。

チラシより
頭足綱(タコやイカの仲間)
現生の種は石灰質の大きな貝殻をもつオウムガイの仲間と、貝殻が退化的なイカやタコの仲間に分けられます。イカやタコでは基本的に8本の腕と、種によっては2本の熱腕をもち、貝殻は内在し、タコでは完全に失われます。解説パネルより
1cm以下の貝については、標本のとなりに拡大写真がありました
奄美大島のイロウミウシ上科 Chromodoridoidea シンデレラウミウシ Hypselodoris apolegma
液浸標本なのに真っ白にならず色がしっかりと確認できるのがスゴイ! ポイント
きしわだ自然資料館 蔵
パウチに入れられた液浸標本は、体の形などが見やすい!
ほとんどのカタツムリが右巻きなのに、左巻きのカタツムリがいます。これはカタツムリ専門に捕食するヘビから身を守るために進化したのかも…という説があるそう
セダカヘビ科へビ類とニッポンマイマイ属カタツムリの分布
ニッポンマイマイ属のカタツムリは本州から南西諸島を経て台湾まで分布します (青線)。少なくとも50種以上が知られていていますが、ほとんどは右巻きで、左巻きの種は琉球諸島の西部にのみ見られます(赤線)。その分布はセダカへビ科へビ類の分布(橙色線)とおおむね重なります。
#st: Hoso et al. (2010) Nature Communications. December 2010
ハリナガリンボウ Guildfordia yoka 雯知県沖 腹足網
ハシナガトゲニナ Tiphobia horei アフリカ タンガニーカ湖 ALEM Paludomidae 個人蔵
ホネガイ Murex pecten 和歌山県沖 腹足網 アッキガイ科
マボロシハマグリ Hysteroconcha lupanaria メキシコ カリフォルニア湾 二枚貝網 マルスダレガイ料
南極の貝類
南極とは、広い意味では南極点を中心とする南極大陸およびその周辺の島嶼・海域を含む地域を意味し、南極点から南緯66度33分までについては南極圏と呼びます。ここでは昭和基地周辺の海域から採集された貝類を紹介します。
日本海溝の貝類
超深海とは、海溝の内部に相当します。一般に6,000メートルよりも深い水深帯で、その累積面積は、全海底面積の0.25%未満に過ぎません。ここでは、三陸~北海道沖の日本海溝内部から採集された貝類を紹介します。

色彩の多様性
貝殻は、また色彩においても多様です。たとえば食用とされることもあるヒオウギは、形態的には_やや面白みに欠ける二枚貝の中でも同種内で黄色や薬、オレンジなど多様な色彩を表します。また、海外のカタツムリの仲間には、人工的に着色されたのではないかと疑いたくなるものさえあります。巻貝のタカラガイ類やイモガイ類も多彩な模様が特徴ですが、その機能的な意味については謎が多いままです。

貝化石の模様
貝殻の色彩は、化石化すると次第に失われてしまいます。しかし、殻本来の構造が残された保存のよい化石であれば、紫外線を照らして観察すると、模様(色彩のパターン)が見える場合があります。何色かまではわからないものの、復元された模様からは多くの情報を得ることができることから、貝化石の有用な研究手法のひとつです。

タイワンイモムシ
タイワンイモムシ

■第2章:人類と貝類の長い関わり(先史時代〜現代)

人類と貝類の関わりは先史時代から今日に至るまで続いています。食料が乏しい時期には、貝類は人類の生活を支える安定した食料となっていました。一方、貝殻も利器、装飾品などの素材として利用されてきました。さらには神事や遊びなどの文化にも関わるようになるなど、単なる天然物を超えた存在となっています。

チラシより

彦崎貝塚出土遺跡
縄文時代の代表的な貝塚の一つが岡山市に位置する彦崎貝塚です。縄文時代前期~晩期にかけての生活残滓を留める貝層からは、海産、淡水産、陸産など多種多様な貝類が出土しており、ハイガイ・マガキ・アカニシ・ヘナタリが多く見られます。またこれらのさまざまな貝を食し貝製品や貝輪の作成を行っていた縄文人もこれまでに30体近く見つかっています。

モースと大森貝塚
日本で初めて学術的な発掘調査を行ったエドワード・S・モースは実は貝類の研究者でした。時貝類と考えられていた腕定類の研究のために1877年に来日し、横浜から東京へ向かう列車の中から大森貝塚を発見しました。厚い貝層に気が付いたのは彼が貝類研究者であったからでしょう。貝が取り持った不思議な縁で、現在まで続く日本の考古学や人類学の礎が築かれました。

弥生時代の貝交易
弥生時代においては南海産の貝類を用いて作られた装身具である貝輪が人々に珍量されました。南方の産地から素材となる貝殻を集積したり、製品へと
加工する中継地を経て貝輪を威信材として用いる消費地へと至る「道」が、交易を通して日本各地を結び付けていました。ここでは伊豆諸島から三浦半島に至る東の貝の道と、琉球列島から九州南部を経由して九州北部へと繋がる西の貝の道を紹介します。


東の貝の道
縄文海進時にできた三浦半島の海蝕洞窟は、海退後の弥生時代から人々が利用をはじめます。伊豆諸島から産出するオオツタノハ交易の拠点となっていたと考えられ、貝輪の作成なども行っていました。またほかにもさまざまな具を用いて装飾品や利器を作っていました。三浦半島の洞窟遺跡で特徴的な遺物の一つが「貝包丁」です。アワビなどの貝殻で作られますが、その使用用途や機能についてははっきりしておらず、考古学的な再検討が行われています。

 アワビ貝殻製品(貝包丁) 昆沙門洞窟遺跡群出土
昆沙門洞窟遺跡群出土
貝製品 海外第1洞窟遺跡出土 三浦市教育委員会蔵
貝 大浦山洞窟遺跡出土 三浦市教育委員会蔵

西の貝の道
北部九州の弥生人は、琉球列島産の貝で作った特別な腕輪を好み、貝殻を輸入するために沖縄と北部九州を結ぶ1,200キロメートルにも炭ぶ交易ルートを開拓しました。この貝の道の海上遠距離交易を担ったのが西北九州に住む人々でした。鹿児島県の薩摩半島に位置する高橋貝塚は、産地である琉球列島と消費地である北部九州とを繋ぐ交易地だったと考えられ、ゴホウラやイモガイ製の貝輪の加工品が出土します。貝塚からは食資源としての海産の貝類も多く見つかり、当時の生活の様子を伝えています。

高橋貝塚から出土した貝類 鹿児島県立文化財センター蔵
高橋貝塚から出土した貝類 鹿児島県立文化財センター蔵

縄文人のアンモナイトコレクション
北海道はアンモナイトの世界的な産地の一つです。道央や道北の川沿いや海岸に露出する白亜紀の地層からアンモナイトが多産します。アンモナイトの化石は、道の縄文時代の遺跡からもいくつか発見されています。これらの中にはメノウ化したものや中央部に乳があいたものなども含まれています。用途は不明ですが、これらは人の手により遺跡に持ち込まれたと考えられています。縄文時代にもアンモナイトに魅了された人がいたようです

道具や装飾品としての関わり
炭酸カルシウムの貝殻は、素材としてもさまざまな形で利用されてきました。アワビ類などの真珠層をもった大型の貝は、螺鈿などの象嵌細工や貝ボタンの材料として活用され、目向灘のチョウセンハマグリの殻は最高級の碁石(白石)の材料とされています。自然な質感や、一つ一つ微妙に異なる天然の揺らぎが独特の風合いをもたらします。また、真珠は明治時代に日本で養殖が確立され、装飾品として重要なものとなっています。

文化との関わり
有史以前から人々の身近な存在であった貝類は、単なる食材や道具の素材を超えて、文化との関わりも生み出しています。平安時代から伝わる見合わせは、代表的なものの一つで、二枚貝の殻が同じ個体の片割れとしか合わないことを利用したものです。大型の巻貝を吹き鳴らして邪気を払う文化は世界中に見られます。貨幣となったり、貴重なものの象徴とされることもあり、竹取物語の「燕の持ちたる子安の貝」はその一例といえます。

貝貨と呼ばれる、貝殻を用いた貨幣は、世界のさまざまな地域で使われてきました。現代でもパプアニューギニアでは巻貝をビーズ状に連ねた「タブ」が流通しています。貝貨には主に小型の巻貝や大型の二枚貝を削ったものが用いられますが、中でもタカラガイ科のキイロダカラとハナビラダカラはもっとも一般的なもので、キイロダカラの学名はお金を意味します。また、「貝」の文字はタカラガイの貝殻の形を象形化したものとされています。

キイロダカラ

フナクイムシ
ミミズのような長い体をもつフナクイムシ類は、海中の木材に穴をあけて生活する二枚貝で、木材をすみかとするだけでなく、削った木前をえさとしても利用しています。海中の木造物を食害して被害を与えることから、はや紀元前4世紀頃にはフナクイムシ類との闘いが始まったといわれています。

フナクイムシ関連

17世紀のオランダの画家、レンブラント・ファン・レインは静物画を一切残しておらず、版画でこの1点があるだけです。描かれているのはナンヨウクロミナシというインド洋~西太平洋の熱帯域に分布する巻見で、自身が所有していたコレクションの一つと思われます。この時代、急速に世界進出を進めたオランダには、南海から多くの目新しい貝がもたらされ、画家がその美しさに惹かれた様子が思い浮かびます。

レンブラント・ファン・レイン

■第3章:貝に魅せられた人たち

現代における究極の人類と貝類の関わりは、貝殻のコレクションといえるでしょう。標本化が容易で、長い年月にわたって保存が可能な貝類は、生物コレクションの代表的なものとして多くの人たちを惹きつけてきました。ある地域の種をすべて集めることを目指したり、特定の分類群に専念したり、関わり方はさまざまです。

チラシより

●科博所蔵の貴重な個人コレクション

35万ロット以上からなる当館の貝類コレクションは、明治時代初期から100年以上にわたって保存されてきたものを基礎として、さまざまな由来のものから成り立っていますが、その中で寄贈個人コレクションが大きな部分を占めています。小さなものから10万点を超える大きなものまで、それぞれ特色のあるコレクションによってさまざまな地域や分類群がカバーされています。ここではその中から5つの特徴あるコレクションを縮介します。

●JCB創設者のコレクション

川村良介(1898-1993)
JCBの創設者として財界で功績をあげるかたわら、1930年頃から日本各地で活発に貝類の収集を続け、1万種以上10万点を超える日本最大のコレクションを作り上げました。膨大なコレクションは氏の生前、1983年に当館に寄贈されました。

●長崎の開業医のコレクション

金子一狼(1872-1965)
長崎で開業医として診療に携わるかたわら、長崎県博物学会の有力メンバーとして活躍し、広範に博物標本を収集しました。明治~大正の雰囲気を残す貝類コレクションは、変遷を経たのち、1999年に当時のままの状態で当館に寄贈されました。

●高校教師のコレクション

稲葉亭(1917-1983)
高校教員を務めながら千葉県を中心とした貝類の収集と研究を続け、また日本貝類学会の研究連絡誌「ちりぼたん」の編集も担当しました。急につくられた標本は、詳細なデータを記したラベルとともに手作りの標本箱に収められています。

●神田で老舗の鳥料理店「ぼたん」オーナーのコレクション

櫻井欽一(1910-1993)
東京・神田で老舗の鳥料理店を経営されるかたわら、鉱物学者としても著名な業績をあげ、東京大学から理学博士を授与されています。日本産全種の完売を目指し「櫻井標本室」に保管されていた6,000種を超える貝類標本は、1994年に当館に寄贈されました。

●「麗人科学者」のコレクション

山村八重子(1899-1996)
大正から昭和にかけてフィリピンで貝や鳥類を採集し「麗人科学者」と呼ばれました。昭和の初め1928年に、当時珍しかったフィリピンの貝類標本1,700点ほどが当館に寄贈されており、また、1999年には「八重子の会」を通じて残されていた22,000点以上の標本すべてが寄贈されました。

●ダンスの50貝

ピーター・ダンスは、大英博物館自然史部門にも勤務していたイギリスの貝類学者で、貝類に関する一般害によって貝類学のすそ野を広げることにも貴験しています。その1冊が1969年発行の「Rare Shells」で、当時珍しくかつ人気のあった50の貝を選んで図示・解説しています。その後、50年以上の年月を経て人気の見にも変化がありましたが、時代を家徴するものとして特別な扱いを受けています。本展では、海外の博物館の協力も得て、日本で初めて50種すべてを揃えることができました。


●絶対に“個人所有”できない貝コレクション

コレクターが欲しいと思っても、ほぼ絶対に所有できない貝たちがいます。それが、極地に棲息する貝たちです。深海にいる貝だけでたしか3種が展示されていましたが、その一つが《ウロコフネタマガイ(白スケ)》

《ウロコフネタマガイ(白スケ)》
Chrysomallon squamiferum
インド洋 Solitaire フィールド
腹足網 Peltospiridae

解説を読むと面白いのですが「太陽の光を始まりとした食物連鎖に依存せず、深海底から湧き出す熱水や冷湧水に含まれる硫化水素やメタンをエネルギー源とする生物群集からは、『鉄のうろこを持つ貝』として話題となったウロコフネタマガイ(スケイリーフット)を始めとして、様々な珍しい貝類が知られています」とあります。

そもそも貝はもちろん生物に詳しくないわたしからすると「太陽の光を始まりとした食物連鎖に依存せず」にいる生物が存在するなんて、まったく知りませんでした。そして「硫化水素やメタンを元にエネルギーを生成する生き物」って……なんだかもうエイリアンっぽいですね。

《アルビンガイ》
Alviniconeha hessleri
マリアナ沖
腹足網 ハイカブリニナ科

次の拡大模型が作られた貝は、海底洞窟に棲息する貝……だったかな……

アマダレガイ Pluviostilla palauensis 沖縄県 伊江島 腹足網 科未定
金城浩之 蔵

パラオの海底洞窟から死殻のみ知られていたが、日本国内でも2021年に殻だけが発見された。始めはほぼ平巻きだが次第に巻き下がり、最終的には殻口が突出するらしい。謎多き巻貝で、未だ分類群も定かでない。

《アマダレガイ》の拡大模型
コモチハリナデシコ Cyclochlamys incubata 沖 県 伊江島 二枚貝網 ウロコハリナデシコ科
海底洞窟に暮らす二枚貝の多くは 徹小で、大きな胎殻をもつ。ウロコハリナデシコ類は海底洞窟のほか、 深く埋れた礫の下や深海に生意している。

■第4章:貝類とこれからも長く関わり続けるために

人類と貝類には長くて深い関わりがありました。そして現在、状況は大きく変わりつつあります。たくましく地球上で発展してきた貝類も、近年の環境の改変や地球規模の変動の影響を受けています。食をはじめとした人との関わりにも変化がみられます。ここでは、現在の状況を把握し、未来に思いを巡らせます。

チラシより

■「貝類展:人はなぜ貝に魅せられるのか」概要

会場:国立科学博物館 日本館1階 企画展示室及び中央ホール
会期:2024年11月26日(火)~2025年3月2日(日)
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)、12月28日(土)~1月1日(水・祝)
※ただし12月23日(月)、2月17日(月)は開館開館時間:9時~17時
入館料:一般・大学生:630円、高校生以下および65歳以上:無料
※本展は常設展示入館料のみで観覧可能

『貝類展』へ行って、もっと貝類について知りたい! と思ったら、今回の展覧会に関わった下記の人たちにアクセスしてみると、もっと深堀りできるかもしれません。

◆特別協力 高重 博
◆協力
赤星直忠博士文化財資料館 浦河町立郷土博物館 大阪湾ウミウシ観察
鹿児島県立埋蔵文化財センター きしわだ自然資料館
東京大学大気海洋研究所 底生生物グループ 東京大学総合研究博物館
鳥羽市立海の博物館 豊橋市自然史博物館萩博物館 三浦市教育委員会
目黒寄生虫館 横須賀市自然・人文博物館
The Academy of Natural Sciences of Drexel University
The Bailey-Matthews National Shell Museum & Aquarium
Royal Ontario Museum
縣拓也(鳥羽市立海の博物館)安里 開士(福井県立恐竜博物館)一田昌宏(豊橋市自然史博物館)
口健太郎(横須賀市教育委員会事務局)伊藤昭和(浦河町立郷土博物館)稲垣伸一(奈良県)
井上 清昭(長崎県)小澤宏之(沖縄県環境科学センター)海部陽介(東京大学)
柏尾 翔(きしわだ自然資料館)狩野泰則(東京大学大気海洋研究所)持輝久(赤星直忠博士文化財資料館)
北詰美加(きしわだ自然資料館)金城浩之(沖縄県)原康裕(北海道)古善光(三浦市役所)
佐々木 猛智(東京大学総合研究博物館)佐藤 兼理(神奈川県立歴史博物館)高野史(目黒寄生虫館)
高橋健(横浜ユーラシア文化館)棚部一成(東京大学名誉教授) 寺本 沙也加(岩手県水産技術センター)
堂込秀人(鹿児島県立埋蔵文化センター)中島礼(産業技術総合研究所)中山 悠那(三浦市役所)
西浩孝(豊橋市自然史博物館)沼波 秀樹(東京家政学院大学)萩野はな(横須賀市自然・人文博物館)
橋本 海璃(筑波大学)福田 宏(岡山大学)藤井 明広(横須賀市自然•人文博物館)堀成夫(萩博物館)
湊智彦(三浦市役所)三部(沖縄県環境科学センター)矢田 正海(熊本県)知野光雄(東京都)
山崎友資(東洋食品研究所) Chong Chen(海洋研究開発機構)
José H. Leal (The Bailey-Matthews National Shell Museum & Aquarium)
Paul Callomon (The Academy of Natural Sciences of Drexel University)
故 新川教(岐阜県)故 西出忠(滋賀県)

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かわかわ
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