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エッセイ 秋も衰えて

年を重ねたからだろうか。
元気にできていたことが、
だんだんできなくなってくる。

人生100年というけれど、
半分を過ぎても、あと半分を
元気に過ごす自信はまるでない。

自分の顔を鏡で覗くたびに、
やせ細った顔にある二つの目玉が
不安そうに僕を見つめる。
まっ白な髪は、頭に灰を被ったよう。

痩せた体は、昔買ったジーンズは
大きすぎて、ベルトをしないと
履けない始末。

全く何の準備もできていないし、
そんな矜持なんて持ち合わせない。

オロオロして、ウロウロと歩き回り、
眠れない夜を過ごし、やがて疲れて、
明け方に寝入る。

わずかな時間しか寝てないのに
容赦なく朝は来る。

なぜか痛む右足は、
僕の新しい悩みとして追加される。

僕は自分のこころを慰めようと、
陶淵明の詩集を開いた。

1600年前の人である。
四十五歳の作。

(訳文)
己酉歳つちのととりのとし九月九日

秋も衰えはててすでに暮れようとし、
風が吹き露が降りてまことにさむざむ
とした光景だ。
夏にはあれほどはびこった草ももう
華やかさはなく、
庭の木々も空しく葉を落としてしまった。

秋風は大気中に残るよごれを吹き清め、
大空はひろびろとしてあくまで高い。
哀しげに鳴いていた秋の蝉も声を
留めなくなり、
それに代わって群れなす雁が雲間に
鳴いている。

万物はつぎつぎと推移交替していく。
人生もどうして苦労しないで
すまされよう。
昔から生あるものは必ず死ぬ定めに
ある。
それを思うと心中に焦りを感ぜざるを
得ない。

わが心をどう慰めたらよいのか。
ともあれ濁り酒など飲んでみずから
楽しむことをしよう。
千年先のことはわかるはずもないし、
とりあえず今日という日をゆったりと
過ごすことだ。

岩波文庫「陶淵明全集(上)」松枝茂夫・和田武司訳注 詩49


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