ショートショート 過去には戻れません
朝、忙しそうに車で家を出た父は、
とても急いでいた。
僕はまだ家にいたけど、
最近は父とは会話もしていないから、
気がついたら、父は家を出ていた。
10時くらいに、警察から電話がきた。
交通事故の知らせだった。
慌ただしく父の葬儀が行われ荼毘された。
煙となって天に昇る。
その煙を見ながら、僕は思う。
なぜ、こんなことになったのか。
朝、僕が父に話しかけていれば、
事故には巻き込まれなかったかもしれない。
反発ばかりしていたけど、
いなくなってみると、後悔の念ばかり。
親孝行のひとつもできなかった。
自分を責めても仕方ないと、
わかっていても、
どうして、なぜ、を繰り返すばかり。
日が経つにつれ、父がいないという、
受け止めきれない事実が、
次第に重くのしかかり、
現実として実感していく。
そして、僕の後悔の念も強く、
重くなっていく。
夜も眠れない日々がつづく。
あの日。あの日の朝に戻れたら。
僕はこの事ばかりを考えるように
なっていた。
夜、眠れない僕は、仕事も手につかず、
会社を休むことが多くなっていた。
その日も会社を休み、昼間をボーっとした
頭で過ごし、ウトウトと寝入っていた。
*
僕は夢を見た。
見たことがない人が僕に話しかけてきた。
あたまの上には光る輪がかがやいている。
その人は僕にいう。
「私は天使。いろんな人の夢の中に入り、
手助けをしています。
あなたは今、危険な状態にいるので、
助言にきました。」
「危険な状態?助言?どういうこと?」
「あまり念じない方がいいですよ。
悪魔に見つかりますから。
人は過去には戻れませんよ。戻っても意味
がないんです。」
「なぜ意味がないんだ。」
「そうですね。少し説明が難しいのですが、
あなたは一人ですよね。でもあなたの過去
にはあなたが無限にいるんです。
一秒、一秒にあなたの過去があり、あなた
がいる。その過去は、その一秒から
無限に枝分かれします。今いるあなたに
正確に辿り着くには、無限の枝分かれから
偶然を含んだ、か細い道筋を辿れねば
なりません。
今いるあなたに辿り着けない過去に、
意味はありますか。」
「僕に辿り着けないことなんてあるの?」
「そちらの方がほとんどです。
言っておきますが、今、あなたがここに
いることは、ほとんど奇跡に近いのです。
ほとんどの人はこれが理解できない。
当たり前にここにいると思っている。
でも、死はどこにでもあるんです。
道を歩いているだけで、いくらでも死の
可能性はある。そんな中をあなたは生きて、
今にある。これは奇跡です。
そんな奇跡を辿る事が出来ますか?」
「・・・」
「悪魔はそんなことは簡単なことだという
でしょう。彼にはあなたが破綻する姿が
見えていますから。
あなたは辿るでしょう。でも同じあなた
には辿り着けません。
だって、同じ奇跡は2度とないのです。
あなたは変化せざるを得ない。
それが望まない形でも。」
「どういうこと?」
「何かを得れば、何かを失うということ
です。それは世界のバランス上、仕方ない
ことです。
過去に戻ることは、バランスを欠くこと。
そのバランスはあなたに反映され、変化を
来たします。
あなたは破綻し、絶望し、悪魔に魂を渡す
でしょう。」
「だからあきらめろと?」
「はい。私の役割は、悪魔に魂を渡さず、
天国に連れていくことです。」
「悪魔は魂をどうするの?」
「それは、あなたには理解できないこと
です。言葉にするのは、
さらに難しいです。」
「いってみてよ。」
「では、申し上げます。悪魔に渡された
魂は、永遠をループするのです。」
「永遠をループ?」
「はい。悪魔は永遠を生きています。
いつの時代にも、どの場所にもいくことが
できます。なぜだかわかりますか?」
「わからない・・・」
「永遠をループする魂がどの時代にもある
からです。同じ時間をループする魂。
その魂から魂に悪魔は紐をたどるように、
過去と未来を行き来します。
あなたの魂はこの時間を永遠にループしま
す。まさに悪魔の所業です。」
「理解できない・・。なぜそんなことを
するのか。」
「はい。そう申しました。もちろん悪魔
にも目的がありますが、聞きたくなさそう
ですね。」
「聞きたくない。」
「はい。私と話したことは、目覚めと共に
あなたは忘れます。
目覚めたあなたは、過去に戻りたいと
念じるでしょう。
そして悪魔に見つかります。」
「どうして見つかるの?」
「悪魔は探しているのです。
マイナスの思念をもつ人。強く念じる人を。
実はもう見つかっています。
だから私が来たのです。わたしがあなたを
説得し、次に悪魔がやってくる決まりに
なってますので。」
「どうすればいいの?悪魔に来られたら。」
「いままで私の説得で悪魔が来なくなった
ことはありません。
だって、私の話しは忘れてしまうのですから
当然ですよね。残念ですが。」
「いやだ。助けて。」
「一応、教えておきます。
悪魔が来たら、こういえば彼はあなたを
あきらめます。
”天使から鍵を渡された” と。」
僕はそこで、目が覚めた。
*
何か夢を見た気がするけど、思い出せない。
とても大切なことだった気がする。
目覚めた僕は、いつもと同じ一日を送る。
そして、考える。過去に戻れたならと、
つよく念じる。
そのとき、どこから来たのか、僕の目の前
に青年が現れた。
その青年は特徴がまったくなく、
会った直後に印象を忘れてしまう感じ。
「あの、お邪魔してすいませんが、
少しお話にお付き合いいただけないで
しょうか。」
「僕でしょうか。いいですけど。」
その青年にうながされる形で、大通りに面
した近くの公園のベンチにすわる。
さっきまで少し騒がしく子供たちが遊んで
いたのに、今はなぜか誰もいない。
「単刀直入にいいます。私は悪魔です。
あなたの願いを叶えに来ました。」
僕は驚いたけど、願いが叶うという言葉に
惹かれた。
「あまり驚きませんね。知っていますよ。
過去に戻りたいのでしょう。
そういう方は、ほかにもたくさんいます。」
「戻れるの?」
「簡単です。私は誰かが持っているものを
誰かに移すことができます。
過去のあなたが持っている過去の時間を、
今のあなたに移すだけです。」
「過去に戻った僕はどうなるの?」
「こちらに戻ることは出来ませんので、
やり直すことになります。」
「あっちの僕は?」
「気を失います。そして今のあなたと入れ
替わります。数日の記憶が失われますが、
大したことはないでしょう。」
僕はあまり深く考えず、とりあえず大した
ことはなさそうだと理解した。
「1つだけ、条件があります。願いが叶い
ましたら、いつでも結構ですので、
あなたの魂を私にお渡しください。」
「悪魔の契約ってやつだね。」
いつでもいいなら、いつまでも渡さない
こともできそうだと単純に考えた僕は
軽く返事をした。
「わかった。」
「契約成立です。では、あなたを過去に
戻します。」
僕は気を失う。
*
僕は2階の自分の部屋で寝ていた。
階下から、父の声が聞こえる。
急いでいるらしく、声が慌ただしい。
僕は思いだす。このあと、父は事故に遭う
のだ。
僕は急いで、階下に降りて、
父に話しかける。父は驚く。
僕が話しかけることなんて1年ぶりくらい
だから、当然だ。
僕を見つめた父は、今は時間がないから
あとでゆっくり話そうと
いってくれた。僕は満足し、父を見送った。
たったこれだけのやり取りだけど、たぶん
大丈夫だろう。
少なくても死ぬようなことはないはずだ。
僕は安心して、部屋に戻った。
すると、そこに悪魔がいた。
「いけませんね。
あなたは未来を変えてしまった。
世界のバランスを崩してしまいました。
その歪みをあなたは
背負う必要があります。」
「ただ、話しかけただけだ。
それがいけないの?」
「はい。あなたは過去に戻ったのですから
過去に戻る前のあなたに辿り着くまで、
偶然を含めて、まったく同じ行動を
しなければいけません。
それができない場合、罰を受けることに
なります。」
「そんなの聞いてないし、できるわけが
ない。」
「皆さんそうおっしゃいます。できるわけ
ないと。でもあなたはそれを望みました。
説明を求めましたか?」
たしかに僕が望んだことだし、説明も
求めなかった。でも、わかるわけがない。
僕はダマされたのだ。
「ダマしたな!」
「心外です。わたしが、過去に戻った
あなたはやり直すことになると申し上げた
とき、あなたは、どうやり直すのかを聞く
べきでした。
でもそんなことはどうでもいいのです。
あなたは2つ選べます。
1つ目。このままこの世界で生き続ける。
でも時間が経てばたつほど、歪みは
大きくなり、犠牲者も多くなります。
2つ目。ここで私にあなたの魂を渡す。
そうすれば犠牲はあなただけになります。
どうしますか?」
この男は確かに悪魔だ。こんな提案が出来
るのは悪魔しかいない。
僕は1つだけ、悪魔に尋ねた。
「父はどうなるの?」
悪魔は少し考えて、答える。
「あなたのおかげで、事故は回避しまし
た。この後もしばらく生き続ける
でしょう。」
「わかった。魂を渡すよ。」
僕は死の瞬間、悪魔を見た。
つまらなさそうに僕の魂をつかむ悪魔。
薄れていく意識の中、僕は悪魔の声を
聞いていた。
「約束通り、あなたの魂を頂きます。
あなたはこの時間を永遠にループします。
永遠に死の瞬間を経験して頂きます。
私はそのエネルギーを辿り、
時間を行き来することができるのです。
この時間もわたしのものになりました。」
そして、悪魔は消えた。
天使はそれを見ながらつぶやく。
「やはり、思い出せなかった。
わたしという存在に意味はあるのだろうか。」
そして天使は次の人の夢に入り込んだ。