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読書日記 沢木耕太郎・著『天路の旅人』 89分の8の旅

1 前回『新潮』を買った時は「凍」が一挙掲載されていた


7月10日くらいに書いた文。

『新潮』を買って読んでいる。いわゆる文芸誌だ。何年ぶりだろうか。前回買った時は、沢木耕太郎のノンフィクションが、一挙、掲載された時だった。単行本では『凍』というタイトルになっていたが、掲載時は、何かもう少し長い題名がついていた。『凍』は、登山家の山野井泰史を追ったノンフィクションだった。

その少し前に、私はクライマーの自伝やら山岳ノンフィクションやらにはまっていて、ジョン・クラカーのノンフィクションや、ラインハルト・メスナーの著作といった、主に外国の翻訳本を夢中になって読んでいた。その流れで日本人のものではまったのが、山野井泰史関連の本だった。

山野井泰史は、一人で無酸素で8000メートル級の山に登って、帰ってくる人だった。普通、2日や3日掛けて登るところを、ほぼ休憩なしで、1日で走破するすごい人だ。

山野井の文章を集めた『垂直の記憶』や、ノンフィクション・ライターの丸山直樹が山野井の人生と業績を追った『ソロ 単独登攀者』を読んだりして、山野井泰史には、強い興味を抱くようになっていた。

そうしたら、沢木耕太郎が、山野井を書いたという。結構、期待して『新潮』を買ったのだった。しかし、『凍』は、つまらなかった。というか、知っている内容ばかりで、『垂直の記憶』と『ソロ 単独登攀者』の二冊を読めば事足りる、いまいち内容の足りない作品だった。

なんでわざわざ書いたのだろうか、と疑問に思える内容だった。そんな、ちょっと残念な思い出が沢木耕太郎にはあるのだが、その後も、私はキャパ関連の本など、沢木耕太郎を読み続けている。

沢木耕太郎は、デビューからもう50年以上、活躍しているけど、文章は、抜群に安定していると思う。平易でとても読みやすいのだ。難しくないし、文章が変化したりしないのだ。

普通は、時代や年齢によって、文章は変わってくるものなのだが、沢木の場合は、全然変わっていない。語弊があるけれど、馬鹿なんじゃないか、と思っている。これはけなしているわけではないが、でも、褒めているわけでもないか。沢木耕太郎は、そういう精神年齢の安定した希な書き手なのだと思う。

2 『新潮』8月号には「天路の旅人」前編が一挙掲載


実は、今回も沢木耕太郎のノンフィクション「天路の旅人」が一挙掲載されているので『新潮』を買ったのだ。今号は前半だけの掲載だが、それでも450枚とあった。来月号に後半がやはり一挙掲載されると予告にあった。

今回は、西川一三を取り上げたノンフィクションだ。西川一三というのは、今時、知っている人はいないだろうけど、日中戦争時に、日本軍の密偵となって、中国から蒙古、チベットなどを歩いて、旅した人だ。戦後に捕まって、日本に帰ってきた。彼の書いた旅行記が、以前は中公文庫で全3冊で出ていた。

西川一三は、何故かその後、私の故郷である盛岡に住んでいた人だ。盛岡ゆかりの人として、名前だけ、私もなんとなく知っていたが、そんなに有名な人ではないし、詳しいことは知らなかった。

盛岡での扱いも、郷土の偉人といった感じでもない。今回、沢木耕太郎が取り上げるまで、私も忘れていた。盛岡でも、埋もれていたんじゃないかと思う。実は、私も中公文庫の3冊も読んだことがないし……。

ということで、沢木耕太郎が取り上げたのだから、と『新潮』を買ったのだ。

沢木の文章を読むまで、西川一三を、私は「にしかわ いちぞう」だと思っていた。小林一三なんかと一緒だ。ところが、本当は「にしかわ かずみ」と読むのだそうだ。初めて知って、今更ながら驚いている。

1918年生まれの男にしては、オシャレな名前だなと思うのだ。1918年生まれというと誰がいるのだろうか? 切りのいい1920年だと、三船敏郎とか、原節子とか山口淑子とか森光子がいる。だから西川一三は、そのちょっとお兄さんだ。

3 リメイクされて読める西川の旅行記



「天路の旅人」は、最初だけ、ノンフィクション風で面白かったのだが、途中からすぐに、中公文庫や西川の直筆原稿を元に、西川が辿った旅を、沢木が再構成、リメイクするという、展開になっていた。

そんなのってありなのか? と思ったが、これが結構楽しく読める。原作にあたる西川の本を読んでいたら、もっと面白いのかもしれないが、とりあえず、沢木の文章で読んで、そこそこ楽しいのだ。

最近の日本ではアウトドアとかサヴァイヴァル登山などが流行っているが、西川の旅は、最近のそんな旅を軽く凌駕していて、すがすがしい。野宿がメインのカウボーイの旅か、渡世人の股旅ものの旅に近い。ほんの数十年前まで、人間はそのように旅をしていたのだし、場所によっては今でもそのような旅が続けられているのだと思う。

詳しい地図もなく、その場その場で自然を観察し、あるようなないような道を見定めて、天候に左右されながら、安全を確保しながら、移動するのだ。基本は徒歩で、時にはラクダを連れて、時にはヤクを連れて、千キロ以上を何か月もかけて歩くことだってざらにある。

その間は、手持ちの食糧で食いつなぎ、ラクダやヤクには、草原の草を食べさせる。過酷で死と隣り合わせなのだが、どこかのんびりしている。文章で読むととても良い旅に思える。

が、私は普通の旅行も嫌いだし、枕が変わると眠れなくなるたちだし、排便が不規則な体質だからトイレに苦労することは目に見えているし、旅には全く向いていない人間だ。

その反動なのだろうか、この手の本をとても楽しく読ませていただいている。それもなんだかな、ではある。来月号の後半を楽しみにしよう。

『新潮 8月号』には、坂本龍一の人生総まとめ的なインタビューの2回目も載っている。インタビューアーは、鈴木正文さんだ。矢野顕子と結婚する前に、大貫妙子と同棲していたとかあって、ちょっとびっくりした。知ってる人は知っているハナシなのだろうけど……。

4 『新潮』9月号には後編が一挙掲載 西川が亡くならなかったからお蔵入りしていたのか?


8月10日くらいに書いた文。

『天路の旅人』第二部が載っている『新潮 9月号』を買って読んだ。

誰かが亡くなったことがきっかけになって、何かが動き出すということがある。動き出すのだけど、本当は、その誰かが亡くなる前に、やっておくべきことがたくさんあって、その誰かが亡くなってしまってからでは、もう手遅れだってことが、大抵だ。

この『天路の旅人』もそういった範疇に入るのだと思う。しかし、そこは、沢木耕太郎だから、手堅くまとめている。

沢木耕太郎は、ひと月に一回、一年間、盛岡に通って、西川一三に会って、ハナシを聞いている。インタビュー取材だ。内容は、西川が戦中戦後に8年間かけて歩いた旅についてだ。西川のその後の人生とかにはあまり触れずに、取材を終えている。

その後、ずうっと本書はまとめらることなく、放置されていた。西川が亡くなってから、沢木は遺族と連絡を取ったり、西川の生原稿を入手したりして、本書の企画が具体的に動き出している。

だから、旅を終えた以降の西川に対する生前取材は、あまり行えないで終わっている。結果的に、『天路の旅人』は、西川という人間への迫り方が、足りない印象を拭えない。

結局、西川が亡くなってから、本書を書き始めたのだから、西川が死ななかったら、西川に対する著者の興味は、復活しなかったのかもしれない。西川の死を知らずに過ぎていたら、本書は書かれないで終わったかもしれない。それって、どういうことなのだろうか? 亡くなったから意味を持ったのか?

5 70年前の徒歩の旅


『天路の旅人』は、先月、前半が出て、今回の後半で完結だ。合わせて900枚くらいの長編だ。西川一三という、戦中戦後に、日本軍の密偵という名目で、モンゴル、中国、チベット、ブータン、インドといった、鎖国をしていたり、あまり地図になっていない地域を旅した人の、旅行の全行程の再現と、その前後の人生を追ったノンフィクションだ。

前半は、ヤクやラクダを伴った旅が多かったが、後半は、徒歩が中心で、時々鉄道や乗り合いバスを利用している。西川は、日本人だけど、内蒙古のラマ僧の格好をしているので、見かけは巡礼の人だ。実際、各国語を学んで会話には支障がないほどだし、各地の寺院に住み込んでは僧侶の修業をしている。日本が戦争に敗れてからは、密偵ではなく、本当に巡礼の旅になっている。

巡礼の人には、列車の無賃乗車も許される風潮が、あのあたり一帯にはあった。巡礼の徒が托鉢をすると、その日の食べ物は、たいてい集まるし、場合によっては、一夜の宿も施されるし、歓待されたりもする。

西川が旅をしたのは、1940年代だったが、現在でもこのように巡礼者は受け入れられているのだろうか? おそらく現在は、国境線は鮮明になり、往来も厳しく管理されるようになっているだろう、と思う。

日本が敗戦してからの西川の旅は、とても自由だ。その場所に行ってみたい、そこを見てみたいという純粋な気持ちだけで、歩みを進めている。

とはいえ、徒歩の旅は過酷だ。場所柄ヒマラヤ越えもある。雨も降れば雪も降る。そんな中、テントも持たない野宿が基本の徒歩の旅は、ちょっと想像の域を越えている。

水も燃料も現地調達だ。水は川の水がメインだし、燃料は枯れ枝か行路に落ちている家畜の糞だ。乾燥した家畜の糞は、ひろい集めて、ある程度の量を確保していないといけない。食料だって限定されているし、豊富にあるわけではない。

その上、旅の途中には、山賊まがいの集団が出没するし、金銭を要求する関所のような国境事務所もある。しかし、貧乏な巡礼者は、見逃されることが多く、西川もうまく立ち回って、事なきを得ている。

西川はとにかく歩いている。距離もすごいし、高低差もすごい。時には、一日で68キロも歩いている。一日で、2000メートルくらい普通に登ったり下りたりしている。身長が180センチはあった大男だったというが、よほど体が丈夫にできているのだろう。どんなところでもいつでも必ず眠られるそうだから、こういった旅に向いていたのだと思う。

6 手遅れ感、取り返しのつかなさは、挽回されたのか?

もちろん旅のハナシだけでも、西川一三という人間の人となりは伝わってくる。しかし、西川は89歳まで生きたのだし、旅はその中の8年間だ。その十倍くらいの時間が、実人生として生きられている。若い頃の旅だけで一人の人間の人生を代表させるのは、変な言い方だけど、まだまだなんじゃないかと思う。

私は盛岡出身の人間なので、盛岡に住んでいた西川本人にいろいろと聴いてみたいことがあるのだが、『天路の旅人』を読んでも、そういう欲求は、満たされなかった。盛岡に関係のない人なら、そんなことは思わないかもしれないが、だから、私にはちょっと物足りないノンフィクションだった。

しかし、西川は、元旦以外は休まないで、毎日働いていたという。いったい、どんな人だったのだ? 最初に感じた、手遅れな感じ、取り返しのつかなさは、やっぱり最後までそのまま残っていて、挽回されていないと思う。『凍』も『天路の旅人』も、沢木耕太郎にしては、調べて出てきた事実が少なすぎると思うのは、私が著者に対して期待しすぎているせいだろうか?

最後に、どーでもよいことだが、この手の旅の本で私がいつも気になるのは、トイレ事情だ。椎名誠の本だと、その辺のことも書いてあったりするのだが……。人間、食べたら出さなくてはいけない。西川が旅をしていた地域のトイレ事情はどうなっていたのか、旅の最中は、どうやって済ませていたのだろうか? 本書では1行も記述がないので、ちょっととがっかりだった。

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